、ご苦労さん」
「…お疲れさまです」

本部ふらりと戻ると、ちょうど対策本部室にいたらしい上司である宮嶋さんがひらりと手を振りながら迎えてくれた。それに苦笑を零しながら挨拶を返すと、労いのつもりか宮嶋さんに肩をぽんぽんと叩かれる。私の後ろにはリュウさんがいるため、宮嶋さんは彼に向かって部下がお世話になってます、と軽く頭を下げた。社交辞令だと分かってはいるが、むしろお世話になっているのはリュウさんのほうだろうと思わずにはいられない。

、しばらく待機な。休憩してろ」
「じゃあお言葉に甘えて…」
「あ、今日の分のデスクワーク積んどいたから。じゃあ会議行ってきまーす」

おー、行ってらっしゃい、と室内にいた人が宮嶋さんを送る声が聞こえる。私は彼に向ってひきつった笑みを浮かべながら「…はい」という返事と共に見送った。鬼か。

私は自分のデスクにあるであろう書類の束を思い浮かべてため息をつき、まぁ座っていられるだけマシかとリュウさんを振り返った。日本支部に着いてからというもののずっと東京を駆け回り、あまり本部には顔を出していなかったリュウさんはもの珍しそうに対策本部を見回している。

「リュウさん、どうします?客室もありますし、休みたいなら仮眠室に案内しますが」
「お前は?」
「…上司に押し付けられた書類片付けてきます」

げんなりとした様子で答えると、リュウさんは少し思案するような表情をしてから、着いていく、とぽつりと呟いた。

「…え、私にですか?」
「他にどこがある」
「で、ですよね。でも私仕事してますよ?」
「時間ぐらい自分で潰せる」
「…じゃあ、行きましょうか」

どこか腑に落ちないまま入ってきたばかりの対策本部室から出ていくと、リュウさんも後ろをついてくる。最近はリュウさんの後ろをついて歩くことが多かったので、前を歩くという少しの優越感を抱きながら宮嶋さんの執務室に向かった。我ながらなんという人間だ。


***


「わ、誰もいない。…みんな忙しそうだなぁ」

執務室に明かりはなく、意外に思いながらパチンとスイッチを押して電気をつけた。続いて入ってきたリュウさんにドアを閉めてもらい、適当にどこか座ってください、と声を掛ける。私のデスクだけではなくいろんな人のデスクに書類の束が見えて苦笑を漏らすものの、この執務室の室長でもある宮嶋さんのデスクにも夥しい量の書類が見えたので文句を言いはしなかった。室内の誰よりも仕事熱心で、誰よりも忙しいのは宮嶋さんなんだと分かっている。分かっているからこそ彼についていこうと思えるのだが。

「リュウさん、なにか飲みますか?」
「珈琲」
「はーい」

遠慮ない即答に少しだけ呆れながら、室内の給湯スペースに足を運んだ。珈琲をいれる準備をしながら、デスクに積まれていた書類を考えてこの後の行動を頭の中で整理する。まず自分のデスクの書類を片付けて、宮嶋さんのデスクに提出、時間に余裕があったらかわいそうな同僚のデスクにも手を伸ばしてやろう。リュウさんのことは放置になるがここに来ると選んだのは彼自身だ、退屈だろうとなんだろうと自分で暇を潰してもらわなくては。

シンクの流し台を向きながらそこまで考えていると、背後に人の気配を感じるがリュウさんだろうと予測できたので振り返ることはしなかった。珈琲はまだですよと呟くが、返事はおろか立ち去る気配すらなく、不思議に思い出したころに急に背中に体温を感じる。抱きしめられているのだと気付くまでに、阿呆みたいに数拍を要した。

「り、リュウ、さん?!」
「なんだ」
「ひ、」

驚きながら名前を呼ぶと、返事は耳元から聞こえてふるりと身体を震わせた。ちか、近い、近い近い近い!

