巣喰われた白昼夢



「はひ?リュウ・セイリュウ?」
「そ。台湾支部からの応援らしいわ」

パリン、と固いお煎餅が割れる音が休憩室に響いた。目の前で私と同様に固い醤油味のお煎餅を咀嚼している霧隠さんは、ピラ、と写真がクリップで留められている書類を私に差し出す。私は手がお煎餅で汚れていないのを確認してからそれを受けとった。まず目につくのは写真に写っている色素の薄そうな髪と、無表情の難しそうな顔。

「ふぅん…綺麗な顔ですね」
「それで三十だから詐欺だよなぁ」
「えっ?!さ、三十歳?!」

書類を流し見て年齢の欄を確認すると、確かに三十と書いてある。書いてあるが、だが、この顔で三十はないだろう。そう思いながら写真を凝視している私の心が読めたのか、霧隠さんは「、見すぎ!」と大爆笑しながら新しいお煎餅の袋を破いた。

「や、だってこれ…私と同じくらいって言っても通じますって」
「まぁ、外見の割に実力は確からしいから、それ本人に言ったらシメられるぜ」
「え?あ…ほんとですね、上一級祓魔師…」

つーか仮にも祓魔師ならまずそこを見ろよな、と霧隠さんに言われてぐうの音もでない私はとりあえず書類を一通り流し見た。書類から分かったことは、たいそうな童顔らしいこと、そしてエリート中のエリートらしいということ。こりゃ担当の方が扱いに苦労しそうだな、と一般的な意見を抱いてからちらりと霧隠さんを見た。彼女がこの書類を持っているということは、つまり。

「…彼、結界のお手伝いなんです?」
「おっ、ご名答!さすが若手の出世頭、理解が早いねェ」
「え、あの、結界張り直しの担当補佐誰かご存知ですか」
「知ってる知ってる、つーことでいろいろヨロシク、担当補佐」
「…」

担当の霧隠さんがいろいろやってくれたら補佐も楽なんですけどね。という言葉は飲み込んで、私はやけくそに醤油味のお煎餅に手を伸ばした。苦労する担当って、私かよ。


***


!」
「はぁい?」

見ていた書類から目線をあげて声が聞こえた方を振り向くと、ドアのそばにいた霧隠さんがおいでおいでと手招きをしていた。そろそろ時間かとこれから言われるであろうことを予測しながら、私は書類を持ったままドアのそばまで駆け寄る。

「20分後に台湾支部の奴らが来るわ。挨拶が終わり次第、最初の結界張り直し場所に向かう。手配ヨロシク」
「はい、分かりました。台湾支部の方にもよろしくお伝えください」
「は?何言ってんだ、お前も来るんだよ」
「…は?」

それこそ霧隠さんは一体何を言ってるんですか。そう思いながら固まっていると、霧隠さんは私ににやにやとした笑みを零しながら「じゃ、10分後に第三会議室な」と告げて去っていく。その言葉で正気を取り戻した私は、祓魔師の制服から懐中時計を取り出して時間を確認した。10分で手配を終えろってか、んな馬鹿な。

だがしかし、上司のご命令とあらば準備の手配をすることも会議室に行くことも完遂せねばならないことである。私は頭の中で超特急でこの後10分の予定を組み、手に持っていた雑用の書類を放り投げて通信機を手に取った。登録されたナンバーに通信をかけながら、自分の執務室から飛び出して今回のお祭りの対策本部室に向かう。

「もしもし、宮嶋さん」
『聞こえてるって』
「急なんですけど、第一ポイントに奏者たちを集める手配をお願いします。集まり次第、結界張替えの準備を始めてください」
『は?ずいぶん急だな』
「じゃあよろしくお願いします」
彼の言葉を無視してブチッと通信を切ると、第一ポイントに行くための船の手配も歩きながら済ませてしまう。台湾の方との挨拶にそう時間はかからないはずだが、どこまで手配を完了できるか。対策本部室に到着して中に入り、時計を見ると時間は5分残っていた。結界張替えの書類が置いてあるデスクに近寄り、そこにいた年上の部下の方たちに小さく頭を下げる。

