「あら、お兄さん初めて見る顔ねぇ」
「一見はお断りか?」
「んふ、うちの店がそんな堅っ苦しいものに見える?一見さんも大歓迎よ」

燃えるような紅いルージュは、にっこりと孤を描いた唇によく似合っていた。だがその強すぎる紅は自分の好みではないな、と率直な感想を頭の中で述べる。適当な椅子に腰掛けると、カウンターの向こうからおしぼりと水の入ったグラスが置かれた。流れる音楽はうるさすぎず、静かすぎず。カウンター越しにバーの店員と少し話をするにはわけないが、離れた席にいる客の話し声は聞こえない。だが、それはつまりこちらの声も聞こえないということを意味していた。洗脳された空間。誰もが他人で、同情と時間の潰し合いのためだけの場所。バーとはそんなものだ。そこでカウンターの向こうにいる店員に何にする、と聞かれて間髪入れずにジンを、と返した。

「いきなりジンなのね」
「問題ない」
「ロック?」
「あぁ、頼む」

そこまで告げると店員はガチャガチャと音をたてながらグラスと氷を用意し始めた。高濃度の蒸留酒。無性に、酔いたい気分だったのだ。だからといってジンとは飛ばしすぎただろうかと、氷を割る店員を見ながら少しだけ後悔する。

その時「ねぇ、」という声が聞こえてふと離れたカウンター席へと目を滑らせた。自分がこのバーに入った時点で、既にその椅子に着席していた女がいたのだ。カラン、と彼女のグラスの中の氷が音をたてて液体の中に沈んだ。彼女の瞳と視線が絡まり、その読めない目に、ピリ、と背筋に緊張が走る。まさか同業者かと、身構えていることを悟られないようにポケットへと手を近付けた。

「おにーさん。ひとり?」
「…悪いか」
「いや。私もひとりなんだ。ご一緒していいかなぁ」
「は?」
「エコさん、いつものお湯割りちょうだい」
「オッケー」

尋ねるような口調だが、それとは裏腹に彼女は既に荷物とグラスを持って隣まで移動していた。酔いたい気分だったので追い払おうかと思ったが、カウンターの向こうの店員と仲よさ気に話している姿を見てやめる。少なからず彼女は酔っているようであったし、面倒事が起きたらそれこそ面倒だ。さっさと飲んで、次の店に向かおう。やはり、なんとなく目に入ったバーに入るというのは、やるべきではないな。そう思いながら出されたジンを受け取った。

「なに、彼女にでもフラれた?顔の綺麗なおにーさん」
「なぜそうなる」
「ハズレか。ジン飲むほどだから、なにかあったのかなって」
「…特に何も」

グラスを傾けてジンを一口飲み込むと、きつい濃度の酒が熱く喉を焼いた。そのまま胃まで液体が下る感覚に、小さく息を吐く。きつい。だが、気持ちいい。

「へぇ、ジン飲んでも平気なんだ。かわいい顔してなかなかやるんだね、おにーさん」
「酒が弱そうだと?」
「うん。だってかわいい顔だもん。いいね、綺麗なお顔。大事にしなきゃだめだよ」
「嬉しくないな」
「うん、知ってる」

どうやら隣の女は性悪なやつらしい。ふふ、と笑みを浮かべるその顔は、化粧で隠されているがまだ大分若いのではないだろうか。ここのバーにはどのような客が来るのかは知らないが、彼女が普通の人間にはどうしても見えなかった。だからといって彼女が何者かは、分からなかったが。

「…うん、つまんない」
「は?」
「つまんないね。ごめん、エコさん。今日は帰る」
「あら、そう?気をつけてね」

チャリン、と硬貨をカウンターに置いて唐突に彼女は立ち上がった。あくまで笑顔を絶やさない彼女は、スーツのジャケットに素早く手を通すと少ない荷物を手に颯爽と自分の隣を通り過ぎていく。引き止めるほどの女ではないし、きっとこれっきりの出会いだろう。一緒焦ったが、そう冷静に思い直して再びグラスに手を伸ばしたときだった。バーのドアの前で彼女の靴音が止まったかと思えば、「あぁ、そうそう」と彼女はまるでわざと俺に聞かせるような大声で話し出す。

「このバーには同業者多いから、そのリング外したほうがいいよ。リュウ・セイリュウ」
「…なっ?!」

慌てて振り返ると、丁度ドアが閉まるところであった。小さく舌打ちを零すと、先程の彼女と同様に黒いスーツのジャケットを素早く羽織りながら硬貨を何枚かカウンターに乱暴に置く。

「あら、あなたも行くの?」

店員の声が聞こえたが、それを無視して店を飛び出した。手荷物はもともとない。左右を見て、直感で左に進んだ。走りながらポケットにある銃とナイフを確かめて、再び舌打ちを零す。

彼女が告げたリングとは、きっと左の人差し指に光るこのリングのことだろう。自分が属するマフィアのトレードマークでもあり、身分証明でもあるそれ。他のマフィアグループには通じるが、民間人にはきっと普通のアクセサリーに見えるはずのそれ。自分の勘は当たっていたのだと、数分前の自分を恨んだ。彼女は普通の民間人ではなかったのだ。むしろ、同業者である可能性が高い。彼女がどこに属しているのか、それは今の自分に判断できることではなかったが、向こうは自分のリングを見抜いただけではなく名前さえも言い当てていた。あまり褒められたことではないかもしれないが、裏の業界ではそこそこ顔も名前も知られている自負がある。

「…っくそ、」

息を短く切らしながら辺りを見渡した。彼女の姿はもうどこにもない。うっすらと滲む汗をシャツで乱雑に拭うと、唇を噛み締めながら踵を返した。



彼女




120127(リュウさんのスーツ姿やばいね)