この間隔が秒後もあればいいのに


「きみ、祓魔師?」
「おん?…誰やあんた」
「誰だと思う?」
「…幽霊?」

しとしとと雨が降る中、出張所の中庭の屋根がある場所で休憩がてら携帯を弄っていたときである。ひょいと姿を現したその幽霊は俺の言葉を聞くや否や、ぷぅと頬を膨らませてきみって残酷だねと呟いた。残酷もなにも透けている足元を見れば一目瞭然なので、非難されるほどのことは言ってないと思うのだが。

祓魔師とは人間ではないものを祓う職業ではあるが、害のないただの幽霊を祓うほどの暇なわけではない。出張所に現れたということはこの場所になにか未練があるのかもしれないがそんなの自分の知ったこっちゃなかった。ただ、この出張所に現れるなんて物好きなやつだなとは思ったけれども。

「ねぇ、きみのその頭」
「あん?」
「きれいだね。雨粒が反射して、きらきらしてる」

その幽霊はにこりと笑みを浮かべてそう言った。今まで付き合ってきた恋人たちの中に俺のこの髪が太陽の光に反射しているみたいだと比喩した人はいたものの、雨粒に比喩されたことはなかったとふと思う。雨粒か、それも悪くない。どちらにせよ染めたこの髪を褒められたことが嬉しく、俺はそれまで開いたままだった携帯をパコンと閉じるとその幽霊に向き合った。

「自分、ここに未練でもあるんやろ?なんやったらこの金造様が手伝ったるで、はよ成仏せぇや」
「きみ、キンゾーっていうの?」
「おん、志摩金造な。自分は?」
「…
「ほぉか、ほんだら、自分はなにが未練なん?」

幽霊なので足が地面についているわけではないけれど、それでもの身長は俺より低く彼女を見下ろす形になってしまった。は俺の言葉に一瞬目を丸くしてから、ふにゃりと気の緩むような笑みを零す。にはつい先程初めて会ったはずなのに、なぜかその笑みが彼女らしいのだと確信を抱いている自分がいた。

「ごめん、」
「は?」
「時間切れ。じゃあまたね、金造くん」
「え、ちょまっ……?」

が急に謝罪したかと思うと、彼女はふわりと風に溶けるように姿を消した。を留めようと伸ばした手は空を切り、掴むものを失ったそれは虚しく空気だけを握り締める。じゃあまたね、ということはまた会えるのだろうか。そんな淡い期待を寄せながら、俺は名残惜しげに中庭を去った。いつの間にか雨は止んでいた。


***


「あ、雨や」
「ほんまや。…警邏で外に出とる奴ら、大丈夫やろか」

休憩室で珍しく柔兄と鉢合わせた時だった。いつも忙しい柔兄と休憩時間が合うのは久しぶりで、他愛もない話をしていたときに柔兄がふと窓に視線を向けて雨が降っていることに気づいたのである。すぐに同僚を気遣う言葉が口から滑り出てしまい、柔兄はそれに笑いながら「大丈夫やろ、そろそろ交代の時間やし」と答えた。単純な俺はその柔兄の言葉に頷いて、先程自分がいれた温かい緑茶を啜った。きっと柔兄の言葉には人を安心させる力があるのだとつくづく思う。

「そういや金造知っとるか?中庭の幽霊の話」
「幽霊?」
「おん、なんでも雨の日にだけ出てくるらしいで。名前は…えーと、」
「…?」
「あぁそれ、…金造知っとったん?」
「何回か会うたことある」

なんやぁつまらんなぁ、と柔兄は笑いながら窓から視線を外した。俺はそんな柔兄を見つめながら、そういやと会うのは決まって雨の日であったと気付く。今まで意図していたわけではないのだが、今日みたいな雨の日に中庭に行けばに会えるのではないか。しいて強く会いたいと思うわけではないのだが、彼女がこの出張所に留まり続ける、そして雨の日にしか姿を現さない理由が今更ながら気になった。ただの好奇心だが。

「俺会うたことないんよなぁ。噂は聞くんやけど」
「雨の日に会える、て分かっとるんに?」
「雨の日でも、姿現さんときのほうが多いんやて。気が向いた時に試しとるんやけど、俺相性悪いみたいや」

