運命なんてそんな不確かなものは




見なさい、。父はそう言って会場に姿を現した少年へと視線を向けた。さらりとした黒髪は東洋人の私から見ればくすんでいるように感じたが、灰色の瞳は深くて魅力的で、はっとさせられるものがあった。吸い込まれるようにその瞳を見つめていると、一瞬、視線がかちあったような気がしたが気のせいかもしれない。


「あれがブラック家のご子息……シリウス・ブラックだな」

「……あの人が?」

「あぁ、お前と同い年のはずだ。きっと……」


ホグワーツでまた見かけるさ、そう言って父は私に向かってにこりと微笑んだ。しかし例のブラック家の後継者に視線を向けると、穏やかに微笑んでいた表情をかき消して眉根を寄せる。そんな父の様子に内心首をかしげつつも表面上は平素通りにしていたら、父はぼそりと呟きを零した。


「……家の絶対の信念、知ってるよな?」

「……“中立”と“情報の保存”を一番にすること」

「そうだ。いいか、たとえお前がひとりになっても……ホグワーツに行ってもだ。“家”の一員である限り、中立と情報の保存が絶対だ」


まっすぐな視線を私のほうに向けながら父は静かにそう言った。それはただ言葉だけでなくその裏に隠れたものを私に伝えたいのだろうと感じたが、それがいったいなんなのかを計り知ることはできなかった。

私がこの世界に生まれ落ちて9年の歳月か早くも経とうとしているが、自分にとってそれはまだまだ短い年月である。私が家に生まれた以上、世界を、人を、魔法を、全てを早く知り、早急に大人にならなくてはいけないと思っていた。家の絶対の信念は中立と情報の保存。それを成し遂げるためには、子供でいることを早く卒業しなければいけなかった。


今の魔法界は闇の勢力を崇める派閥とその闇の勢力に立ち向かう派閥に分かれようとしていた。詳しく誰かから情報を得たわけではないが、日刊預言者新聞や両親の様子を見ていれば最近それが表面化しつつあるのだと知ることができる。父が先程家の信念を改めて確認してきた理由はそこにあった。家は日本では有名な魔法一族であり、様々な寮の人間を輩出している不思議な家ということで名を知られている。それはすなわち、家にはスリザリン出身の人もグリフィンドール出身の人もいるということ。闇の勢力とそれと対立する勢力に分かれようとしている今、身内で争いが起きてもおかしくなかった。


(家に……“中立”という絶対の信念がなかったらの話、だけどね)


それを考えてふぅ、と小さく息を吐く。身内で争うなどという愚行が起こらないように、それを見越しての信念。純血主義を主張しているわけではないが、家は歴史のある古い家系と純血であるということに誇りを持っている。それ故にこうしてブラック家と関わりを持つことができ、歴代には優秀な魔女や魔法使いがたくさんいた。しかしそんな様々な寮の優秀な魔女や魔法使いを輩出している家だからこそ、どちらかに加担してはいけない。対等で釣り合っている天秤を、傾かせてはいけないのだ。それ故の“中立”。

そしてもうひとつの信念は“情報の保存”。中立という立場から双方を均衡に見つめ、真実の歴史を残していくこと。どちらか一方から見た当事者たちの記録ではなく、第三者から見たありのままを後世に残す。中立という立場を利用した、中立だからこそできること。それ故に、家には相当古い書物が多く残っていた。歴史書はもちろん、行方が分からなくなった希少な書物や有名な家の系図も見たことがある。それは家宝でありながら家の楯でもあった。


幼いころから身にしみるほど言われ続けてきた言葉。家の誇りがあるならそれを乱してはならないと、何度も言われた。専ら、そんなつもりはさらさらないが。


「、ブラック家の当主にご挨拶してこよう」

「え……やだよ、父さんひとりで行ってきなよ」

「……お前をあっちに形だけでも紹介しないと、今回お前が来た意味がない。来なさい。……あと、ブラック家当主の前では『父様』な」


そう言われ、ほら、と背中を押されて嫌々ながら前に進むと案外近くにブラック家の当主オリオン・ブラックがいた。まず父がオリオンさんに声をかけ、その間私は父の一歩後ろで目を伏せて話題が振られるのを待つ。深窓のお嬢さまを装おうとしているわけではないが、こうしておいたほうがきっと都合がよいということはこれまでの経験上分かっていた。


