他人が見たらきっと解読できないであろう自分の走り書きを見ながら、その記述と記憶を照合しつつ、ぽつぽつと今回の内偵の結果を報告した。副長は私が報告を始めてから一言も声を発さず、私の小さな声を聞き落さないように真剣に耳を澄ませている。最後に「以上です」と報告を締めくくると、今まで詰めていた息を吐き出した。 この報告のときが緊張するわけではないが、走り書きと記憶を頼りに結果を報告するのは心持冷や冷やする。報告に間違いがあってはならないし、報告しそびれたことがあってもいけない。任務と同様、神経をかなり総動員させるものだった。 「今は特に大きな動きはありませんでしたが……今後、要注意するべきだと思います」 「そうか……ご苦労だったな、。もういいぞ」 「…………なんか……すみません」 副長から労いの言葉をかけられて部屋を辞すように促されるということは、そんなにも疲れているように見えたのだろうか。実際そこそこ疲れてはいるが、副長に心配されるほどではないと思うのだが。そう考えながらそろりと上目遣いに副長を見ると、私の視線に気づいた副長は苦笑いと共に「山崎が、」と説明し始めた。 「お前のこと、えらく心配していてな」 「……山崎が?」 「ほら、お前、前回に引き続き今回も大物を内偵してただろ?」 なんで自分のところに回してくれなかった、と諌められてしまったんだよ。 そう苦笑いのまま告げた副長に如何わしげな眼差しを向けてしまう。確かに前回も今回も大御所を内偵していた。新撰組の行く先で必ず邪魔になってくるであろう組織。加盟人数やその人物、そして幹部連中の行動と周りの組織との関係。大物であるから慎重に、そして気づかれずに行動する必要があったため、私1人で内偵にあたっていたのだ。しかし実をいえばかなりきつかったし、山崎の手が欲しくなかったといえば嘘になる。それが連続であったのだから、山崎に回してほしかったと私も思う反面、こんな面倒で細かい任務を山崎に預けるわけにはいかないと思った。 山崎は、私よりも自分のことを心配するべきなのだ。新撰組も組織の一つである以上、世間に公言していることが全てではない。裏に潜む汚濁なものだってある。山崎はそんな表には言えないような惨い汚濁を、いつも黙って消していた。だからそういう任務には手をつけていない私と比べて、山崎は隊士たちによく思われてない場合が多い。 山崎はそういう仕事を絶対に私に渡してはくれないのだ。それは山崎なりに、私を護ろうとしているから。だから私も山崎に、時間がかかりそうなくらい面倒で細かい、そして私で事足りる仕事をくれてやる気なんかさらさらない。私も私なりに山崎を護りたいから。 「……山崎は、今……」 「今日はちょっと伝令に走ってもらったが、午前のうちに戻って来ている。たぶんまだ起きていると思うが」 「いえ、……用はないですから」 それだけ静かに告げると立ち上がる。失礼します、と小さく頭を下げて副長から視線を外した。今日は早く休めよ、という副長の言葉が背中から聞こえる。自分はまだまだ寝る気が無いくせになにを言うかこの人は、そう思いながら障子を閉じた。 思ったよりも任務に疲れていたのか、はたまたそれとも今の会話に疲れたのか、副長の部屋を出てから詰めていた息を吐き出すとどっと疲労が押し寄せてきた。 もう少し粘って起きていようかと思ったが、今宵はもう身体を休めようと両手をうなじに回す。廊下を歩きながら慣れた手つきで紙紐を解くと、ぱらりと髪が落ちてきた。邪魔な髪を適当に後ろに流して、手櫛で形を整える。今夜は新月なのか光が少なく、まさに闇そのものだ、とどうでもいいことを思った。 「あ、、帰ってたのか?久しぶりだな」 「あー…左之さん。うん、久しぶり」 自室へと向かっていると、廊下の向こう側から左之さんがやってきて私の前で足を止めた。正直早く自室に戻って休みたいので適当に返事をすると、左之さんは私の言いたいことが分かったのか小さく笑いながらたるんでるぞー、とからかい気味の声で告げる。 「いや、ほんとに疲れてるみたいでさ」 「みたいってなんだよ。自分のことだろ」 「そうなんだけどなー、なんかいつもの疲れとは違う感じの疲労っていうか?やけに身体全体がだるいっていうかさ……あーなんか頭痛いような気もしてきた」 「…………、お前それ疲労じゃなくて風邪とか熱とか、そっちの類じゃねぇ?」 