そう告げると柔兄は時間だからと休憩室を出ていった。祓魔一番隊の隊長というのはそう軽いものではないのである。俺も湯呑みに入っていた緑茶を飲み干すと、湯呑みを片付けて休憩室を出た。休憩が終わるまでまだ大分時間があるので、ふと思い立って中庭へ通じる廊下を歩く。柔兄の言葉が本当ならば、今までに会えていたのは単なる偶然が続いただけであり、今日も彼女が姿を現すという保証はないと分かってはいるのだが。廊下に立ち込めるじっとりとした湿度に、雨の匂いを感じた。


***


「あ、金造くんだ」
「…なんや、おるやん」

いなくてもいい、ちょっとした好奇心故の行動なのだから。そう思いつつ微かに期待を抱きながら中庭を覗くと、そこにはがいた。柔兄が相性が悪いみたいやとぼやいていたことを思い出し、自分は彼女と相性が良いということなのだろうかと勝手なことを思う。もしそうだったならば嬉しいと素直に感じた。

「なんやってなに、いちゃ悪いわけ?」
「そういうわけやない、を見かけるんは珍しいって…聞いたで」
「…そうかなぁ。雨が降ってるって気付いたときには、大抵来てる気がするんだけど」

はそう言いながら、金造くんこっちおいでよと俺を中庭の隅にある大きな木の下まで誘った。それは樹齢数百年の巨樹で俺とが根本にいても雨粒がかかる様子は全くない。は巨樹の幹にトンと背中を預けて天を仰ぎ、俺も同じようにして空を見上げた。濁った色をした雨雲が立ち込めているが、前方には青空が見えている。今まで何度か味わってきたくせに、と一緒にいられる時間は限られているのだと、急に胸を突かれるごとく気付かされた気がした。

「なぁ、なんで雨の日にしか出てこんの?」
「え…」

尋ねてみたのはが早く成仏してほしいという思いが3割、単なる好奇心が7割だった。と雨の日に何度か会えて喋れたのは楽しかったけれど、それとが成仏できていないという事実は話が別である。祓魔師としてを祓うことはしない、けれど成仏してほしいとは思っていた。幽霊がこの世に居続けたら、悪魔に堕ちてしまう可能性も無きにしもあらずなのだ。

は一瞬戸惑うような声を漏らしたものの、すぐにへらりとした笑みを浮かべる。堅いそれはただのごまかしだと瞬時に気付いたけれど、なぜかその先を問いただすことはできなかった。

壁があるのを感じた。俺との間にある、目には見えない透明な壁が。そう何度も会ったことがあるわけではないが、俺はに心を許していたしきっともそうだと思っていた。けれどそれはただの俺の思い過ごしだったのかもしれないと、初めて気付く。が一気に遠くなったように感じた。

「…雨が、」
「え?」
「雨が、降ったときに…また会いにきてくれたら、うれしい」
「え、ちょお、…っ」

雨が上がって青空が広がると同時に、はふと溶けるようにして目前から消えた。途端に溢れるのは虚無感と、かすかな切なさ。確かに疼く胸の痛みに、これは恋なのかもしれないと漠然と思った。そして納得したようにストンとその感情は心に落ちてくる。俺がに抱いていたのは好奇心ではなく恋情であるということに、無性に泣きたくなった。次の雨の日が待ち遠しくて、せつなかった。


***


次の雨の日はなかなか来なかった。やっとやって来たのは、最後にと会ってから3週間後の夕方。最近雨が降らなくて見回りが楽だと警邏隊の同僚は言っていたけれど、俺にしてみれば苛々が募るだけであった。

のことが好きなのだと気付いてから、彼女に会いたいという思いがしとしとと積もっていた。けれど晴れの日が続き、会えない日が一日一日長くなっていく。会いたくても会えない、会いに行くことすらできないという事実は歯痒くて仕方なかった。

