ロンドンで夏休みを過ごすことには別に異議はなかった。去年はニューヨークでその前はロンドン、そしてその前もロンドンだったし。海外好きの親に連れまわされてわたしは生まれてからあまり祖国の日本で夏を過ごしたことがないのだが、そのおかげで英語はある程度話すことができたし、毎年夏休みは海外に行ってるということでクラスのみんなからもすごいって言われてちょっと鼻が高かったりする。

そりゃあわたしは生粋の日本人なのですらすらと英語を話せるわけではないが、日常会話ぐらいならお手の物だ。普通に街をぶらぶらと散歩したり買い物したり、近所のひととお喋りもする。そんなことしてれば英語も話せるようになるわな、とこれまでの自分を思い出して苦笑しながら、道の端にちょこんと建っているようなおしゃれな喫茶店の入口に置いてあるメニューをちらりと見た。メニューはなんてことない普通の喫茶店のメニューなのだがまぁ多少ならお金も持ってるし、お店もあまり込んでなくて良い雰囲気だ、ちょっとお茶でもしようとふらりと立ち寄って、4つしかないカウンター席の右から2つ目に腰を下ろす。ふわりと漂ってきた匂いに思いがけず口元がにやけると同時に驚いた。この香りはフルーツタルト、しかも料理があまりわたしの口に合わないイギリスでは滅多にお目にかかれないものだと感じる。これは食べなきゃ損だ、とメニューを開いた。フルーツタルトと紅茶のセットはあるのかな、とざっと目を通す。

「お嬢さん、この辺じゃ見ない顔だね?」

メニューを流し見るとどうやらセットはないらしくそれぞれ単品で頼もうかと思ったころに、店長かと思われるまだ若い男性が朗らかに話しかけてくる。紳士国のイギリスでは見かけないパターンに、ふと思いついてフランスの方ですかと突拍子もなく聞いてみると、そのひとは一瞬きょとんとしてから小さく笑ってそうだよ、と言った。やっぱり、と思いながらフランス人の店長に最初に問われたことの答えを告げた。

「ふたつあっちの通りに住んでるんです。でもこんな素敵なお店があるなんて知らなかった、もっと早く見つけていればよかったです」
「わぉ、嬉しいこと言ってくれるね。それでお嬢さんのお望みはフルーツタルトと紅茶?」

はい、と頷くと店長は小さく笑いながら、ちょっと待ってて、すぐ用意するから、とくるりと向き直って奥へと消えていった。香ばしいタルトの匂いと甘酸っぱいフルーツの香りが鼻孔をくすぐる。あぁ、はやく食べたい!

「どうぞ、当店自慢のフルーツタルトと紅茶です。ミルクいる?」
「はい、少しだけお願いします」

カチャリ、と木のカウンターとお皿がぶつかる音が小さく聞こえた。タルトとフルーツの合間にかすかにさわやかなレモンの香りがして、さすがフランス人店長のお店、とフォークに手を伸ばす。さく、とタルトにフォークをさしたころ、ミルクが少し入った紅茶がタルトの横に置かれた。タルトの上に乗っているのはラズベリーだろうか、ブルーベリーだろうか、とりあえずベリー系の甘酸っぱい香りが強くするそれを口に中に入れてもぐもぐと小さく噛み砕く。

「どう?」
「お、おいっしいです!」

どうやらラズベリーだったタルトの上にのっていたそれは、噛めば噛むほど果肉が甘酸っぱさを増していく。そしてそれがさくさくのタルトとなんとも相性が良くて、おいしい、おいしすぎると喜びをひとりでかみしめた。人の気配がしないところを見るとどうやらこの店長ひとりでこのお店を切り盛りしているらしく、このタルトをつくった店長に尊敬の念を感じた。こんなおいしいものをつくれるなんて、すごすぎる店長!

