掌をぎゅっと握りしめるとまだ涼しい季節だというのにじっとりと汗が篭った。それは緊張からくるものなのか焦りからくるものなのか、どちらにせよ心理的なものだろうということは考えなくても分かる。自分から10歩ほど離れたところにいるバスケ部のマネージャーであり幼なじみでもあるを見遣ると、 彼女は手元のバインダーに視線を落としたままでこちらの方はちらりとも見なかった。今から顧問の先生が発表するスタメンのメンバーをマネージャーであるは既に知っているはずで、しかし俯いている彼女の横顔からは何も読み取ることができない。 「みんないるな?じゃ、スタメン発表するぞ」 先生はそう告げるとバインダーに挟んである紙を一枚めくり、スタメンに選ばれたメンバーを次々と読み上げていく。まずはキャプテンである古賀先輩、そして副キャプテンの坂本先輩の名が呼ばれ、続いて呼ばれるのは部内で最も上手いと言われている田久先輩だった。バスケットボールは5人で一チームなので残るスタメンはあと2人。本気で信じてなどいないのだが、神様や仏様なんていうものに一縷の望みを懸けて祈りを心の中でひっそりと捧げた。都合が良すぎるかもしれないが今回だけは、どうか。そう思っていると2年の中では最も上手いと言われている篠宮の名前が呼ばれて、残りは1人だと唾を飲み込んだ瞬間。 「残る1人は、藤堂」 「……は、はいっ!」 「最後の大会だからって3年優先にはしてないからな、あくまで実力でこのメンバーだ。ベンチは西田、岡崎、宮浦……」 先生はこの後数人のベンチのメンバーを発表していたがそれらが耳に入ってくるなんてことはあるはずがなく。俺は自分の名前が呼ばれたという夢のような事実をゆっくりと受け入れながら、やがてその現実に喜びを感じずにはいられなかった。呼ばれた、確かに名前を呼ばれたのだ。念願だったスタメン入り、しかもまだがバスケ部いる2年のうちに。嬉しくないはずなんてない。 先生の話が終わり、よかったなと友人に声をかけられたり肩や背中を叩かれたりしながらスタメン入りを祝福される。夏の大会だというのに3年の先輩を差し置いてのスタメンだ、複雑な思いもないわけではなかったが、先輩たちも俺のスタメン入りを心底嫌がってはいないようで俺らの分もがんばれよと声をかけられたり、生意気だなと頭をぐしゃぐしゃと撫でられてからかわれたりする。2年である自分がスタメンに入ったというのにこの態度だ、良い部活だと思わずにはいられない。 「藤堂!」 「古賀先輩」 ひとしきり騒ぎが収まってこれから今日の部活練習を始めるかと思い始めたころ、呼び止められて振り返るとそこにはキャプテンの古賀先輩がいた。古賀先輩とは同じ中学出身で、当時は今と同じように自分も先輩もバスケ部に所属しており、思えば自分が2年の時も彼はキャプテンをしていたように思う。断固としたリーダーシップがあるわけでも部内で最もバスケが上手いというわけでもなかったが、人当たりが良いその性格と部内において絶対なる安心感を与えてくれる彼の存在はキャプテンに相応しい他ないのだろうと今更ながらに思った。 「スタメンやったな」 「先輩こそ。よろしくお願いしますね」 「ああ。お前、中学2年の時はレギュラー全部3年に取られて相当悔しがってたもんなぁ」 「よく覚えてますね」 「忘れねぇよ。がっかりしてたのはお前だけじゃなかったしな」 「……ですか」 「そうそう」 先輩はなにかを思い出したのか笑いながらそう応え、「せっかくの最後のチャンスだ、いいとこ見せてやれよ」と俺の肩をぽんと叩くと去って行った。その先輩の後姿を見送りながら、そんなことは分かっていると自分に言い聞かせるように口を引き結ぶ。 このスタメン入りを自分と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に心待ちにしていたかもしれない。はどうだか知らないが、自分は一時も忘れたことが無かった。は覚えているだろうか。3年前のあの日交わした、あの約束を。 夏の終止符へと。 まだ焼けるような暑さは無いものの、日本特有の湿気を多く含むようなじっとりとした暑さが続いていた。あと数日もすれば紫外線を多く含む日光がじりじりと人々の肌を焦がすだろうが、中途半端なぬるま風が吹き抜けるこの時期は過ごしにくいことこの上ない。どうせならヨーロッパのようにカラッと乾いた暑さになればいいものをと、そう思わずにはいられなかった。 部活の後なので汗ばんだ肌にワイシャツが張り付いて気持ち悪かった。男子バスケ部のマネージャーといえど肉体労働が多いわけではないが、しかしただつっ立っていればいいというわけでもない。体育館と給湯室を何度も往復するのは勿論、顧問から雑用を任されることが多々あるためあちこち駆け回ることが多く、意外と面倒なのがマネージャーというものだ。 