「答辞」 マイクに声がとおって、体育館中に声が響く。 自分の声を聞くというのはあまりいいものではなかったが、3年前期の生徒会や他にもいろいろな代表とかでもう慣れてしまった。 けれどやはり、この卒業式の答辞というものはいままでのとは違った感じがした。 本当に最後、というような、そんな喪失感。 昨年のものを半分真似たように書いてある文脈をつらつらを読んでいくと、 先生がたのところから、あるいは生徒のほうからすすりなく音が聞こえる。 なんだか俺のせいみたいでいたたまれない感じがした。やめてくれ。 「卒業生代表、3年2組日番谷冬獅郎」 最後の言葉を告げてお辞儀をすると、ぱちぱちという拍手がまばらに聞こえた。 今更だがさすがに高校ともなると、生徒の大半は式というものを真面目にやっていないらしい。 予行のときに散々注意されていたこの拍手も、半分以上やっていないのではないのだろうかと思いながら壇上から階段で静かにおりた。 まず壇上の校章と国旗に頭を下げて、それから先生がた、来賓のかたと続いてやっと自分の席へと戻る。 「シロちゃん、おつかれ」 「ああ」 横に座っていた雛森にそう囁かれ、短く返事をすると正面をむいた。 最後の最後に先生に咎められるようなことはしたくないので今回の式は真面目にうけようとはじめから考えていたのだ。 そのうち教頭の「これで卒業式を終えます」という進行の声が聞こえる。 この3年間過ごした学校も今日で卒業するのかと、思い出したように思った。 「日番谷くん、答辞おつかれさま」 「つっ、……」 女子たちに囲まれるのも面倒だし、答辞のことをいわれるのもなんだかむずかゆいような気がして教室のドアを開けたとたん、 ひやっとすごく冷たいものが頬にあたる感じがして振り向けばそこには缶ジュースを持ったがいた。 とは図書室に本を借りにいったときにたまたま知り合って、 雛森の次に仲がいい女子といえるひとというだけであってとくに特別な感情を抱いているわけではなかった。 3年になってからは図書室でよく一緒に勉強したりして受験にそなえたりしたし、 寝不足のときは勝手に保健室のベットにもぐりこむこともあった。 まあ受験生にはよくあることだ。 「日番谷くん。最後に、どう?」 「おま……、……まあ、最後だしな」 チャリン、という音とともにの制服のポケットから出てきたのは数度だけ見たことがある屋上の鍵だった。 鍵と一緒についているプレートには『屋上』と書いてあって、そこにはきちんと『生徒は使用禁止!』とつづってある。 しかし自分も何度か先生の目を盗んで鍵を拝借したし、 どうせ学校生活も今日で最後だということでの持っている屋上の鍵を指でピンと弾いた。 プレートと鍵がぶつかり合って、カチャカチャ音がなるのが聞こえる。 そうこなくっちゃ、と悪戯に笑ったに促されて、缶ジュースを持ったまま屋上へと続く階段を上る。 も屋上の鍵を拝借したのは今回が初めてではないらしく、手馴れた様子でドアの前に張ってある紙テープをよけると 屋上へと続くドアノブの部分へとさきほどの鍵を差し込んだ。 ガチャリと鍵が開く音がして、と目を合わせてにいと笑う。 「なかなか大胆なことするな、おまえも」 「なになに、日番谷くんにはおよびません」 鍵を抜くと、はドアを開いた。優しい春のあたたかい風がかすかに流れてきて、髪を舞い上がらせる。 風が入らないようにか誰も入ってこないようにするためか、はドアを念入りにちゃんと閉めてから屋上の真ん中へと駆け寄った。 そしてがそこでぐっと首を傾けて空を仰いだので、俺も同じように上を向く。 卒業式にふさわしいこの良き日、と先ほどの校長の挨拶を思い出して苦笑をもらした。 まさにそんな日だと思い、屋上だからかやけに空が近く感じた。 「日番谷くーん!」 なかなかに風が強く、聞こえにくかったがが俺の名前を呼んだことは理解できたのでそちらを振り向く。 自分では分からなかったが長い間空を仰いでいたようで、少し首が痛かった。 振り向いた先には笑うと、青空と、奥のフェンスと、とおい町並みだけが見える。 笑っているにつられるようにして薄く笑うと、は俺との距離を縮めて随分近くへと寄ってきた。 も声が届きにくいことに気付いたのだろう。