「おはよう、一くん」
「あぁ、お早う」


俺が毎朝学校に来るといつも既にクラスメイトのの姿があった。彼女は黒板をきれいにしていたり、花瓶の花や水を取り換えたり、机の整頓をしていたりとそのときの行動はまちまちであったが、いつもそれらを一人でしている。それは学級委員でなければ先生に頼まれたのでもない彼女が、ただ自主的に行っているらしかった。そしてそれを知るのは教室に二番目に来る人、すなわち俺だけで、は俺が教室に来て数分もするとその作業を止めてしまう。それが何故なのかと聞いたことはないが大体を予想することは安易であった。

は毎朝のそれをただ自主的にそして善意的に行っているだけかもしれないが、それを知った周りの者にはその行動と所以を理解できずにいろいろと勘ぐってしまうに違いないだろう。そしてそのまま友人間でいざこざが起こらないとも限らない。はたして彼女がどのように思っているのか真実は分からないが、大方そんなところだろうと思っている。

そして俺が自分の席で今日の時間割を確認し、好きな作家の小説を広げて少し読み進めたところで、彼女も自身の席に座ったようだ。の椅子を引くガタンという音がしてからは俺が紙を捲るパラパラという音しか聞こえず、しかし彼女の席は一番後ろにあるので俺はがなにをしているのか知ることはできなかった。はいったい毎朝この時間には何をしているのだろうか、毎日のように思うその疑問に今日も少し考えを巡らせてから、再び小説の文字を追いはじめる。そして次に教室にやってくるクラスメイトが来るまで、毎朝俺はその彼女との静かな空間を存分に味わうのであった。


毎朝少し早く学校に来ては小説を読むのが日課だった。それはいったいいつからだろうか、思い返せばあれが小学4年生のころだっただろうか。昔から無口で口下手だった俺を心配してか、はたまた国語の現代文が他の教科に比べて劣っていたからか、母親が現代文学の読書を薦めてきたのだ。元々文章を読むのは苦手ではなかったし親が有名な著者の本をいくつか購入してくれたこともあって、少し早く学校に来て本を読み始めたら意外とはまってしまったのが始まりである。

そして俺がと出逢ったのは、小学5年生のときのクラス替えが終わってすぐだった。俺は5年生になってからも毎朝早く学校へ行って読書をするという習慣は変わっておらず、その日もいつも通りの時間に学校に着いた。そしていつもなら無人の教室に端を踏み入れるのだがその日は違った。ガラリいつものようにドアを開ければそこには顔見知った女子がおり、彼女は必死に背を伸ばして黒板の上部をきれいにしているところのようで、突然現れた俺に驚いたようにぱちくりと目を瞬かせながら固まっていた彼女を思い出す。


という人物は別段可愛いわけでも美人なわけでもなかったが、どこかはっとさせられる雰囲気を持っているというのが第一印象だ。そしてその印象は実際話してみても変わらず、どちらかというと冷静沈着で大人しい部類に入るのではないだろうか。しかし、かと思えば男子を追いかけまわしていたり人気のない廊下をスキップしている姿を目撃したりと、意外な一面を持っていると知ったのはつい最近だ。

それにふっと笑みを漏らすと、廊下からパタパタと小さな駆け足が聞こえ、やがてそれは大きくなって俺やのいる6年2組の教室の前で止まった。途端、ガラリと聞きなれたドアが開く音と「ちゃん、おはようっ!」というクラスメイトの雪村の元気な挨拶が聞こえる。と雪村がなにか会話しているのを聞きながら、ふと時計を見ると7時52分。そろそろ教室にクラスメイトが増えてきて騒がしくなるだろう、そう思って俺はこれで今朝の読書タイムは終わりだというようにパタリと小説を閉じた。


「一くんも、おはよ!」
「お早う、雪村」
「今日は何の本読んでたの?」


いつも雪村はに挨拶をして少しお喋りをしてから、必ず俺に対しても声をかけてくれる。そのときの話題は大抵が「何の本を読んでいたの?」だったが、俺はそれを不快に思うわけではなかったし雪村もそれは気にしていないようだった。俺は雪村に表紙を見せながらその本のタイトルと著者を述べると、雪村はやわらかな笑みを浮かべて「それ、家にあるよ。お兄ちゃんが読んでたの」と告げる。


「あぁ、そういえば、いつも一緒に来ている南雲はどうした?」
「お兄ちゃんなら1組に寄ってるよ。風間くんにCD貸すんだって」
「そうか」


そう言ったところで南雲が教室に入って来たようで、行ってやれと目配せすると雪村は俺に小さく手を振って南雲のほうへと駆けて行った。どうやら家庭の事情とやらで苗字が違うらしいが、雪村と南雲は正真正銘の双子である。二人が幸せそうに談笑しながらランドセルを机に引っ掛けるのを見ていると、同年齢でありながらも微笑ましいと思わずにはいられなかった。そして次々とやってくるクラスメイトと騒がしくなる教室を感じて、俺は日常をむかえるのである。




モーニング・スクール




次の日俺が学校に行くと、今日はは花瓶の花を取り換えていた。俺のほうを向いておはようと挨拶をする彼女に俺も同じようにお早うと返すと、いつもの俺はさっさと自分の席へと向かうのだが、今日はふと気が向いてランドセルを背負ったまま花を生ける彼女の傍へと寄ってみた。それにはも驚いたようで一瞬手を止めるが、気にしないというように再び花全体を整える。


「なんの花だ?」
「芍薬だよ」
「しゃくやく?」
「ほら、『立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花』って言うでしょ。あの芍薬」
「あぁ……あの」


美人の形容を引用に出されてあの花かと納得する。しかし実物を見るのは初めてで、これがあの芍薬かとその花を見つめた。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。それはまるで彼女のようだとちらりとを見れば、その視線に気づいた彼女が「なに?」と首を傾げてくる。いや、と短く返事をしてからランドセルを下ろしながら自分の席へと辿りつくと、椅子に座る前にふと再び彼女を盗み見た。

はちぎった無駄な葉を新聞紙にくるんでゴミ箱へと捨てると、さも今日の仕事は終わりだというように満足げに頷いている。それを俺が見ていることに気付いてはっと身を固まらせ、頬をほんのりと赤く染めながらふと顔をそらすその可愛らしい姿に、俺は思わず笑みを漏らさずにはいられなかった。



110327(小学生はじめさんとかかわいいんじゃね、という妄想の産物。最近小学生はランドセルを6年間使わないとか…どこかで聞いたような…気が…。しかしはじめさんがランドセルか…(笑)!)