着替えを終えて更衣室を出る前に、鞄の中身を確認して忘れ物がないかをチェックするのが日課となっていた。今日も貴重品は勿論、一応受験生でもあるので課題や勉強用の教科書やノートがをしっかり確認すると更衣室を出る。そのまま平助が待っているであろう昇降口に向かった。男子バスケ部の練習が終わるのは夕方というには遅すぎる時間になるのがほとんどで、同じバスケ部に所属している幼馴染の平助と共に帰るのが常である。それは今日とて変わることはなく、昇降口に着くと既に靴を履き替えた平助が携帯をいじっているのが見えた。 「平助」 「おう」 靴を履き替えて平助にそう声をかけると、平助はパコンと携帯を閉じて振り返った。そして私の姿を確認するといつも通り校門へと向かって歩き出す。私も平助の隣に並ぶと重い鞄を一度抱えなおしていつもとかわらない道を辿り始めた。 「あぁ、そうそう。スタメンおめでと」 「ん、ありがとな」 今日の部活で発表された、夏の大会のスタメンのことを思い出して告げると平助は本当に嬉しそうな笑みを零す。私はマネージャーということで部活が始まる前に一足先に知ってしまったのだが、そのときの嬉しさはなんとも言いがたいものだった。何年待ったことか。いや、たったの3年だけれども、ついにこの時が来たのだ。しかしそう歓喜すると同時についに来てしまったのかとも思う。私にっての、高校生活最後の夏が。 3年生は希望者以外は夏の大会で敗退が決定した時点で引退となるので、私もそれと同時にマネージャーを降りる気でいた。迫り来る受験に目を逸らすことは許さないとでもいうように、目の前に晒される現実を嫌でも直視しなければいけなくなるのだ。夏が終わると、もうこのように平助と並んで帰ることもなくなるだろう。そう思うとふつふつと寂寥の思いが込み上げてくる。だからこそ大切にしたい最後の夏。願わくば、それは輝きと幸せで満ちあふれてんことを。 「平助。中学の時の約束、覚えてる?」 「あぁ」 「……えっ?!うそ、ほんと?」 きっと「何か約束したっけ?」という返事がくるのかと思いきや、即答で返ってきたのは思いもしなかった肯定の返事だった。驚いた、一瞬思わず足を止めてしまうほどには驚いた。平助はそんな私を見て少しむっとしたように顔を潜め、そしてそっぽを向くようにして前へと向き直る。その横顔は薄暗くてよく分からなかったが照れているように見えなくもなかった。 「『高校になったら、俺がをインターハイに連れてってやる』ってやつだろ」 「……うわ、本当に覚えてたんだ」 「忘れるわけねぇだろ。……何の為に今まで必死にバスケしてきたと思っていやがる」 「え、この約束のため?」 「当たり前だろ」 さらりとした返事の中に詰め込まれていたものは一体何なのだろうか。それがよく分からないというのに、顔に熱が集中するような気がして思わず平助から視線を逸らした。平助が頑張っていたのは私のためじゃない、約束のためなんだから。そう自分に言い聞かせるものの、それはすなわち私のためじゃないかと自意識過剰な思いが暗示の邪魔をしてくる。 その約束を交わしたのは私が中学校3年の時のちょうど今頃だった。私のクラスメイトでありバスケ部のキャプテンでもあった古賀くんから平助がメンバー落ちしたと聞いて、メンバーに入って全国に行ってやると意気込んでいた彼はさぞかし落ち込んでいるだろうと励ましに行ったのだ。来年があるじゃんと気楽に言った私に対して、それじゃ意味が無いとわりかし真剣だった平助のことは今でも覚えている。そして告げられた、その約束。 「俺はこそ忘れてるかと思ってた」 「わ、忘れるはずないよ!私こそてっきり平助はそんなこと覚えてないと……」 「……お互い信頼感ゼロだな」 苦笑を漏らす平助につられるようにして笑みを零すと、ふと平助は立ち止まった。どうしたのかと一瞬遅れて私も立ち止まり、そして平助を見上げる。思えば平助が高校に入学してきた当時はさしてなかった身長差も、いまではこうして見上げないと平助の顔を見れないほどになっていた。ただ単に私の背が低めだということもあるかもしれないが、それだけではないに決まっている。もう平助も高校2年生かと、そう思わずにはいられなかった。 「絶対、約束果たしてやるよ」 「……インターハイ、連れてってくれるんだ?」 「当たり前。覚悟してろよ!」 その威勢の良い平助の返事を聞いてふっと笑みを漏らすと、平助もつられるようにして声を上げて笑い出した。どうやら高校生活最後の夏は暇を持てあます余裕などないらしい。高校生活の青春に終止符を打つのにふさわしい夏になりますように。終わりを迎えつつあるこの時間を、どうか、もう少しだけ。 110429(帆真さんから「高校生バスケ部の平助くんで、某漫画の『甲子園に連れてってやるよ!』のインターハイ編」というリクエストいただきまして、ええと、……す、すみませんでしたぁぁ!!平助くん初めてでしたので口調があやしい…) |