二口目のタルトを飲みこみ、これまたおいしい紅茶をひとくち飲んだとき、ふと背後に人気を感じて振り向くとそこにはわたしと同じくらいの男の子がいた。わたしと同じく客なのだろう、彼はわたしのことをちらりと見ると一番左の席に腰を下ろす。そして奥に向かって店長、と大きくも小さくもない声でこの店の店長を呼ぶといつもの、と彼は言って店長ははいはいと相槌を打った。常連さんなのだろうか、なんて思いながら再び幸せな気分に浸りつつ、タルトを食べ終えると紅茶のおかわりをもらう。なんて良い店なんだ、そしてなんて良いひとなんだ店長。今までこの店を見つけなかった自分を激しく叱咤して紅茶を飲みながら、ふたつ隣に座った彼をちらりと盗み見る。彼は持参したのか店に置いてあるものか知らないが、雑誌に目を通しながらシンプルそうなスポンジケーキをフォークにさしていた。色は薄いこげ茶、なのでマロンケーキかモカケーキだろうか、なんて予想をつけていると、ふいにこっちを向く。

「……なんだよ」
「え?あ、いや、なんでもないです」

見ていただけなのに、と思いながらも彼から視線を外す。にしても、端整な面持ちをしているなあとばれないように再度盗み見た。ちょっと長めのストレートの黒髪はさらさらで、日に焼けているようだけど元々は色白じゃないだろうか。瞳の色は分からないが、さっき一瞬見たときは灰色か焦げ茶色に見えた。特に男の子に興味はないけれどかっこいいなぁ、なんて思いながら彼を視界から完全に消して紅茶を飲み干す。カツン、とカップをソーサーに置くと、コインをカウンターの上に置いた。その音に気付いたのか、奥から店長が顔をのぞかせる。わたしも少しだけ身体を傾けて、店長の顔がちゃんと見えるようにした。

「ごちそうさまでした、おいしかったです。また来てもいいですか?」
「うん、毎日来てもいいよ、っていうかむしろ大歓迎。サービスしてあげるよー」
「ほんとですか?なら明日も来ます」

カウンターの近くへと来た店長に小さく頭を下げると、お店の入口へとつま先を向けた。今日の散歩の収穫はなかなか大きい。おいしいタルトと紅茶のおかげでご機嫌なわたしは、鼻歌を歌いながら帰路についた。明日はなんのケーキを食べようかな。



good afternoon




さっきまでふたつ隣にいた女が店を出てってから数分、いままで皿を洗ってたのか手が濡れたままの店長はタオルで手を拭きながらやたらとにやにやしている。たぶん気付かれたな、と知りながらもそれを表には出さずに雑誌から目を離した。なんとなく、屈辱的な気がするのは店長だからなのだろうか。

「なーるほど、シリウスってば一目惚れってヤツ?」
「るっせーよ」

やっぱり気付かれてる。恥ずかしがるなんて可愛い部分は自分にはないので照れはしなかったが、一本取られた、という感じがする。なんでだ。

「無駄にかっこつけちゃってさぁ、怖がられてもしらないよー」
「黙れ」
「おーこわ。でもさ、もう8月17日でしょ?早くしないとシリウスホグワーツに行かなくちゃだし、それにあの子、たぶんもうすぐでロンドン出てくよ。もしかしたらだけど、あの子の親と俺知り合いだと思うから知ってるんだよねー、たぶんだけど」
「……どういう意味だ?」
「あの子の親が俺の知り合いなら、だけど。あの子、ちゃんっていうんだけどね。まぁ名前からも分かると思うけどロンドンの子じゃなくてアジアの島国の子なんだよね。夏休みの間だけロンドンに来てるんだと思うよ、あの子の親が海外大好きだから」
「……つまり、期間は」
「ラスト1週間、ってとこかな」

どこか楽しそうな店長に頭のどこかでキレながら、それでも店長にはどこか勝てないような気がしているのでなんとか押しとどまる。自分が一目惚れした事実はなんとも認めがたいがここは認めることにしよう、大人になるんだ俺。しかし彼女と俺に残されたリミットはあと1週間前後、俺に一体どうしろというのだ。第一、今日が初対面で第一印象最悪、もしかしたら変なやつに思われたかもなんて考えただけで恐ろしいので考えない。

「とりあえず、俺がなんとかしてお嬢さんが毎日ここに来るよう約束付けてやろう」
「……代償は?」
「うん?若い男女の甘酸っぱい青春を見物させてもらうってことで」
「ふざけんな!」



090930(ロンドンに来ているヒロインちゃんにシリウスが一目惚れする話。続き書けたらいいなぁと思うけど無理だろうなぁ。この後きっとシリウスは悪戦苦闘!そして店長謎のひと笑)