「んん……チェックされてるよね、これ」 「やっと気付いたかアホ」 「やだ私ってば気付くの遅ーい……。シリウス実はこうやってこっそり忍び寄って詰めるのとか得意でしょ、うわぁ変態みたい」 「……変な言い方するなよ」 軽く握ったこぶしを口元にあてた。むう、と小さく唸る。傍から聞けば怪しいと共にちんぷんかんぷんな会話だが私達の中では一応筋が通っていた。なぜならばこれは点検をしている話でもシリウスが男として変態な話でもなく、チェスの話だからだ。 このチェス盤は私の物なので勝手に動いたりわめいたりはしないマグルのものである。私が2年のころまでは元々談話室に置いてあった魔法界のチェス盤を使っていたのだが、私が「いろいろ考えてるのに駒たちがうるさいから集中できない、自分勝手に動かないマグル式のチェス盤がいい」などという我儘を言ったため、3年のころからはいつのまにか私が持ってきたマグル式のチェス盤しか使わなくなっていた。 ただえさえチェスは長時間頭脳を使うゲームだというのに、横からぎゃーぎゃー言われては集中できるものもできなくなる。そういう性格である私にはマグル式のチェスのほうが向いているのだ。最初は「面倒くさい」「なんでマグル式のチェス盤なんかを」などと駄々をこねていた同級生や先輩もいつからかなにも言わなくなっていた。ただ面倒くさくなっただけなのか、それともマグル式のチェスに目覚めたのか。どちらにせよ私にとっては結果オーライなわけであった。 (キングを……いや、クイーン、か?) キングに動いた手を少しずらしてクイーンに触れる。ルークの隣ににあったそれをキングを護るようにずらした。これでチェックメイトは防げる、はず。クイーンから手を離して再び口元へとその手を寄せた。遠くから眺めるようにしてチェス盤全体を視界に納め、そしてそこで息をのむ。本当にはっという無声音を響かせて息をのんだ。 ククッと喉で笑うシリウスを見ても分かるようにミスをしてしまったと気づくが、もう遅いということにも気づいている。キングでもクイーンでもないルークを動かせばよかった、と唖然としながら今更になってからそのことをぼんやりと思っていると、シリウスの綺麗な右手が黒のキングに触れた。黒、はシリウスの駒。 親指と中指で黒のキングを動かし、空いている人差指で白のキングをピンと弾く。その動きさえもかっこよく映るのは生き生きとした表情からか、それとも元々の容姿の良さからか。おそらく両方だろう。シリウスの人差し指がもたらした振動で私の白い王様はぱたりと倒れる。あああ詰まれた。 「チェックメイト、俺の勝ち。約束は守れよ?」 「守りますよちゃーんと、あーあ……」 ぼすっとソファーの背もたれに身体を預ける。私とシリウスのチェスの勝敗は言ってみれば五分五分といったところで、今日の勝率も2分の1だった。にも関わらず負けてしまって悔しいといえば悔しいが、チェスの結果よりももっと悔しいものが今回はあった。チェスを始める前にした、シリウスのちょっとした賭け。 「チュールローズのネックレス欲しかったのになぁー」 フランスで有名な小物ブランド、チュールローズ。イギリスではあまり知られていないのだが、シンプルで可愛らしくて子供っぽくもなく大人っぽくもないデザインのアクセサリーが多い。手が届かないほどの値段ではないが、学生の身分である私がちょっと買うのに躊躇してしまうぐらいには高い。 シリウスに「チェスでなんか賭けようぜ」と言われたときにとっさにそこのネックレスが欲しいと言ってシリウスは了承してくれたのだが、負けてしまっては意味がない。とりあえずネックレスは今年度中はお預けかなぁ、と不貞腐りながら起き上がった。チェスを始める前に「シリウスはなにを賭ける?ちなみに私にできること限定だよ」と言ったのだが、シリウスはなにをかっこつけているのかは知らないが「俺が勝ったときに言う」の一点張りでなにを欲しているのかはまだ知らない。 あああなんだろう、なにを言われるんだろう。スリザリンの先輩に悪戯してこいとか、今度の悪戯の逃げるときの生贄になれとか……あれ、悪戯関係しか浮かんでこないぞ。確かに悪戯も生贄も私にできることに間違いはないが、しかし今まで築きあげてきた先生方の信頼とか、グリフィンドールの私とスリザリンの友人との極めて珍しいなおかつ壊すにはためらわれる友情とかがガラガラと崩れていっていまうに違いない。あああそれにチュールローズのネックレス……やっぱり賭けなんてするもんじゃなかった。ネックレスに目がくらんだ自分が馬鹿だった。もうこうなってしまえばやけっぱちだ、シリウスの言うとおりになってやる。 