勝利を告げるその声は、届かなかったかもしれない



必要以上に辺りを見渡し警戒する彼、いや彼女に視線を投げかけると、いつになく不安げな表情を向けられた。今ここにいるのは俺と彼女のみであるから部下の目を気にしないでいられるといえど、今回の任務は不確定な要素も得になく、高度な戦闘技術は必要だが危険度はそんなに高くないはずだ。だからこそ副長も俺とのみという少人数の精鋭を遣わした。浮かない顔をして近付いてきたにどうした、と声をかけると彼女は微妙な表情のまま小さくうなる。そして眉根を寄せたまま、ただ、と静かに呟いた。


「嫌な予感がする、かも」

「……嫌な、予感?」

「うーん、なんていうか……しいて言えば、勘?」

「お前の勘は厄介だからな……どこが引っ掛かるんだ?」

「……やけに新選組の思惑通りっていう気がしない?あと向こうも相当の手練って聞いてるけど、やけに気配がはっきりしてる……ような」


首をかしげながらそう告げたの言葉は真実で、まさにその通りだった。しかしそこまで気にする必要があるのだろうかと思う反面、彼女の勘はなかなかに当たるということを知っているのでそう無下にはできない。さてどう対処しようか、と考えながらちらりと窓の外へと視線をやった。まだ外は、明るい。

今回の相手はこの宿屋に数日前から宿泊している長州の一派。数週間前から新選組にやたらと探りを入れてきており、つい最近新選組に紛れ込んでいた間者を見つけた。ここまでされては土方さんも黙っているわけにはいかず、拷問をさせて情報を吐かせたのはつい先日。正確に仕留めたい獲物だからこそ、名も姿も知れている新選組の組長たちではなく監察の自分たちがここにいるのだ。逃亡者を出すことなく確実に全員を仕留めること、それ以上もそれ以下も許されない。だからこそ彼女の“勘”をどうするべきなのか、考えなくてはならない。自分たちが動き出すのは夜が更けてからだ。残された時間は多くはないがある。


「今回の任務は失敗が許されない。……不安要素は取っ払う」

「でも、ただの勘だよ?」

「さっきも言っただろう……お前の勘は厄介だ」

「……じゃあどうする、時間は多くあるわけじゃないし」

「今から探りを入れるのも難しいしな……。とりあえずこの宿屋の周辺で詳しく気配探ってみるか」

「……俺が女装して潜入、って手もあるけど?」

「却下」




***




民家の屋根から表通りを見渡した。自分の後ろには木が生い茂っているので姿を見られる心配はない。眉根を寄せたまま右から左へとゆっくり視線を這わせて首を小さく傾げ、そして本日何度目か分からないこの動作をもう一度繰り返し、背後の木の枝に移って地面へと下った。おかしいほどに、引っ掛かる場所がひとつもない。それは喜ぶべきことなのか怪しむべきことなのか、今の段階では判断しかねるので始めに山崎さんと約束していた場所へと道を辿った。


(やっぱり……私の考えすぎ?)


土方さんが警戒し過ぎているだけで、相手にこれ以上のなにかがあるわけではないのかもしれない。あるいは、私の勘はやはり勘でしかなかったか。それならいいんだけどなぁとまたもや首をかしげつつ、地面を軽く蹴って山崎さんとの待ち合わせ場所に一気に近づいた、途端。


「っ……!」


その場所まであと一歩というところで慌てて足を止めた。薫るのは血の臭い。刀と刀がぶつかり合うかすかな金属音もする。すでに戦闘は始まっているのだ、山崎さんがひとりの状態で。


(なんで……)


相手は夜にならないと宿屋に戻ってこないはずだ。今はまだ日が高い時間帯であり、いくらなんでも早すぎる。自分自信が感じていた“嫌な予感”とはこのことだったのだろうか。しかし今はそんなことを考えている場合ではなかった。山崎さんがひとりで戦闘に入っているのなら、それを援護しなくては。焦る自分を抑え込むように落ち着かせ、腰に佩いてあった刀の柄に手をかけた。ゆっくりと気配を探る。7人。山崎さんひとりでは苦しいが、2人なら。


(……いけるっ!)


