「……おいっ、起きろ!」

「へぁ?いっ……たあぁぁ……っ!」


聞きなれた声で名前を呼ばれているのに気付いて朦朧とした意識で舌足らずな返事をすると同時に、ばこっと頭をなにかで殴られた。その瞬時に鈍い痛みが後頭部を襲い、じわじわと時間差でゆっくりとやってくるその痛みに唇を噛んでこらえる。のっそりと身体を起こして私の後頭部に痛みをもたらした張本人である光夜さんをキッと睨むと、光夜さんは私の頭を殴ったであろう巻物の紐を器用に解きながら刺々しい様子で私を睨み返してきた。うわ、迫力ある。


「俺が居ない隙に、なに勝手に居眠りしていやがる」

「……すみません。……でも、いくらなんでも巻物で殴ることはないと思います。……文化は大切にしてくだサイ」

「職務中に寝てるお前が悪い。あとその書類早く片付けろ。それが終わったらこっちの案件にも目を通しとけ、次期に会議であがってくる」

「え。そんな機密文書、私が目を通していいんですか?」

「俺が問題無いと判断した。無駄口叩いてる暇あったら書類やれ!」

「……光夜さん機嫌悪い……」

「黙れ!俺だって眠いし休みたいし怒りたくなんてないわ!」


噛みつくように怒鳴られて、小さくなりながらも途中で眠ってしまって放置状態になっていた書類に印を押す。確かに職務中に寝ていた私が悪いし光夜さんが怒るのも尤もなのだが、今回は流石に酷すぎる。どうやらここ数日元朱根の領地のいたるところで小さな紛争が勃発しているらしく、しかもそれと同時に紫洞との国境付近で争いが起きそうだとか起きなさそうだとかで黒嶺王宮は連日てんやわんやな状況だった。ある者は王宮内を駆けまわって、ある者は情報を掴むために街へと赴き、ある者は全ての事態を収拾するために知恵を絞り。勿論私もそんな中の1人で、ここ数日家に帰してもらうことはおろか睡眠さえろくにしていない。唯一の救いといえば食事と湯浴みの時間だけはちゃんと取ってくれていることだろうか。

そんなことを考えながら書類に目を通しては印を押して量が溜まったらそれを束ねて、その動作を数回繰り返して机の上の書類の量を着実に減らしていく。すべてに目を通して印を押し、束ね終わったら光夜さんに目を通しておけと言われた案件を一通り眺めて、眠さで朦朧となりそうなの頭を覚ますためにお使いとして図書室と宰相の執務室までひとっ走り。無論、光夜さんの執務室に戻ってきたころには眠気が覚めるどころか体力的に限界でふらふらな状態だった。何日もまもとに睡眠を取らないと人間こうなるんだな、と初めての体験に新しく学習する。できるなら知りたくなかった、と思いながら雑用として光夜さんが紐解いた巻物を捲きなおしていると、つい先程槐斗さんに呼ばれて出ていった光夜さんが早々と戻ってきた。


「、明日の朝にはここを発つぞ」

「……やはりですか。紫洞か朱根、どっちです?」

「両方」

「へぇ、りょうほ……両方っ?!」


光夜さんの口から零れた言葉に驚きのあまり作業していた手を止めて光夜さんを振り返った。疲れの色が濃いしれっとした表情は嘘を告げている様子はなく、本当に紫洞と朱根の両方の地を回るようだ。今からでもどっと疲れが押し寄せてくるが、光夜さんが引き受けてしまったのなら私はそれについていくしかない。光夜さんが右手に数枚の書類を手にしているのを見て詳細を教えてもらおうと、座っていた椅子から立ち上がって一歩踏み出した、その時。ぐらりと世界が暗転したように、視界が、消えた。


(あ……眩暈、が、)


立ちくらみと貧血と過労が重なって、酷い眩暈が四肢の自由を奪う。身体が思うように動かない。すぐそばの椅子に掴まろうとしたが、闇と化した視界ではなにも見ることが出来ず伸ばした手は空を切るにとどまってなにも掴めなかった。冷えた床に倒れこみ、光夜さんが驚いた声色で私の名を呼ぶ声が聞こえたところでやっと視界が回復する。慌てた様子で駆け寄ってくる光夜さんに視線を向けると、書類がひらひらと扉の付近で舞っていた。あぁ、散らかってしまうっていうのに。


「大丈夫か?!」

「平気、です。いつもの、貧血……」

「そうだよなぁ……お前そういう体質だったの忘れてた、悪い」

「……ごめんなさい、」

「謝るな馬鹿、俺の責任だから。……ったく、心配するから急に倒れないでくれよ……って、俺のせいなんだけどな……。どうする、起きるか?横になってた方がいいか?」

「すみませんが起こしてください……」


流石にいつまでも床に横になっているわけにはいかない。私がそう告げると、光夜さんはすぐ近くの椅子の背に掛けてあった毛布を引っ張りながらそれと同時に私の右手も勢いよく引き寄せた。そのまま光夜さんの胸に身体を預ける形で飛び込み、くるりと毛布にくるまれる。光夜さんも私の介抱の経験上、すぐには立ち上がれないことが分かっているのだろう。無理に動かそうとはしないでその場でじっと座らせてもらえるのは楽だしありがたかった。


「ごめんなさい……」

「頼むから謝るなって……どっちにしろ、紫洞と朱根の両方行くことになったんだからしばらく休息を取るつもりでいたしな。俺も休息とらないとやってやれるかこんな仕事。両方行けだなんて、宰相どのは若さを理由に俺たちに押し付けたな……」

「……寝ます」

「おい、人の話聞けよ。って、この体勢のままか?!」


光夜さんの鼓動が聞こえる。光夜さんはこの体勢のままでいることに少し慌てていたが、私が体重を光夜さんに預けて本格的に眠ろうとするとやがて静かになった。光夜さんの心音もやけにゆっくりとしたものに変わる。ここ数日の忙しさが堪えていたのだろう、光夜さんも次期にきっと眠るに違いない。そう思いながら、私は今までこんなに早く眠れたことはなかったかもしれない、というほどに早々と意識を手放した。




鼓動を聞いた

おつかれさま、光夜さん。明日からもがんばろうね。でも、もうこんなに忙しい業務はいやです。



101123(こんなに黒嶺王宮は忙しくなることなんてないだろうなぁと思いつつ。← いつもは何事にも気を使うけれども、本当に忙しいときは食事や体調管理など自分のことについては無関心なのがこの2人)