「で、賭けの内容、教えてもらっていい?」 「……あー、」 不貞腐れていた私とは反対に、せっせとチェスの後片付けをしていたシリウスは私の言葉を聞いて一瞬ピタリと動きを止めた。そのあとすぐにまた動き始めたけれど、なんとなくの雰囲気で彼が動揺しているのが分かった。言葉を濁してなかなか言い出さないシリウスに無理に催促はせず、彼の後ろの時計に目を留める。夕方5時30分。夕食が始まってすぐの時間帯なので談話室に人はまばらだった。私達の他には、カップルが1組と宿題している5年生が2人、お喋りしている1年生が5人。うん、すごく少ない。 「……あのさ。来週のホグズミード、お前リリーと行くだろ?」 「うん。レイブンクローの男子からお誘い来てたのにねー、勿体ない。私なんかと一緒でいいんだろうか」 ソファーの肘掛けに頭をコテンとのせる。レイブンクローの6年生から「今度のホグズミード、一緒に行ってもらえないかな」なんて言われてたリリーはしばらく悩んだ後に断ったらしい。なかなかかっこいいひとだと思ったのに勿体ない、とリリーに言うと「と行ったほうが楽しいもの」なんて嬉しいことを言ってもらえた。私ってば愛されてる。そう思って頭を肘掛けにのせて横向きの状態のままにへりと笑った。 「うへへ。私ってリリーに愛されちゃってるよね」 「なんだよ気持ち悪い、俺に聞くなよ。……って俺が言いたいのはそういうことじゃなくって」 すっかり脳内はホグズミードの話からリリーに愛されているという話になっていた私は「へ?」とすっとんきょんな声を出した。シリウスが私がリリーに愛されているとかそういう話を聞きたいわけではないだろうが、誰とホグズミードに行くとか行かないとかはただの日常会話の一つだと思っていた。なにか目的があったので話をふったのだろうか。 「あ、ちなみにリリーと行かせてくれというお願いは聞いてやれないぞー。いくらシリウスでも私が許さないから」 「ちっげーよ!俺が一緒に行きたいのはお前だ」 「……は?」 眉をしかめるとシリウスの右手が伸びてきて人差指で眉間をぐりぐりとされた。「眉間に皺寄せないでくれよ」とため息を吐きながら言われて、そこでやっと人差し指を離される。そんなに眉間に力を込めてたのだろうか。どちらにせよこれは私は悪くない、あんなこと急に言うシリウスが悪い。ちょっとこれは冗談じゃないかもしれないぞ、と思って身体を肘掛けから起こした。恐る恐るといった風に聞いてみる。 「……私と行ったって、特に楽しくもなんともないよ?」 「分かってる」 「む、ひどい」 「いいから。俺はお前と行きたいんだよ」 よくないよ。そう思いながら軽く握った右手を口元に寄せる。私の考えるときの癖だ。シリウスがどういう思惑を持って私と行きたいのかは分からないが、シリウスと一緒に行くのも悪くは、ない。なんといっても学校一ハンサムでかっこいいと言われる彼だ、並んで歩いて私の面目が失われることはない。むしろ上がる。それに今までシリウスとホグズミードに行った女の子はいないと聞いているので、ちょっと嬉しかったりもする。でもリリーとの約束があるし、どうするべきか。 シリウスは私の答えを待ってくれているらしく、相変わらずチェスの片づけを続けていた。上目遣いでちらりと見ると、視線に気づいたシリウスが顔を上げる。視線が絡んで、なんとなく気恥ずかしい。 「なんでリリーじゃなくて、私?」 「……ただ純粋にお前と行きたいっていうのが6割、ジェームズに頼まれたっていうのが3割、あと気まぐれ1割」 「……気まぐれってなによ」 なぜジェームズに頼まれたのかは分からないが、シリウスは本当にただ私と行きたいだけらしい。彼が嘘をつくときには視線を彷徨わせるのだがそれがないのでこれは嘘ではない。と思う。シリウスと行ってもいいのだが、そうなったらリリーが1人になってしまうのだ。おそらくリリーのことだからシャロン達と行くことにしてくれると思うのだが、前から約束していたので悪いような気がする。そこだけが気になって決めかねる。うぅん、さてどうしようか。 「そんなにリリーと行きたいのか?」 「んん、いや、シリウスと一緒に行ってもいいんだけど……リリーに悪いなぁって思って」 「エバンスのことだから気にしないだろ。俺にしとけって」 「んー……うん、そだね。いいよ、一緒に行っても」 シリウスの言う通りだろう、きっとリリーは気にしないでくれる。それにしても最後の『俺にしとけって』がなかなか効いた。シリウスからまっすぐ視線を向けられて、この言葉にときめかないわけがない。