俺の部屋ではぱらりと書物の頁を捲る音と、さらさらと筆が滑る音や紙が擦れる音だけがしていた。部屋の柱に背を預けて縮こまるように座りながら俺の書物を読んでいるは、部屋にやって来て数回言葉を交わしてからずっと静かである。しかしそれほど書物に熱中している様子はなく、ぱらぱらと書物の頁を捲る音も不規則的だった。は風呂から上がってそのまま俺の部屋に来たのだろう、彼女の髪はまだしっとりと濡れたままである。しかしこの暑い季節なので風邪を引いたりすることはないと思い放っておいた。 夜も更けてきている中、彼女は自分の部屋に戻る気は全く無いらしく、ずっと黙ったまま頁を捲り続けている。仮にも良い年頃の娘がこんな夜中に他人の男の部屋でのんびりと居ていいものだろうか、という疑問を先ほどから繰り返しながら、机に広げてある書物の内容を要約しながらさらさらと筆を滑らせていた。 「ねぇ山崎くん、男ってめんどくさいね」 「……は?」 「まぁ女もめんどくさいけれど。でもやっぱ男所帯で暮らしてると、そう思うわけだよ」 唐突にから発せられた言葉を理解することはできたけれど、その意図がよく分からなくて間の抜けた返事をすると、はやや呆れたように再び意味の良く分からない言葉を告げた。俺は内心動揺しながら、筆の動きを止めてそれを静かに硯に沈める。そして静かに振り返り、未だに視線を書物に落としたままでいるを見つめた。普段とは様子が違う彼女に「どうした、」と声をかけると、は曖昧な笑みを浮かべる。 「……ちょっと、愚痴」 が女でありながら男所帯の新選組という組織に属して、1年と半年ほどが経とうとしていた。普段は男のなりをして任務に就いたり幹部連中と騒いだりしているが、男装していても彼女は列記とした女性である。きっといろいろ思うこともあるだろうとは思っていたが、それがこんな形で、今表されるとは思ってもみなかった。しかも自分に。 けれど彼女が滅多に吐かない弱音や愚痴を、止めるわけにはいかなかった。内心、が平素どんなことを思っているのか興味もある。しかし彼女が話したいことを上手く引っ張り出すのはなかなか難しいことだった。はなにか思うことがあっても、こちらがそれを言わせる状況を作らなければそれを吐くことはない。それも、重大なことに限って。あくまでも話を切らずに、上手く彼女の話したいことを引きずり出さなくては、彼女の心の内を吐露することはできないのだ。はたして自分にそれが出来るかどうか、と心で溜息をつきながら正座を崩してらくな体勢に移る。はそれが俺からの合図だと受け取ったのか、ゆっくりと、静かに口を開いた。 「既成概念が、あるんだよね……きっと、山崎くんにも。 女は護られるべき存在で、前線にいてはいけない……神聖な、戦場にいてはいけないっていう、概念」 「……まぁ、あるな」 「でもさ、それって結局、自分が女よりも上にいたいがための思想じゃないかなって、思う。男はみんなね、誇りとか信条とかを胸に抱いてかっこつけて、でもって勝手に死んでいくんだ……残された人たちが、どんな思いでいるのかも考えずに」 「……そうじゃない人も、いる」 「いるよ、勿論そうじゃない人もいる。でもそれは少数派。……みんな、戦うことがかっこいいとか思ってるの。俺……いや、私から見ればそんなの、ただの驕り。戦うことに意味があるんじゃない、生きて帰ることに意味があるの」 はそう告げると、一息つくように小さく息を吐いた。彼女の視線は書物に落とされたままだが、それはもう文字を追ってはいないことは一目瞭然である。伊達に付き合いが長いわけじゃない、彼女の言うことにはさして驚かなかった。彼女がどのようなことを思っているのか、なんとなく分かっていた自分がいたのだろう。は依然書物に視線を落したまま、続けた。 「男女の違いは否めないよ、どうしても。……でもやっぱり、それ以外の境界線があるんだよね。女の私には立ち入れないなにかが、確実にある。べつにそれを越えたいとか……そういうのじゃなくて。私も、みんなに立ち入られたくないことって、あるし」 「……でも、不満なんだろ」 「でもさぁ……それって。やっぱり私の、我儘じゃん?」 我儘言って、みんなを困らせたくは、ないし。静かにそう動いたの唇は少し震えていた。そして、膝に頭を埋めると「ごめん、わけ分かんなくなってきた」と小さな呟きが聞こえた。俺こそわけ分からん、と心の中で思いながらゆっくりと立ち上がる。今日の彼女はおかしい、やはり様子が変だった。夜だから情緒的になっているのかと思ったが、それだけではないらしい。部屋に掛けてあった藍色の上衣を取り、それをぱさりと頭からにかぶせた。そしてそのままの隣に腰を下ろす。彼女からの反応はなにもなかった。 「……なにに苛ついてるんだ」 「………………どうにもできない現状と、……どうしたらいいのか、分かんない自分に……苛つく」 震える声は悔しさからか。やっと出てきた彼女の本音に小さく息を吐く。小さく動いた肩を抱き寄せたいという衝動に駆られるが、なんとか押しとどめた。彼女にしてやれる最大は、それじゃない。自分を叱咤し言葉を頭の中で練ってから口を開いた。 「分からないなら……探せばいい。多少の我儘は君には許される、誰も困りはしない」 「……我儘は、いやなんだ」 「『頼るとか甘えるって行為を知らないのか』……いつも君が言ってることだ」 いつもの彼女の言葉を引用すると、彼女の小さな自嘲気味な笑いが聞こえた。 ひかり を さがす 最後に結葵は藍色の上衣を頭から被ったまま、ありがとう、と呟いて俺の部屋を出ていった。 100802(山崎さんってしんみりしか…書いてない!と気づいて甘いのを書こうとしたら結局しんみりに。あれ。次こそ、は、糖度高めを目指します…!) |