「嫌なん?」
「え、あ、いや、その、」
「なんや、はっきりせぇや」

口の中が急速に渇いているような気がする。きっと今の私は阿呆面をしているだろうが、それを隠すことのできる両手は柔造によって拘束されていた。従って私は熱を持った頬も隠せないままぱくぱくと口を動かす。腕に力を込めてみるけれど、その度に柔造に強く押さえ込まれて、まるで離したらんからなと言われているような気分だった。床が肩甲骨に当たって痛い。私がのけ反りかえっているせいでもあるのだが。

この体制になってどれだけの時間が経っただろうか、私はようやく落ち着きを取り戻していた。まさか、こんなことになるとは思わなかったのだ。柔造が私の家に来たいと言うのに下心を感じないわけでもなかったが、彼ももう出会った頃のような盛りの高校生ではないのだ、こう、部屋に入った途端押し倒されるなんて予想だにしなかった。いま私を押さえ込んでいるしっかりとした身体つきは、あの頃とはまったく違う。高校のころの勝負ではまだ私にも勝率があったというのに、もう今ではそれが敵わないのだ。体力的な問題にしろ、技能的な問題にしろ。それをむざむざと思い知らされているような気持ちになった。

「いや、なんていうか…やっぱこの年になると、こういう関係になるんだね」
「そらそうやろ。俺あれでも我慢しとったんやで、高校んとき」
「あれでも?」
「…全部未遂やったやん」
「みす…いや、うん、そうでしたけど」

未遂、というその言葉に恥ずかしくなり顔の熱が上昇するのが分かった。確かにキスより行き過ぎた時もあったけれど、完全に一線を越えたことはなかったはず。あの頃は、未遂で終わった。じゃあ今は?

「なぁ、もっかい聞くで。嫌なん?」
「…いや、っていうか…恥ずかしいし」
「そんなん俺もやわ」
「全然そう見えないけど?!」
「あからさまやったらかっこわるいやろ。…え、まさかほんだけ?恥ずかしいってだけで俺拒否されとるん?」
「…………」
「…沈黙は肯定とみなすで。ほんだら脱ぎぃ、
「は?!へ、変態!」
「なら俺が脱がしたるだけやけど」
「まっ、こらまてまてまて!」

急に私の服をべろんとめくった柔造の腕を慌てて制止すると、柔造の寂しそうな目と視線が合った。それにうぐ、と口を引き結ぶ。そんな顔をさせたいわけじゃ、ないんだけどな。

「…なに、焦ってんの?」
「焦っとらん」
「うそつけ。…話してよ」

柔造は今度は困ったように眉を寄せて、そして小さくも大きくもないため息を零した。お前には言いとうなかったんやけどな、という前起きと同時に腕が開放される。私に乗り掛かっていた身を起こして床に腰を落ち着けると、柔造は床に寝そべったままの私には一瞥もくれずに口を開いた。

「俺もそろそろ、身ぃ固めんとあかん歳やん?」
「…所長になにか言われたの?」
「いや、言われとらんよ。まぁ無言の圧力っちゅうか、分かるんよなぁ。親子やし」

まぁお父は急がしてる気ないんやろうけど、と柔造はからりと言った。私はこれまでの会話の流れから思い至った推測に、寝そべっていた身体をがばりと起こす。

「…え、もしかして柔造私を娶る気?」
「他に誰がおるん?」
「え…え、…私明陀の人間じゃないし、親も…いないし、」
「気にしとらん」
「いや、柔造は気にしてなくても面目っていうもんがさ、ほら、なんてったって志摩家、」
「気にしとらんて」
「…所長、は、」
「何回言わすん?お父も気にしとらん。誰にもなんも言わせん」
「…じ、」

柔造、と彼の名前を呼ぶ声がつっかえてなかなか出てこない。ごちゃまぜになった感情がこころの中でぐるぐると渦を描き、情けなく口元が震えた。うれしい、なさけない、うそみたい、なんでどうして。

高校時代に付き合っていた柔造と再開したのは、今から2年半前、私が京都出張所に転勤してきたのがきっかけだった。当時は私にも柔造にもそれぞれ恋人がいたものの、気付けはまた私たちは恋人同士になっており、その際には大分出張所内を騒がせてしまったのは今でも忘れられない。確かにそのような話をされてもおかしくはない年齢ではあるし、覚悟もしてはいた。柔造と別れる覚悟を。

僧正の血を継ぐ志摩家の跡取りである柔造と自分では、縁組が決まるわけがないと思っていたのだ。もちろん柔造をこころからあいしていたし、真剣にお付き合いもしていた。けれど柔造は私ではなく、明陀の血を持つ由緒正しい女性と結婚するものだとばかり思っていた。そう思っていたのに。

柔造は起き上がって床に手をついている私の、くしゃくしゃになってしまった髪を梳かすように撫でた。すこし照れた笑みを浮かべながら、「、」と私の名前を呼ぶ。それはまるで魔法をかけられた瞬間のようで、私はふわりとこころがふるえた。

「すまんな、順番逆んなってしもた。…結婚しよか」



ヴィーナスに飛び込んで



震える声でいいの、と聞くと柔造は笑いながら、おん、と私に向かって両手を広げた。今までの望みが、叶わないと諦めていた夢があふれているそこに、私は迷うことなく手を伸ばした。



120710