そんな中やっと迎えた雨の日である。前回に微妙な別れ方をしたので彼女が姿を現してくれるか不安だったが、仕事に区切りをつけて中庭を覗くといつもの場所にはいた。

「…、」
「あ、金造くん。お仕事お疲れさま」

一言声をかけてのそばに行くと、はいつものように隣に俺のスペースを空けてくれた。今まで毎日のように会いたいと思っていたはずなのに、いざ顔を合わすとなぜか言葉が出てこない。俺が無言での隣に並ぶと、はしばらく思案するように口を閉ざしたままでいた。彼女の瞳は正面をまっすぐ見ているようで見ていない。焦点はそこにはなく、どこか遠い彼方を向いているような気がした。

「…俺は雨の日って、外で遊べんし、仕事もしづらいし、気分は下がるし、あんま好きやなかった」
「…うん?」

唐突に話を始めた俺には首を傾げながら相槌を打った。俺は遥か彼方に見える青空がどんどん近付いてるのを感じながら、まるで自分の心を急かすかのように言葉を紡ぐ。もともと頭で考えてから喋ることは得意ではないのだ、思うことをそのまま口に出すほうが性分にも合っていた。

「でも、こうやって雨の日にに会えるんは、嬉しい。やから雨の日も悪ないなって、思った」
「…、きん、」
「晴れの日もに会えたらって思う。でも、はよ成仏してほしいとも思う。…矛盾しとるけどな」

前回うやむやにされてしまったけれど、これはに伝えておきたいことであり、確認しておきたいことでもあった。会いたいときに会えない、次の機会が確実にあると分かりきっているのに自分ではそれをどうしようもない。それはあまりにもせつなかった。また会えると分かっているからこそたちが悪い。

そう苦笑を零すと、はまるで笑うのを失敗してしまったかのように曖昧で困った笑みを浮かべ、そしてやがてくしゃりと顔を歪ませた。

「…金造くん、ごめんね」
「は?」
「ありがとう、おかげで私、心残りが消えたよ」
「えっ!え…なん、」
「あ、時間だ。さよなら、金造くん」

今まで別れ際に聞いていた「またね」でも「じゃあね」でもない、さよならという言葉を聞いた瞬間、呼吸が一瞬止まったように感じた。いとも簡単にさよならを告げたに、自分と彼女はこれまでなのだろうかと思う。やる瀬ない焦燥感が募り、行き場のない手が宙をさ迷った。待てや、俺はまだになにも。

いつもは風に溶けるように消えていくのだが、今日のは雨粒が弱くなっていくにつれてどんどん薄くなっていっているように感じた。いつもとは違うその様子は、が本当に消えてしまうのだということを強調しているようで。ぱくぱくと口を動かすけれどなかなか言葉が出てこなかった。、とようやく搾り出した彼女の名前はなんとも情けなく響き、そんな自分に唇を噛む。カッコ悪いな、俺。

「そんな顔しないでよ」
「や、やって…急すぎ、」
「…晴れの日も私に会いたいって、言ってくれたのはそっちじゃん」
「そうやけど、……え?」
「さよなら、金造くん。またね」
「えっ!?ちょ、、どういう、」

の言葉の端々から匂う再開の兆しにどういうことかと本意を問おうとするけれど、はゆるりと微笑むだけで。今にもの身体が消えそうなとき、微かに動いた彼女の唇が紡いだ言葉はよく聞き取れなかった。

やがて消えてしまった彼女の跡はなにもなかった。ただ残されたのは、彼女の意味が分からない再開を匂わせる言葉と、うっすらと青空に架かる雨上がりの虹だけだった。


***


数日後、出張所で勤務をしていればなにやら廊下が騒がしく、何事かと耳をそばだててみればどうやら出張所に幽霊が実体を持って現れたという噂が出回っているらしい。まさかと思いながらも少しの可能性を諦めることができず、廊下に飛び出して勘を頼りに出張所内を駆け回った。

やがて後ろ姿をみつけるなり、その背中に抱き着いた。あたたかい温もりは彼女が生きていることを示しており、彼女の驚く制止の言葉も聞かずにただただその背中を抱きしめた。そばの窓からは、やわらかい陽射しが俺とをあかるく照らしている。

もう、晴れの日にも雨の日にも会えるよ。そう呟いたの言葉に、おん、と涙声のカッコ悪い返事をした。



120620(天気予報さまに提出させていただきました。素敵企画に参加させていただいてありがとうございました!)