「お疲れさまです」
「お疲れ。結界張替えの連絡、えらい急だな」
「申し訳ありません。えっと…あっ、若槻さん!」
「はい?」
「第二ポイントの担当、貴女ですよね。最終確認をお願いします。第一ポイントが終わり次第向かいますので」
「了解。ちゃんこれから例の台湾人のお出迎えでしょ?頑張って〜」
「…はい」

デスクの周りの人たちに指示を飛ばしながら時間を気にしていると、残りの5分など瞬く間に過ぎてしまい私は慌てて残りの指示を出した。残りは任せとけ、と頼もしい返事をくれる先輩たちに涙が出そうだ。今回の担当補佐になぜか若輩者である私が抜擢され、至らぬ部分も多いというのにみなさんよく動いてくれている。今でこそ私もてきぱきと指示を出せているが、抜擢された当初は勝手が分からずに右往左往したものだ。なんとも情けない上司で申し訳ない。

鍵束から第三会議室の鍵を見つけ出し、じゃあ後は頼みます、と言い残してからその鍵をドアに差し込んだ。ドアを開閉して移動を完了すると、会議室にいた霧隠さんのそばに近寄る。会議室にいるのは霧隠さんと、知らない祓魔師の男性と、私だけ。お出迎え、というには少し寂しい人数だが今の日本支部の急がしさを思えば仕方ないかとも思った。

「お、来たか。準備はどうだ?」
「第一ポイントに手配中です。これが終わり次第、準備が完了したか確認します」
「船」
「ボート手配しました」
「うし、よくやった。お疲れさん」

そこで霧隠さんは私に今回一緒に行動するらしい男性を紹介した。台湾からくる方たちの通訳も兼ねているらしい彼は、よろしくお願いします、と低姿勢で挨拶をしてくる。確かなことは言えないが私より階級は下らしかった。

こちらこそ、と私も挨拶をしていると、ふいに背後のドアが開く音がして振り返った。お出迎えに参加する人がまだいるのだろうかと何気なくドアから出てくる人へと焦点を合わせると、そこにあったのは書類で見た端正な顔。台湾支部のリュウ・セイリュウだと一目見て分かったが、言われていた時間より随分早い到着に私の身体は固まるしかなかった。え、まだ10分前じゃ。

「台湾支部上一級祓魔師、リュウ・セイリュウ。…代表者は?」
「アタシ。上一級祓魔師、霧隠シュラ。今回はよろしく頼む」

10分くらいの前後など大した問題ではないというようにさっさと挨拶を済ませる霧隠さんとリュウさんに、私も慌ててしゃんと背筋を伸ばした。さすが上一級祓魔師同士、場数も踏んでいるのだろう、堂々としたその振る舞いは私にはないものである。リュウさんが流暢な日本語で部下を数名紹介した後で、霧隠さんはまず男性を紹介し、その後私へと掌を向けた。

「えーと、そんでこっちが今回アタシの補佐についてる。上二級祓魔師。ウチの自慢の出世頭だ」
「…ほう」

霧隠さんの紹介に恥ずかしく思いながら、どうも、と小さく頭を下げる。リュウさんは私を検分するかのようにじろじろと眺め、そして「成る程、」と呟いた。私はなにが『成る程』なのかさっぱり分からず、顎を引いて少し後退る。よく、分からないひとだ。

「おい」
「あん?」
「俺の世話役の話があっただろう」
「あぁ、それはこっちの、」
「コイツで頼む」
「は?」
「え?」

会議室にいた男性へと手の平を返した霧隠さんの動作を遮るように、リュウさんは私を顎で示しながら言った。コイツって、私ですか。目を丸くする霧隠さんと間抜けな顔をしているだろう私を見て、リュウさんは鼻で笑った。

「これくらいの客人の我儘くらい、お前の顔なら利くだろう」
「…利くけどさぁ」
「じゃあ決まりだ」

え、私の拒否権はないんですか。そう思いながらひくりと顔を引き攣らせるとちょうどリュウさんと目線が合い、彼はにやりと意地の悪そうな笑みを浮かべた。なんだ、つまり、私はこの客人の担当だけではなく世話役もしろと、そういうことか。んな馬鹿な。

「よろしく頼んだ、
「よ…よろしくお願いシマス」

引き攣った笑みを浮かべながら、相変わらず一癖ありそうな笑みを零すリュウさんに挨拶をする。どういうこと、完全に嫌な予感しかしないんだけど。



120201(続きそうな)