襖を開けたとたん、ぐすぐすと涙を流す千鶴ちゃんが視界に入る。そこで副長が私を遣わせた理由を初めて知った。なるほどこういうことかと思うと同時に、これは野郎には任せられないわと千鶴ちゃんの可愛さを反則的に思う。私でも相当ときめいた。きっと副長もときめいたに違いない、あれでも結構純情だから。そんなどうでもいいことを思いながら襖を静かに閉めた。そこでやっと私が入ってきたことに気づいたらしい千鶴ちゃんが顔を上げる。涙で顔はぐしゃぐしゃだった。 「……、さん……」 まるで悪戯をして怒られた子供のように、千鶴ちゃんは私の名前を小さく呟きながら視線を落とした。副長に何を言われたのかは分からないが、大分きつい言葉を言われたのだろう。なにやってんだかあの副長は、そう思いながら千鶴ちゃんの前に座った。千鶴ちゃんも屯所に来てもうすぐ1年が経つ。そろそろしっかりと言い含めておかなくてはいけない時期なのかもしれない、そう思って「千鶴ちゃん」と名前を呼ぶ。びくりと肩を揺らしてからおそるおそる顔を上げた千鶴ちゃんは、戸惑いながら私を視線を合わせてくれた。それに小さく微笑むと、千鶴ちゃんは抑えきれないように口を歪ませる。そして再び俯いた。 「……私、自分がお荷物だってことも、なにも出来ないってことも知ってはいるんです。でも、理解したくないんです。みんなと……一緒に、いたいって思う私は……愚か、なんでしょうか」 こんなにぼろぼろで、心の内を簡単に明かすような千鶴ちゃんを見るのは初めてだった。いつも強気でみんなのために一生懸命頑張っているけれど、口に出さないだけで、なにも思わないわけじゃない。今になってそれを思い知る。素直で真面目だからこそ傷付きやすく、裏に潜むものに気づきにくい。まっすぐで純粋だからこそ、周りのひとが支えてあげなくちゃいけないのに。 「……あのさ、俺、みんなと一緒に生活し始めてもうすぐ……4年、が経つんだけど。……みんなと同等に在れたことなんて、一度もない」 静かに、少しずつ。過去を紐解いていくように昔を思い出しながら話を切り出した。 まだ試衛館にいたころから、新撰組として任務をしている今まで、ずっと。局長や副長、斉藤くんや左之さんやみんなと一緒にご飯を食べて、稽古して、任務をして。同じ時間を一緒にたくさん過ごしてきた。けれど、彼らと同等に在れたことなんて一度もなかった。その理由は私の本性は女であるからであって、しかしそれを嘆いているわけではない。そのことに嘆いたところで同等に在れるわけではないし、逆にその差がどんどん開いていってしまうことは一目瞭然だった。肝心なのは同等で在るためにはどうすればいいのか、ではない。それをいかにどう活用していくかだ。 「よく聞きなよ、千鶴ちゃん。みんなからある一線を引かれたら、どうしようもない時を除いて、それを超えちゃいけない。その一線はみんなの矜持と誇りと義務。それを踏みにじるような行為はしちゃいけない。……けど、みんなが越えられたくない一線を持っているのなら、こっちもそれなりの一線を引けばいい」 「……でも、それって……」 「頑なに拒否するのとは違うよ。これ以上踏み込んでもらいたくない、女の意地と誇りをそれで示すこと」 「……さんも、一線を引いてるんですか?」 「……まぁね。男にずがずが土足で入られて困るものなんて、たくさんあるし」 体力や感情の違い、恋愛、身体や月のものやひっそりと思い描いている儚い夢。同性ならかまわないけれど異性に知られたくないことなんて山ほどある。けれどそれはみんなも同じ。だからお互いに遠慮して牽制し合い、一番良い状態を上手く保たなくてはいけない。涙の跡を撫でるように千鶴ちゃんの頬に触れた。きっと千鶴ちゃんはまだしばらく新撰組から離れることはできない。だからみんなと上手に付き合う方法を学ばなくてはならなくて、これは最初の一歩。とてつもなく重くて難しい、苦渋の一歩目。 「……もう、寝なさい」 「え、う……」 千鶴ちゃんの頬に触れていた手を素早くうなじにのばして、軽く手刀を入れた。小さくうめいた千鶴ちゃんはそのまま私の胸にとさりと倒れてくる。こんな千鶴ちゃんを見ているのに耐えきれなくなった、というのはとってつけたような理由でしかない。ただこれ以上自分とみんなとの差を声にして、それを明白にするのが怖かった。私もまだまだ駄目だなぁ、と小さく息を吐く。 既に敷かれている布団に千鶴ちゃんを寝かせると、部屋の明かりをそっと消した。千鶴ちゃんの部屋にいたのはそう長い時間ではない。しかし任務が終わって屯所に戻ってきたらすぐに副長に言われて千鶴ちゃんの部屋に向かったため身体は相当こたえているようだった。いや、身体というより精神が、かもしれないが。 (……副長のとこ、行くか) 千鶴ちゃんのところに行ったのは副長に命令されたからではない。けれど一応報告はしておくべきかと副長の部屋へと向かう。実を言うと今すぐ自室に戻って布団に倒れこみたい気分だ。しかし副長も千鶴ちゃんを心配していたようだし、なにより、おそらく、たぶん。 (副長、千鶴ちゃんに……惚れてる、よなぁ、アレは) 私がこういうことに敏感なのと女の勘というやつで最近なんとなく気づいたのだが、決定的な証拠はないけれどたぶん当たっていると思う。なにより千鶴ちゃんが来た当時に比べて副長の態度が違っているのだ。それは千鶴ちゃんを認めたからだけではなく、他の感情があるから。他人の感情に聡い斉藤くんや山崎くんあたりは薄々気づいているのかもしれないけれど、と思いながら廊下をまがった。試衛館にいたときからお兄さんのように思っていた副長が千鶴ちゃんを好きになったことに嫉妬しているわけではないけれど、近しいひとが誰かに恋愛の意味での好意を持っているという感覚が複雑だ。その相手を知っているから、尚更。 「――副長、です」 そこで副長の部屋に着いたので、小さく室内に向かって声をかける。気配で誰かが近付いてきているのは分かっていたのだろう、副長の返事はすぐに聞こえた。いつもと同じように副長の部屋に入ると、副長は畳に書類を撒き散らかしつつ整頓していたようで書類を数枚手に持っている。狭い机で整頓するのが面倒なだけだろうが、そのようにして整頓していると沖田が遊んでいるようにしか見えなくて心の中で笑った。後が怖いので口には出さないが。 「千鶴ちゃんは寝かせましたよ」 「……あぁ、悪かったな。流石にお前にしかコレは頼めねぇ」 「いやー別に俺が遣われるのはどうでもいいんですけどね」 少しの怒気を混ぜてそう言うと、副長はそれに気づいたようで書類へと向けていた視線を外した。一瞬だけ、副長の驚いた顔が視界に映る。すぐに消えてしまったけれど、副長がそんな顔をするのはすごく珍しかった。 「どうして千鶴ちゃんがあんなにもぼろぼろになったのか、聞きませんけど。でも、気にならないってわけじゃないです」 「……だろうな」 「副長のせいでも、幹部の誰かのせいでもないんだと思います。……でも、女の子にかけるべき言葉っていうのは、みんなにかけるべき言葉とは全く違うってこと、忘れないで下さいよ」 「…………」 「生意気ですけどひとつ忠告。千鶴ちゃんは“女の子”ですよ」 芽生えたばかりの淡い恋心に気づかないまま素通りすることがないように。お節介だけれど一応釘をさしておいた。これで副長の千鶴ちゃんへの見方が変わるといいけれど、なんてほとんど可能性のないことを思う。それっきり何も言わない副長に小さく頭を下げてから部屋を出た。 廊下に出ると風が頬を掠めて少しぼんやりとしていた頭を覚醒させる。なにかお腹に入れてから布団に入ったほうがいいのかもしれないと思ったのは一瞬で、やはり面倒なのでそのまままっすぐ自室へ向かった。明日の任務は午前から入っているので僅かな時間しか休息はとれないが、多くとるに越したことはない。そう思いながらふらふらと廊下を進むんで自室へとつながる廊下をまがったとき、私の部屋の前にある人影に気づいた。 「……斉藤くん?どうかした?」 ぼうっと明るい襟巻のおかげでその人物を斉藤くんだと断定するのは簡単だった。近づきながら声をかけると、斉藤くんは視線だけこちらに向けて驚いたような表情をする。意味が分からずに首を傾げると、斉藤くんは私の手首を引いて半ば無理矢理室内に連れていった。私を待っていたならば部屋に入っていればいいものを、ずっと廊下にいたのか斉藤くんの手はひんやりと冷たい。 「……酷い顔だぞ」 「え?……あー……」 心配するような声色とその言葉に少し驚きながら、やっぱり精神的にかなりやられてるのかな、と冷静に自己分析を行う。仕事の疲れと千鶴ちゃんのいろいろで予想以上に疲労が溜まっているのかもしれない。 「ま、いろいろあってさ。それで、どうかしたの」 「……やはりなんでもない。もう休め」 「そう?ならいいけど。俺ももう休みたいし」 体型を隠すためにいつも羽織っている羽織を脱いで、畳の上に無造作に捨てる。そしてうなじの後ろにある紙紐を解いて髪をおろした。事情を知っている斉藤くんの前であるし、なにしろ斉藤くんは私がなにをしようと動じる人ではない。斉藤くんの視線が感じられなかったし明かりもつけていないのでそのままさっさと着替えも済ませてしまうと、脱いだ着物を籠の中に放りこんだ。みんなと一緒に生活し始めて4年、男の前でも立派に着替えられるようになった自分を誉めるべきか、けなすべきか。そう思いながら櫛で髪をときつつ、斉藤くんの方を向く。 「もう俺寝るけど。まだ俺の部屋にいる?」 「……いや、出てく」 斉藤くんはそう返事をすると、一度私の方をちらりと見てからすぐに部屋を出ていった。結局斉藤くんはなにをしに私の部屋に来ていたのか分からずじまいだったが、とりあえず今は身体を休めるのが先である。布団にいろいろと潜り込んで瞳を閉じた。疲れのせいか、そう時間が経たないうちにもうろうとしはじめる。なんとなく部屋の外の廊下に誰かの気配を感じたような気がしたが、それについて考えるよりも先に意識が飛んだ。 星空カンタレラ 100309(なんか誰夢か分かんなくなってしまって結局斉藤オチにしようと思ったらオチてない。笑) |