届かなくたって、僕は君を



意識不明の重傷。医者である松本先生にも、もう自分に出来る術はないと告げられた。微かな鼓動でまだ命が続いていることだけが確かで、このまま彼女は死んでしまうかもしれないし永遠に意識が戻らないかもしれない。目を覚ます確率は3割。残りの7割は死へと繋がる。もうどうしようもない最悪な状況であるのは分かっているが、そのことを口に出す人は誰もいなかった。その3割を祈り、彼女が目を覚ますことを願い続けて今日で3日目。彼女が戦闘で怪我を負ってから4日がたった。

井戸から汲んできた水が入っている桶を布団の傍らに置き、自分も彼女が眠るそばに膝をついた。彼女の細い左手を取って脈を計り、青白い頬にほのかな温かさがあるのを確認する。恒例となっているそれらの動作を終えると、安堵の息を吐いてから足を崩した。


彼女が意識不明に陥ってから3日が経つ。局長や副長は勿論、幹部の人たちや一部の平隊士も気が穏やかではないということを感じていた。ぴりぴりするような殺伐とした空気に怯えている雪村君を不憫に思う。けれども理由がはっきりと分かっている上に納得もできるので、その原因に注意を促すことなんてできなかった。かくいう自分もそんな人たちの一員だと分かっているから、尚更。

いま彼女を失うことは新選組にとっても俺たち隊士たちにとってもかなりの痛手となるに違いなかった。これから本格的な戦が始まろうとしているときにという大きな戦力を失うわけにはいかない。さらに、いまや新選組が新選組であるためには彼女はなくてはならない存在だった。監察という職務上、表に名が浮上することはないものの新選組内での彼女は密かに人気があった。それは彼女の人柄が大きく影響しているからだが、根本的な性別のことも知らぬうちに感じ取っているから、という可能性もあると俺は思っている。


そこまで考えたところで人が近づいてくる気配を感じ、崩していた姿勢を正した。ここに来る人物は限られており、さらに気配を隠そうともしない足取りに人物の目星をつける。そして足が擦れるかすかな音が止まり、予想通りである声が聞こえた。


「山崎君、いるかい?」

「……はい」


返事を告げて数秒経ってから襖が静かに開かれる。そこにいたのは微妙な表情をしている松本先生で、自分の顔が強張るのが分かった。良い知らせでは、なさそうだということを感じずにはいられない。松本先生は部屋に入り、を挟んで俺の向かいに腰を下ろした。この数日でそこが松本先生の定位置となっている。そして先生はさっと一通り診察を終えてしまうと、一息ついてから静かに口を開いた。


「……様子はどうだい」

「変わらず、としか言えません」

「そろそろ……最悪の事態も、考えておいたほうがいいかもしれんなぁ」


そっとの額の髪を払いながら松本先生はそう告げる。自分も医療に関しては多少の知識を持っているので松本先生の言葉に取り乱すことも怒りを覚えることもなかった。それが事実なのだ。が眠りについて3日が経つ。1日目は高熱が続き、2日目は怪我が膿んだ。今日は熱も引き怪我も昨日ほど膿んではいない。しかし驚くほど顔の血の気が引いていた。それはまさに、死んでしまったのではないかと錯覚するほどに。


「彼女が……このまま目を覚まさなくても、変若水を飲ませることは、しないそうです」

「……彼女の意向かい?」

「……幹部の方の、答えです」


そうかい、と松本先生の小さな声が聞こえた。彼女自身は変若水を飲むことを望んでいたかもしれない。しかし彼女自身から変若水の意向を直接聞いた者はいなかったらしく、幹部で話し合った結果こうなったそうだ。最終決定を下したのは局長だと聞いている。その決断に、それだけの人が一喜一憂しただろうか。それを考えるのは無駄だと分かってはいるが、そう思わずにはいられなかった。そ、との頬に触れる。冷たいけれど、まだ死んではいない。はたしていつまでこの状態が続くのか。

それから暫く経ってから松本先生がゆっくりと立ち上がった。部屋の外まで見送ろうと立ち上がりかけたのを制されて、再び腰を下ろす。障子を開いてそのまま部屋から出ていくのかと思いきや、その一歩手前で松本先生は動きを止めて、振り返った。哀しみのような諦めのような笑みを浮かべながら、静かに告げる。


「持って、3日だろう。……最後まで、看取ってやりなさい」


その言葉から滲み出る意味を解するのに時間は必要なかった。松本先生は確信があって告げている。嗚呼、彼女は、もう。もう二度と、目を覚ますことはないのだろう。きっと覆ることのないその事実をかみしめるように心の中に刻み込んだ。哀しさで溢れそうな想いがあったけれど、今はなんとか押し留める。このことは誰にも漏らしてはいけないよ、という松本先生の言葉にかろうじて頷くと、松本先生はひっそりと部屋を出ていった。