強く地面を蹴って、山崎さんと約束していた場所に駆けこんだ。山崎さんはやはり苦戦しているようで既に所々に傷を負っている。彼の俊敏な動きでそれは浅いものだと分かるが、それでも傷があることには変わりない。私の登場に山崎さんは目を剥いたが、それはほんの一瞬ですぐに戦闘態勢を移した。山崎さんに斬りかかっていた相手に後ろから止めの一撃を入れ、すぐに刀を引き抜く。一瞬にして紅に染まった刀の露を払ってから山崎さんの左へと並んだ。敵の刀を受け止め流し、袖に潜ませていた小刀で胸のあたりを狙うと、相手は呻くような声を出しながら崩れる。


「遅かったな」

「予定と……違うじゃない、かっ!」


カチンッ、と高い音が響く。力で押されて後ろに傾いだが、上手く体制を取りなおしてそのあとの攻撃も受け流した。一度に何人も、しかもそこそこ強い相手が斬りかかって来るので、山崎さんと2人で片づけているといえどなかなか手ごわい。頬に飛んできた返り血を拭うと、いつのまにか切れていたのか口内で鉄の味がした。まずい。相手の攻撃が止んだ隙に飛び退くとざっとあたりを見渡して人数を数え、すっと目を細める。そんな私の表情の変化に気づいたのだろう、相手と距離を取り傍まで来た山崎さんの視線を感じて囁いた。


「いつのまにか増えてる」

「なにっ……、……どうなってる」

「外部に連絡取った奴がいるな。やはり近くに潜んでたか、あるいは……」

「……こちらの計算違い、ってことか」


おそらく後者だろうと思いながら、再び斬りかかってきた相手と刀を交わす。人数が増えた上にこれからも増える可能性がある以上、こちらも新撰組の屯所と連絡を取りたいところだがそれは叶いそうにもなかった。今ここにいるのは私と山崎さんのみ。情報伝達に動けるほどこちらの戦力に余裕があるわけではない。袖や懐に隠してあった小刀を上手く使って次々と相手を絶命させながら相手の人数の増加にも気を配っていると、人数は更に増えており倒れた人も数えると15人へとなっていた。2倍か、と舌打ちをしながら血脂で切れ味の悪くなった刀を袖で勢いよく拭う。もうこんな状態となっては黒装束の心配なんてするか、さっさと全滅に追いこんでやりてぇ、と心の中で悪態を吐いてぴっと刀の先を襲いかかってきた相手の喉元に合わせた。そのまま、気味の悪い肉の感触を感じながら切り裂く。

完全に相手を絶命へと追い込むそのような行為を幾度となく繰り返し、時には傷を負いながらまたは返り血を浴びながら任務を忠実に遂行する。山崎さんもその手腕で次々と相手の集団を切り崩しているようで、少しずつではあるが立っている人の数が減少していた。なんとか、なりそうだ。少しの安堵と心配と、まだまだ落ち着くわけにはいかないというという重い警戒を携えて、またひとり、ひとりと確実に喉あるいは心の臓を斬っていく。全身返り血と自身の怪我でどす黒い紅に染まりながら、じり、と相対している相手と距離を取っていると、山崎さんの鋭い私の名を呼ぶ声が聞こえた。珍しい切羽詰まったそれに驚いてぱっと山崎さんのほうを振り向いた、刹那。


「か、っ……は、」

「っ!」


斬られた。なかなかに、深い。げほ、と咳き込むとかすかに紅い飛沫が散るのが分かった。内臓をやられた。呼吸をすることが困難に感じるところをみると、肺をやられたのかもしれない。山崎さんが相手をしていた奴が急に私のほうへと転換したのだろう、私に斬りかかってきた奴は山崎さんに一刀されていた。ひゅ、と息をしながらこれぞとばかりに斬りかかってくる真正面の敵を、小刀を喉笛に投げつけて始末する。振りあげられていた角度から落ちてきた敵の刀が頬を掠めてぴりっと小さな痛みが走った。しかし斬られた腹と比べればそんなささいな怪我など今は構っていられない。


「っ……おいっ、!」


珍しく山崎さんが私を名前で呼んでいる。いつもは苗字で呼ばれているせいか、やけに新鮮に思えた。自身がこんな状況ながらやけに呑気だなぁと人ごとのように思いつつ、ぎりっと歯を食いしばる。まだ数人残っているはずだ、しかし今の自分では刀を振ることはおろか立ち上がることさえ難しそうだった。


(く、っそ……!)


視界がくらりと揺れて、黒く霞がかかったような感覚になる。意識が遠のく前触れだと今までの経験で分かっていたが、どうすることもできなかった。自分が深く切りつけられたことは自覚していた。このまま死んでしまう可能性だってあることも。まだ終わっていないというのに、まだ戦わなくてはいけないのに。しかしその意に反して、そのまま早急に意識を失った。




100815(結局、前後編で消費することにしました。とりあえず前編。後編に続きます。前半は山崎視点、後半は夢主視点となってます。一応後編がメインなのでプロローグみたいな?にしては長いか。笑 )