「え」 左之さんに言われてそうかこれは風邪とか熱とかそういう類のものか、とやっと気づく。思えば最近はそうでもないが、江戸にいたころはたまに身体をこわしていた。そういえばそういうときはこんな症状だったかも、なんてのんびりと思いながら「そうかも」と自分でも呆れながら呟く。 「おいおい……忙しかったのは分かるけど、体調管理もしっかりしとけよ」 「分かってるって、今日はもう休むつもり。酷くはないし心配いらないからな」 「はいはい、じゃあさっさと戻って休めよ」 左之さんは私以上に呆れたような表情をして、最後に私の肩を労わるように軽く叩くと廊下の向こうに消えてしまった。左之さんが完全に見えなくなってから再び自室へと足を向け、それと同時に額に手を当てる。常温よりは熱い、かもしれない。ここ最近は体調管理を怠ることなんてなかったのになぁと思いながら手を外すと、夜の涼しい風が廊下に流れてきた。舞う髪を押さえながら自室へとつながる角を曲がると、私の隣の部屋にはまだ明かりが灯っているのを見て目を見開く。 私の隣の部屋は山崎だ。私の素性もあって最初は空き部屋だったのだが、山崎が監察になったときに私の隣室は彼のものとなった。監察になると朝夜関係無しに任務があるので、夜中に帰ってくることも少なくはない。なので屯所の中でも奥まった、そして人が入り込んでこない場所に個室が与えられることになっているのだ。その際、山崎には私の素性を明かしてある。山崎の性格からして、私のことを誰かに暴いたり、私の部屋に勝手に忍び込んだりはしてこないだろうと、幹部連中からも太鼓判を押されているからだ。実際、山崎が隣室になって随分経つがやましいことなんて全くない。 山崎の部屋の前を通り過ぎてから自室の障子に手をかけた。熱があると自覚したからかやけに頭がくらくらする。病は気から、というのはこういうことなのだと初めて知った。部屋に入ってまず小さな明かりを灯すと、紙紐や鉢金を机の上に置く。それからごそごそと着物の中で器用に腕をまわして、胸に巻いていた晒し布をとった。晒し布を部屋の隅の籠の中に落とし、そのまま夜着に着替えて袴や着物も籠の中に適当に落とす。 「さん、いいか?」 「あー、いいよ」 返事をするとすぐに障子の開ける静かな音が聞こえる。私が夜着の帯を締めている最中だったからか、少し躊躇したような気配があったけれどそのまま山崎は入ってきた。帯を締め終わってから山崎を見ると、気まずそうな表情と手には小さな包みがある。夜着の中に入り込んでいた髪を引き出してからどうかしたか、と声をかけた。 「……帰って来てからなにも、口にしてないな?これ、軽い菓子だから……休む前になにか食べといてくれ。あと、薬も」 「………………なんで知ってんだ?」 差し出された小さな包みを素直に受け取ろうと手を伸ばしたが、最後の単語に動きを止めた。山崎に気づかれるといろいろ面倒だと思ったので気づかれないようにしていたのだが、ばれるのがいくらなんでも早すぎる。なんで、と山崎に聞いておきながら答えはひとつしかない。左之さんに決まっている。思えばさっき、口止めをしておくのを忘れていたと今更ながらに後悔した。それにしてもなんて行動が早いんだ左之さん。 「原田さんが、ついさっき知らせてくれた。……じゃあ、これで」 「えっ、あ、山崎!」 私が包みを受け取ると、用が終わったとばかりに退室しようとする山崎を無意識のうちに呼び止めた。先ほど副長から聞いた『なんで自分のところに回してくれなかった、と諌められてしまったんだよ』という言葉が頭の中で繰り返される。今になって思うが、そこまで山崎が私のことを心配してくれているとは思っていなかった。恥ずかしいような、申し訳ないような、けれどやっぱり嬉しいような。 「……ありがと、な。いろいろと」 「……いや。……任務、ご苦労様」 山崎はそれだけ言うと、私の部屋から出ていった。山崎は今の私のひとことに、どんな意味が込められているか分かっただろうか。そう思いながらカサリという音と共に渡された小さな包みを開けると、甘すぎないだろう菓子がいくつかと錠剤が入っていた。指先でつまんで菓子をひとつ口の中に放りこむ。程よい甘さが広がり、気の遣い方が山崎らしいと頬を緩ませた。 報告、そして 100320(山崎さんへの想いが急上昇中) |