da capo
外からの見目は古い木造建築だけれど、リフォームや簡易工事はしているのだろう、志摩家はところどころにらしくないような近代的な造りがあった。水周りもそのひとつである。台所やトイレ、お風呂はむしろ新しい様式で使い勝手がよかった。焦げ茶色の古い木だけれどしっかりとした厚さの引き戸を開けると、洗濯機と脱衣所がある。いつも私は空いているときに入浴を済ませ、ついでに自分の分だけの洗濯もしていた。居候の身なので電気代や水道代を考えれば申し訳ないと思うものの、やはり、ここの住人のものと一緒に洗われては私も向こうも少々具合が悪い。
志摩家の住人たちは仕事の都合上不規則生活を送っている人も少なくはなく、入浴時間は日によってバラバラである。私も誰が日勤で誰が夜勤なのか把握していないので、空いていたら入る、そうやって志摩家で生活していた。
今日は奥さんに「ちゃん、あと10分ほどでお風呂沸くで先入りぃ」と言われていたので適当な時間に脱衣所に向かった。着替えと今日着ていた明陀の制服を抱えながら、ガラリと小さく鳴る引き戸を開ける。いつもならさっさと脱衣をして洗濯物を洗濯機に放り込むのだが、今日は違った。驚いたような相手の咄嗟な声が聞こえ、私が急な展開に引き戸に手を掛けたまま固まっていると、先に事態を理解した引き戸の向こうにいた相手が私の名前を呼ぶ。
「…、、」
「、ひっ、ご、ごめんなさい!!」
私は着替え途中だった金造から慌てて目を逸らすと、そのままぐるぐるとした頭で自分に宛がわれている客間へと駆けていった。
***
の謝罪の声が聞こえ、何事かと廊下を覗くとがバタバタと慌てた様子で客間へと向かう後ろ姿が見えた。走ってきた方角、そして先程着替えを持って廊下を歩いていた弟の姿を思い出し、まさかと思いつつ駆け足で風呂場へと向かう。風呂場で遭遇などと、ベタな展開などあるはずが。
(………あったんかいな)
脱衣所で目にした光景に額を押さえたくなった。そこには上半身を濡らしたまま首にタオルを掛け、中途半端にズボンをは穿きかけたまましゃがみ込んでいる金造がいた。金造もその姿を見られたというショックが大きいらしく、しかし二十歳にもなろう男がしゃがみ込んで落ち込んでいる姿は少し、いやかなりシュールであった。パンツはきちんとはいているので最低の事態は免れたようであったが、そのパンツの柄に先程逃げるようにこの場を去って行ったであろうを哀れんだ。なんでコイツ、よりによって今日この柄穿いてるん。
「…金造、兄ちゃんちょっと同情したるわ」
「…が急に入ってきたん!俺は不可抗力やってん!」
「アホ、おる間はちゃんと鍵かけぇてお母に言われとったやろ」
「…、……忘れとった」
口を引き結び泣きそうな顔で大人しく着替え始めた金造を横目に、あぁやっぱりな、と苦笑を漏らした。明かりがついてるかも分からない分厚い木の引き戸なので、こういうことが起こらないように、の居候中は風呂に入るときはちゃんと鍵をかけろと言っておいたのだが。このような展開を素で引き出せる弟が少し羨ましい、などと浅ましい考えが脳裏を過ぎった。
今頃も深い後悔の念に駆られているのだろうか、となんとも言えない気分になりながら、くるりと振り返って廊下の方を向く。あとでのところにフォローに行ってやらなければと思っていると、ふと、廊下に何かが落ちていることに気付いた。近くまで行き確認せずとも分かるそれに、今度は俺が泣きそうになる。なぁ、お前もいい加減にしてくれや。
「柔兄?どないしたん?」
「…心を落ち着けとるんや。ええか金造、俺がええって言うまで風呂場におれよ!」
「えっ?!な、なんなん?!どないしたん?!」
引き戸の前から動かない俺を不審に思ったのだろう、金造から声を掛けられるが、俺はビシッと金造を指で差しながらそう怒鳴った。急な俺の言葉に金造の戸惑うような声が聞こえるものの、「もしそっから出たんなら、こんことお父に言うでな!」と言うとご丁寧にガチャリと鍵を閉める音まで聞こえる。そこまで父にこのことを知られたくないのかと苦笑を漏らすものの、いや今はそれどころではないと深く息を吐いた。今日は厄日か。
***
私は今までにかつてないほど頭を総動員させていた。一瞬の間に起こった出来事にひどく困惑していたのだ。今までの知識と記憶を総動員させながら、先程の光景を理解するべく額を押さえて考え込んでいた。
(…金造のパンツの趣味が、あんなんだったなんて)
私を一番悩ませていた原因はそれだった。いや、男の下着というものを目にしたことはあり、その売り場も見かけたことはある。その時にはその種類の多さにひどく驚いたものだ、下手をすれば女性の下着売り場よりも豊富な品ぞろえに動揺を隠しきれなかったのはそう昔ではない。いやいや今はそのようなことはどうでもよくて、と追い払うようにパタパタと手を振った。
引き戸を開けた瞬間目が合った、白い犬のお父さん柄のパンツが脳裏をチラついて離れない。志摩家の携帯がどこの機種なのかは知らないがきっとそこなのだろう、いやそれにしてはあのパンツの柄は如何なものかと、けれどパンツの柄など人の好みであるし私がどうこう言える立場ではなく。金造の上半身や着替え中であったことよりも、今の私にとってはあのパンツの柄が気になって仕方がなかった。
高校時代から付き合いのある友人の新たな趣向に考えを巡らせていると、こちらに向かっている足音が廊下から聞こえた。金造だろうか、と先程の考えを打ちきって意味もなくピンと背筋を伸ばすと、ちょうどその時「、」と私の名を呼ぶ声が聞こえる。それは金造ではなく、柔造さんのものだった。
「あっ、襖開けんでええ開けんでええ!」
「え?べ、別に着替え中とかじゃありませんよ?」
「おん、あー、えっとな、」
客間の襖を開けようと手を伸ばすが、柔造さんの慌てた声が聞こえて思わず手をひっこめた。珍しく歯切れが悪い口調の柔造さんに首を傾げつつ、何なのだろうかと先の言葉を待つ。先程金造と脱衣所で鉢合わせしてしまったことについて注意されるのだろうかと内心ヒヤヒヤしていると、柔造さんは「ろ、廊下にな、」と戸惑うように話を切り出した。
「自分、さっき、慌ててたんやろうけど、」
「は、はい」
「あんな、………廊下に、…し、下着落ちとるねん…」
思わずバァンッと大きな音を経てて襖を開くと、そこには赤くなりつつ驚いた表情をした柔造さんがいた。恐らく私の顔も同じくらい、いやもしかするともっと赤くなっているかもしれない。いや、今はそんなことより先程の言葉だ。
「ご、ごめんなさいいい…!!」
本日2回目の謝罪を告げながら、気まずくてそれ以上のことは言えず、私は落ちていると言われた下着を回収するべく駆けて柔造さんの脇を通り過ぎた。今日の下着、どんな柄だっけ、見られても大丈夫なやつだっけ、柔造さんに変に思われていなければいいけど、と先程自分が金造に対して思っていたことを思う。今日はとんでもない日だ、と再びぐるぐるとしだした頭で思った。
120504(リクエストで風呂ネタだったんですけど、これ風呂ネタっていうよりむしろパンツネタ…) back da capo next
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