「あぁ、そちらのお嬢さんは貴方のご息女で?」

「えぇ、今回ちょうどイギリスに来ていたので連れてきました。ご挨拶なさい、」

「初めまして、ミスター・ブラック。・と申します」

「歳はそちらの長男と同じ……きっとホグワーツでも世話になると思います」

「ほう、シリウスと同い年か。……あぁ、シリウス、ちょうどいい。来なさい」

「はい?」


たまたま近くを通り掛かったシリウスさんが呼び止められ、輪の中に入ってくる。にこり、と穏やかな微笑みを作るとシリウスさんも同じような笑みを浮かべてくれた。その笑みになんとなく違和感を感じつつ、オリオンさんに紹介されると同時にゆるりと頭を下げる。


「氏のご息女……ミス・だ。こちらはうちのシリウス」

「初めまして、ミス・。シリウス・ブラックです、気軽にシリウスとお呼びください」

「こちらこそ初めまして……シリウス。私のこともと呼んでくださると嬉しいわ」

「娘は貴方と同い年で……これから何卒世話になると思います」

「いえ、こちらこそ」


にこにこにこ。笑みを絶やさない彼と自分の本心は同じなのだろうかそれとも異なるのだろうか、そんな考えがふと脳裏を掠める。きっと異なるのだろうな、と勝手に結論を出してから小さく頭を下げてその場を辞した。オリオンさんから十分に離れてから父と共にふぅ、と息を吐く。


「……見事な化けようだな」

「父さんこそ」


しっくりくる元の口調に戻った第一声がそれか、と我が父に呆れながら給仕さんからジュースを受け取った。濃い紫色のそれに顔を近づけると、濃厚な葡萄の薫り。父は同じような色をしたワインを受け取り、私と似たような動作でその独特の薫りを楽しんでいた。酔っ払わないでよ、と釘を刺すと「んー」という生返事が聞こえる。


「……人ごみに酔いそう。バルコニーに出てくる」

「ついていこうか?」

「ひとりで平気」

「あぁ、分かった。この辺にいるからな……しかし母さんはどこにいるんだか」


さっきブラック婦人に捕まってたよ、と父に小さく告げてからその場から離れた。ざっと会場を見渡して人がいないバルコニーを探すと、少し離れていたが無人のバルコニーを見つける。なるべく目立たないようにそこへと移動し、滑り込むようにして外に出た。会場の熱気とは裏腹に涼しい夜風はほてった身体を鎮めていく。手摺りにつかまり身を乗り出すようにして景色を見ながら、先程会話を交わした少年の姿を思い出していた。


(シリウス・ブラック……要観察、だな)


彼の笑みには含むものがあったように感じる。自分はまだまだ未熟者なので確かかどうか言い切ることはできないが、彼の笑みにはどこか違和感があった。きっと父もそれに気付いたにちがいない、彼が会場に姿を現したとたんに表情を変かえた理由はここにあったのだろう。はたしてその違和感が何なのかは分からないが、様子からして父は看破しているのだろう。彼が望んでいるのは、


(……闇か、光か)


自分には、分からないけれど。そう心の中で呟いたところで会場とバルコニーを繋ぐドアの軋む音がした。はっと振り向くとそこには子供の影。よく見れば、それはつい今まで頭に思い浮かべていた人物であった。その影はドアを閉めてから私の方へ数歩近付き、声色からも分かるほどに笑みを浮かべる。


「ご一緒してよろしいかな?ミス・」

「で構いませんわ、シリウス。……もちろんよ」


断れるはずがないに決まっているだろう、ドアを既に閉めたくせになにをいうか。有無を言わせぬ状況に流石時期ブラック家当主と言われている人物だな、と妙なところに感心してしまう。シリウスは私の隣に来ると、手摺りに背をもたれさせてネクタイを緩ませ、シャツを寛がせた。やけに堂々とサボリに来たな、とそれを横目で観察しているとシリウスはやや呆れた様子で、しかし口調はそのままに尋ねてきた。