リュウさんが嫌いなわけではなく、むしろ好きか嫌いかと聞かれると好きなほうだとは思うが、これは今日まで築いてきた私とリュウさんの距離を明らかに越えていた。抱きしめられていて、耳元から声が聞こえて。いつもより間近に感じるリュウさんに私の身体が強張るのを感じた。確かに、確かにリュウさんは少し変なところがあり、とてつもなくマイペース人間ではあるものの、一般的な基準でいえば容姿端麗で仕事はできるわ実は体力あるわで文句がない男の人だ。しかし、だからと言ってこんなにも急に距離を縮められたら、やはり、困る。

「あの、近、…あ、あの、」

近いです、と言おうとしたら先程よりも強く抱きしめられてその先は言えなかった。あの、あの、と阿呆みたいに同じ言葉しか出てこない。心臓が早鐘を打ち、身体が固まって動けなかった。どうしよう。

「…ウブな反応だな」
「あ、あの、ご自身はかっこいいということを、自覚してください…」

耳元でからかいを含んだように言われ、かあっと体温が急上昇する。リュウさんに急にこんなことをされて、私みたいな状況にならない女子がいてたまるか。そう思うものの、ことさら恋愛方面に対しては免疫がないと自負しているのでそう言い返すことはできない。身体が熱い、と思いながらリュウさんからの返事を待っていると、次に聞こえたのは少し真面目そうなリュウさんの声だった。

「お前にしか見せてない」
「は、い…?」
「…鈍いな」

話の流れについていけず、頭の回転が追い付かない。そのためリュウさんが私を抱きしめていた腕をほどき、くるりと私をリュウさんの方に向かせた一連の流れにも素早い対応ができなかった。されるがままにリュウさんと向かい合い、その距離の近さに背中をのけ反らせるとシンクが腰にあたって痛い。

「逃げるな」
「なん、」
「追い詰めたくなる」

とんでもない言葉が聞こえた気がして動きを止めると、そっとリュウさんの手が頬に伸ばされた。今の私にはそれを拒むことができず、まるで壊れ物を扱うような優しいリュウさんの手が私の頬に触れるのにそう時間はかからなかった。いつの間にか作り出されていた甘い雰囲気に、これはもしかするともしかするのでは、と思う。

どうすればいいのか分からなくてうろうろと視線をさ迷わせていると、すいとリュウさんの口が私の耳元まで移動して私の耳たぶを甘噛みした。「ひゃ、」と驚きの声を零して逃げようとするが、先程のリュウさんの言葉を思い出して逃げることを一瞬だけ躊躇する。そしてその一瞬の隙に、もう片方の手が私の腰に回った。びくりと身体を震わせると、くつくつとリュウさんの面白がるような笑みが聞こえる。

「目を閉じろ。雰囲気をぶち壊す気か」
「あ、でも、」
「…
「ひ、…っ」

名前を呼ばれ、ついに堪え切れずに目を閉じると、ゆるゆると生暖かい感触が唇に下りてきた。ん、と声を漏らすとより強く腰を寄せられて、慌てて押し返そうとリュウさんの胸に手をつくが私とリュウさんの距離が広がることはなかった。

「ん、んん…っ」
「…鼻で息をしろ。倒れるぞ」

リュウさんに言われた通り呼吸をすると、幾分か先程よりも楽になる。リュウさんを押し返そうとしていた手は、もはや力尽きて彼の胸に添えられるだけになっていた。

そんなにキスの経験があるわけではないのであまりどうこう言えないのだが、年の功とでも言えばいいのか、リュウさんのキスは格段に上手かった。離して、またキスをして。溶けそうなそれに、必死でしがみつくようにリュウさんに応える。

甘い雰囲気が立ち込める中、どこか冷静に、これはもう仕事どころじゃないな、と思っている自分がいた。



渦の中




130106(わー微妙なとこで終わってすみませんでもこれ以上いくと年齢制限かかるきがして(煩悩)