今までたくさんの人を殺してきた。間近で命の尽きる瞬間を何度も目にしてきた。見捨てたときもあった、救おうと努力しないときもあった。仲間の命をこの手で奪ったときもあった。そんな自分に、彼女の死を悼む権利など本当は無いのかもしれない。それでも。


(……、)


彼女にだけは、生きていてほしかった。この先に何があろうとも生き抜いてほしかった。俺が彼女に望んでいたことは、ただそれだけだったのだと漠然と思い知った。

今にも息絶えそうな彼女だけれど呼吸はまだ止まっていない。最後まで、彼女の傍に。松本先生に言われた通り、彼女の最後を看取ること。それが今の自分の使命なのだと信じて疑わなかった。




***




ゆらゆらと細く煙がたなびく。あの煙でさえも彼女な一部だったのだと思うとなんともいえない気持ちになった。その細い煙を見つめながら、ゆっくりと瞳を閉じる。の呼吸が止まったのはちょうど夜明けのときだった。ゆっくりと朝日が昇る中、まるでそれにさらわれるようにして彼女は静かに逝った。発作もなにもなく、綺麗に美しいままは永遠の眠りについた。


少し震える手を合わせて彼女の冥福を祈ってから、俺はその場を後にしてまず副長のところへと向かった。元々覚悟はしていたのだろう、副長は俺が姿を現すと状況を理解したようで、片手で顔を覆いながらゆっくりと震えるような息を長く吐いて「……逝ったか」と静かに告げた。それにただ頷くだけの動作で返事をすると、副長はそのままの格好でそうか、逝ったか、と繰り返した。そして暫く経ってから顔から手を離すと、いつもの表情でこの後の指示をてきぱきと出した。いつもと変わりなく見える彼だが、心底どんな思いを抱えているのかは考えなくても分かった。

やがて新選組中にの死が伝わったころには、副長が急いで書いたの実家 への文書の返事がきていた。家から勘当したのだから彼女が入れる墓は無い、生前の彼女もそれを承知しているのでそちらで火葬してほしい、という旨の返事が何度か目にしたことがあるの兄と共にやって来た。勘当したとはいえど彼にとっては妹だ、ちゃんと見送りたいと反対を押し切ってやってきたのだという。連絡は入れてあったのだろう、取り乱した様子のない彼を見るのは逆に辛かった。

幹部や監察の面々のみで簡単に告別式を済まし、そのまま火葬場に向かって彼女の最後を見送った。みんながそれぞれ黙ったまま、細い煙を見つめていた。雪村くんの嗚咽だけが静かに響いている。早くから耳にしていたため心に余裕があるのか、副長が彼女を宥めるように頭や背中を撫でているのが分かった。


「山崎くん」

「……咲矩、さん」


ぼうっと煙を見つめていると、の兄である咲矩さんがいつのまにか俺の隣に来ていた。なにも話さないで黙っていると、咲矩さんはやや呆れた口調で「土方から聞いたよ」と告げる。


「を看取ってくれたの、君なんだってね。……兄として礼を言うよ。ありがとう」

「……いえ。自分は、なにも……」


していません、と告げようとしたらまるでそれを阻止するかのように咲矩さんは 「はさ、」と唐突に話し出した。


「12のときに家出して……でも馬鹿だから15のときに見つかってさ。家に縛られたくない、みんなのところに帰りたいって喚くから勘当して自由にさせてやったんだけどね」

「……」

「俺にとっては大事な妹だし手放したくなかったんだけど。でもまぁは籠の中でじっとしてるような奴じゃないし。代償は大きいけれど俺は事実上“妹”を……消した。たまーには、会いに来ちゃったけどな」

「……はあ」

「なにを言いたいのかってね、山崎くん。……俺はちっとも怒ってないんだよ。確かにの死は、哀しいし早過ぎると思った。でも、いつ死んでもおかしくない世界で生きることを許したのは俺なんだ。の思う通りに人生を駆け抜けてみろって、好きなように生きろって実際言ったし。……の死を、君が背負う必要はないんだよ」


そこで初めて自分はの死をどこかに背負おうとしているのだと知った。咲矩さんの言葉はまっすぐで暖かくて、なぜかに言われてるような気がした。の死が明らかになってからずっと涙の気配などまったくなかったというのに、無性に泣きそうになった。




100816(後編。途中の段階で死のうか生き返ろうかかなり悩みましたが結局死ネタ。しかしあんまりしんみりしすぎるのは嫌だなと思ったのですがあれぇ…。山崎さんは泣かないと思います。泣きそうになっても泣かない。最終的にお兄さん出て来ていいとこどりな状況に。笑)