そしてもう一度、日番谷くんと俺の名前を呼んだ。 「ありがとう」 「……なにが」 俺がそう言うと、は困ったように苦笑を零した。そしてしばらくしてから、言葉を選ぶようには続けた。 「今日、この日を一緒に迎えられたことに、ありがとう。 いろんなこと教えてもらって、励ましてくれて……たくさんたくさん、ありがとう」 こうやって「ありがとう」を言われたことはなかった。 第一に「ありがとう」を言うのはあまりかっこいいものではないと思っていたし、 言うのも言われるのもなんだか恥ずかしくていつのまにか簡単な「ありがとう」さえ言わなくなっていた。 けれどいま、いとも簡単に声に出して「ありがとう」を言うは、恥ずかしさなどなくて、滲み出るあたたかさでいっぱいだった。 「ありがとう」は感謝のことばだと、ふと思い出す。そんな簡単なことさえも忘れていた自分が恥ずかしくなった。 どうしてはこんなにも簡単に「ありがとう」を言えるのだろうかと考えるが、それはきっと、俺には分かり得ないことであって、 きっとも真に理解はしていないのだろうとなんとなく思った。きっとそういうものなんだろう。 「……こちらこそ、だけどな」 「わたしが日番谷くんの力になれていたのなら、どういたしまして」 実際が俺のなんの力になっていたのかは分からないし、第一力になっていたのかと聞かれれば「さあ?」と答えるしかない。 けれど、がいてよかったと、ふと思った。 さようならだね、と言ったは右手を差し出して握手、と小さく呟いた。 俺の右手をそれにあわせて、ゆるく、握り合う。 風にさらされていたせいか、お互いの冷たい手をお互いの手で一瞬暖めるようにして、かすれるようにどちらともなく手を離した。 「ありがとう、日番谷くん」 |
「あ、シロちゃん!どこいってたの、もうっ」 今までどこに行っていたのか日番谷くんが戻ってきて、わたしのそばに来るなり 「シロちゃんいうな」と言って卒業証書でぽかりと頭をなぐられた。 卒業証書でそんなことしていいのかと言おうとしたとき、なんとなくいつもとちがうかんじがして日番谷くんの顔をのぞきこむ。 しかめっつらだった答辞のときとは違い、いまはなんだか晴々しているような気が。 「なんかあったの?」 「……かもしれないな」 「うそぉ!なになに、なにがあったの」 そう聞くと、一旦口を開いた日番谷くんはゆっくりとそれを閉じて「おまえには言わん」と言ってそっぽを向いてしまった。 なんだ、と思うと同時に悪いことではないのだろうと感じ取ったわたしは、そっかと相槌を打って終わりにした。 少しのあいだ沈黙が落ちるが、日番谷くんとの沈黙は慣れたので気にしない。 ふいと日番谷くんをみると、仰いでいたのでわたしも真似をするように空を仰いだ。 「雛森……ありがとう、な」 空色の絵の具をのばしたような綺麗な空を見ていると、日番谷くんのそう言った声が聞こえてぎょっとして振り向いたが、 日番谷くんはまだ空を仰いでいて表情は全く見えなかった。 いま、いま日番谷くんがなんと言った。「ありがとう」って言わなかったか。 自分の耳を疑うように、もういちど聞こえた言葉を心の中で復唱する。 (雛森、ありがとう、な……) 言った。やっぱり言った。日番谷くんが、わたしに、「ありがとう」って。 さっきの「なにかあった」はこれだろうかと思うと、自然に笑みが零れた。 ……ちゃんだと、安易に予想がつく。 感謝するって、大切なことだよ。それに『ありがとう』って、たったひとこと、なのにね。 ……とっても、こころがあったかく、なるでしょう? ちゃんがそう言ったときをまだ忘れていない。あの時はただ、めずらしい子だなあと思ったが、いまなら分かる。 (……そうだね、ちゃん) あの日番谷くんに言われたからかもしれない。けれど、稀にしか感じないこの幸福感。 こころがあったかくなる、このかんじ。 きっと日番谷くんもこれをちゃんから貰ったのだろう。こころがあったかくなる、たったひとことを。 「日番谷くんも、ありがとう」 090316(季節にのって卒業+書いてみたかった「ありがとう」の意味。 日番谷くんは「ありがとう」よりも「せんきゅ」って言ってそうだなあ…。 今日わたしの学校は卒業式だったので、今日かけてよかったです…) |