月夜の現実
暦では春を迎え、昼間は暖かな気候が続いていた。しかし夜ともなれば急激に気温は下がり、肌寒いどころではない。この冬とも春とも言い難い季節は面倒だな、と思いながら足を揺らす。私がいる縁側も確かに寒いが我慢できる程度であり、頭を冷やすには丁度良いくらいだ。はぁ、と小さく吐息を漏らす。白い息が空気中に漂い、霞むようにして消えていった。
「……なんのよう、斉藤くん」
ふいにひっそりと廊下に斉藤くんの気配を見つけて声をかける。斉藤くんは気配を消すのが上手いから今まで気付かなかったが、いつから見られていたんだろう。そんな疑問と羞恥が一瞬脳裏を掠めたけれど即座にどうでもいいことのように感じたので忘れた。私に名前を呼ばれて領域に踏み込むことを許された斉藤くんは、いつも通りの足取りで私の傍までやって来る。しばらくそのままの状態が続いてから、斉藤くんは私の隣にゆっくり腰を下ろした。
「冷えるぞ」
「……冷やしてるんだよ」
「……なにをやさぐれている」
「……知ってるだろ、聞くなよ」
斉藤くんはずるい。全部分かりきっているくせに、私にそれを聞くんだ。繊細な心配りというものがないのかと問い詰めたくなるが、そんなことをしている斉藤くんは斉藤くんじゃないので心の中に仕舞っておく。なんとなく情けない気持ちになって顔をうつむけた。かっこわるい自分は嫌いだ。
「今までに何度もあっただろう」
「……分かってるよ。今回が初めてじゃないし、たぶんこれからもこういうことはたくさんあると思う」
「……ならどうした」
吐息混じりな斉藤くんの声が聞こえる。私に付き合うのに面倒くさくなってきたのかもしれない。それならそれでどっかにいってよ、と思いながらも今の気分では口に出して言えたものではなかった。
「突きつけられた」
「……なにをだ」
「現実」
今夜、私が数ヶ月前から地道に追っていた攘夷浪士の一派の一斉討ち入りが行われている。今までその一派の監察を任されていた私がその場に出向くのは当然の事、しかし副長である土方さんはそれを許さなかった。本来ならば今頃八木邸にいないはずの私がいる。それが現実だった。これを決めた土方さんは正しくて、そして残酷なまでに優しい。
「俺を失うわけにはいかないって言われて、すっごく嬉しかった。でも、それは……俺の代わりに行ってくれた、山崎くんにだって言えるよな」
「……副長は私情でそう決めたわけじゃない」
「分かってる、副長が新選組のためにそう決めたこと。……ただ、そう決めた理由のひとつに、俺の本性のことがあるのは確かだろうから」
かすかに斉藤くんが身じろぎしたのを感じた。この展開を予想していなかったのか、または予想はしていたけれど現実に私の口からその言葉が出てくることに戸惑ったのか。あるいは私の本性を意識したからか。どれも斉藤くんらしくなくてハズレだな、と思いながら自嘲のような笑みを浮かべた。
「……やるせないだけだ」
しんみりした空気を少し重く感じて、苦笑いしながら斉藤くんの様子をうかがった。いつもの無表情。なにを考えているのかをその表情から読み取ることは出来なかった。
「どうにもできないから、だからこそ、やるせないだけだ」
斉藤くんが今何を思っているのかは分からない。ただ、彼が何も言ってこないので私が言ったことについて考えているのだろうかと自分勝手な期待をした。そして縁側に下ろしていた腰をもちあげる。いくら付き合いが長い斉藤くんでも、情けなくてかっこわるいところはあまり見られたくない。
「ごめん、今日はもう休むわ。……明日には元の俺に戻すから、今晩は勘弁な」
まだ座ったままの斉藤くんにそう告げる。きっと斉藤くんは討ち入りした人たちが戻ってくるのを寝ないで待っているんだろうな、と考えながら小さく苦笑を洩らす。彼らしい。踏み出すたびに小さく軋む廊下を数歩進んだところで「、」と斉藤くんの私の名を呼ぶ声が聞こえた。少しだけ振り返る。
「……ひとりでなんとかしようと、するな」
ここから斉藤くんがどんな表情をしているかは見えないが、私を心配してくれていることは声色で分かった。ふと淡い笑みをかすかに零す。真面目で慰めが上手じゃない斉藤くんだけれども、肝心なところはいつもちゃんと掬い上げてくれる。大事なことをいつも見落さないからこそ、誰よりも一番心に響くことばを知っているひと。
「知ってるだろ。俺、超がつくほどのかっこつけだって」
それだけ斉藤くんに告げると今度こそ自室まで向かった。やるせない気持ちが消えたわけではない、けれど頭は十分冷えている。明日にはいつもの自分に戻れそうだと思いながら部屋の篝火を静かに消すと、やわらかな月光が入り込んできた。
100223(初斉藤夢!が、こんなもの、に…。男装ヒロインです。)
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