「……驚きませんね」

「そりゃあ……羞恥の悲鳴をあげても構いませんが、貴方も疲れているのでしょう?それとも期待にお答えしたほうがよろしかったかしら」

「いや、助かります」


にこにこにこ。変わらない笑みを浮かべたまま彼と会話を続けるが、やはりここでも違和感を感じて推測を確信へと変えた。口の端を持ち上げたままの表情も疲れてきたところだし、と浮かべていた笑みを一瞬にして消すと「やめましょうか」と告げる。このままでは狸の騙し合いになりかねない。主語はなくても彼には伝わるはずだった。案の定、彼も私と同じように笑みを消して無表情に近くなる。


「まさかブラック家の御曹司がこんな方だったなんて」

「絶望ですか?」

「いえ、純粋な驚きと好奇心です」

「安心してください、弟はブラック家“らしく”育ってますよ。……あと、“それ”も演技ですよね?」

「……どうかしら?」

「あぁ、めんどくせぇ、もう無礼講でいいよな……これでも観察力はあると思ってるんだぜ、そうなのとそうじゃないのとぐらいの見分けくらい出来る」

「……、……そんなに分かりやすかったかな?」

「いや、たまたまあんたと父親の会話を耳に挟んだ。見事な猫かぶりようだな」

「光栄だね、とだけ言っておこうか。シリウスもなかなかの化けようだと思うけど?」

「恐悦至極でございます」


くく、という笑みが聞こえる。かのブラック家の御曹司がこんな人物だと知ったら他の人はどんな反応をするだろう、と半ば呆れながらその様を眺めた。爽やかな夜風が淡い空色のドレスをなびかせる。隣のシリウスの髪も同じようにさわさわと揺れた。


「家は元々自由奔放だけど、そっちはそうはいかないよねぇ」

「ホグワーツ入学までは大人しくしてやるけど、それ以降は……まぁ、な」

「なに、勘当されそうなことやるつもり?」

「グリフィンドールに入る」

「えっ?!は、グリフィンドール?!ブラック家なのに?!……ははぁ、ほんとに勘当されちゃうね、そりゃ。ていうか弟くんかわいそー」

「うっせ。俺の進む道は俺が決める、親にレール敷かれてたまるか」

「あぁうんそうですねぇ。まぁ頑張りたまえ」

「お前は?どこの寮が希望なんだよ」

「ん、まぁ、どこでもいいけど……御祖母様はスリザリンで御祖父様と母さんはレイブンクロー、父さんはグリフィンドールだし。レイブンクローかグリフィンドールかな?やっぱり」

「……まさに自由奔放だな、家は。……なぁ、もグリフィンドールに来いよ」

「んー、」


小さく笑みを漏らしながらどうかなぁ、と告げた。この不思議な一族のせいで少々厄介事に巻き込まれたことはあるが、それ以外ではなかなかいい方針だと思っている。どこの寮に属してもそこに傾かなければ、それでいいからだ。スリザリンにしても、グリフィンドールにしても。だから私はどこの寮に入るかは自分自身が決めるのではなく、組み分け帽子に任せようと思っていた。家にそういう決まりはないものの、大抵の人はそうやって自分の寮を選んできたと聞いている。


「……なぁ、こういう場所で……お前みたいな奴と出会えたことって、すげぇよな」

「ん?そうなのかい?まぁいいや、よかったね」

「運命かもな?」

「あはは、そんな不確かなもの、そうやすやすと信じられないよ」


しかしこの2年後、ホグワーツのグリフィンドール寮の談話室で再会したとき彼が全く変わってなかったものだから、その不確かな運命というものを信じてみようかとうっかり思ってしまった。




100807(なんか家の信念とかいらんかったような気が。笑 その設定は基本この話限定ということで。話はなかなか気に入ってるかもしれない。しかし父が謎である)