確信犯なんだろうか。いけないいけない友達としてのシリウスとの関係を続けたいのだがら、そこに恋愛感情が芽生えてはいけないのに。平常心を保つんだ、私。 不覚にもどきどきしてしまったことを隠すように、カフェオレの入ったマグカップに手を伸ばした。チェスをやってる間にすっかり冷めてしまっただろうと思っていたそれはまだほんのりと温かい。淹れてくれたのはシリウスなのでマグカップになにか魔法をかけておいてくれていたのだろうか、と思いながらそれに口をつける。 「にしても、なんでそんなに私と一緒に行きたいの?」 「はぁ?気づけよお前……お前のことが好きだからに決まってるだろうが」 「ぶっ!」 口に含んでいたカフェオレを思いっきり噴き出す。スカートやセーターにぼたぼたと薄茶色の液体が落ちた。幸い顔には跳ね返ってこなかったが口からだらりとカフェオレが垂れる。それにとっさに気づいてぱっと口元に手をやった。ちょ、ちょっとまて今こいつは何て言った。私が恋愛感情を持たないようにと思った矢先、だったのに。首元からカフェオレが垂れてシャツの中に入る。気持ち悪い感覚だったが今はそれを気にしていられる状態ではなかった。 「なに噴き出してんだよ、あーあー垂れてる」 「ちょ、な、なに言ってんの?好き?シリウスが?私を?」 「そう言ってるだろ、あー言っちまった……かっこわりー」 シリウスはそう言って苦い顔をすると、立ち上がってすたすたとこちらへと回りこんできた。急なことに頭がついていかない私はそれを眺めるようにして見ていると、シリウスの手が伸びてくる。まず私の手からマグカップを受け取りそれを机の上に置くと、ハンカチを取り出してカフェオレでべたべたになった私の手をそっと拭った。されるがままになっていると、シリウスは私の手を拭いながらそっとため息を吐く。 「……あのさ。嫌だったら、言えよな?」 「い、嫌じゃない、よ。……吃驚しただけで」 そう、吃驚しただけで嫌じゃない。だって今まで4年間、ずっと友達だと思っていたシリウスからの告白。驚かないわけがない。私がそう言うと、シリウスはよかった、と小さく呟いて拭った私の手にひとつ小さなキスを落とした。それにも驚いて身体をびくりと震わせると、シリウスは小さく笑ってから私の隣に腰を下ろす。 「驚かせてごめん、本当はホグズミードに行ったときに言おうかと思ってたんだけど」 「う、うん」 拭い終わった私の右手をゆっくりとソファーの上に置いてくれる。 ハンカチの薄茶色に染まっている部分を内側にしてから、「首拭えよ」と言ってそれを私に渡した。私はそれを受け取って、言われたとおりに首筋にハンカチを当てる。そろそろ頭もすっきりしてきて、今この状況がどんなものか分かってきた。告白されたのは初めてだ、どどどどうすればいいんだろ。うわ、意識した途端に恥ずかしくなってきた。 「……あー悪い、困らせてごめん」 「こ、困らせては……んん、いや、そうかも……?いや、ええと……」 「どっちだよ」 息を吐きながらシリウスは背もたれに体重を預ける。小さくソファーが軋んだ。それからお互いに黙り込んで十数秒経った頃、急に私の右手にシリウスの左手をかぶせられて何事かとちらりとシリウスを見る。背中を起こしたシリウスは、かがみこむように私の顔の高さに彼の顔を合わせた。キスされるのかな。どきどきと心臓が高鳴る。そんなことはないだろうけど緊張と恥ずかしさで心臓が止まっちゃいそうだ。 「嫌なら言って、止めるから」 「……嫌じゃ、ない」 「……それって普通ってこと?それとも好きってこと?」 そこで一度口をつぐむ。好きなのか、それともただ嫌いじゃないだけで普通の友達としての感情なのか。この高鳴る動機は私がシリウスを好きだからなのか、それともただハンサムなシリウスにときめいているだけなのか。 「……分かんないよ。嫌じゃないけど、好きなのかどうか分かんない」 「それって、ただの友達?」 「んー……友達以上恋人未満、みたいな」 「……いいこと教えてやるよ。好きかどうか、付き合いたいかどうかっていうのは、要するにしたいか、ってこと」 「し、りうす!」 それってそれってシリウスは私としたいってこと、なのだろうか。どちらにしろ恥ずかしすぎてそんなこと聞けない。身体が急に暑くなったのを感じる。恐る恐るまっすぐにシリウスの瞳を覗くと、灰色の綺麗な瞳に私が映っていた。そっと私の左頬にシリウスのひやりと冷たい右手が触れる。火照った自分の頬の熱が奪われるのが分かった。すい、とシリウスの唇が私の右耳に動いたのを感じる。彼の吐息が感じてくすぐったかった。 「好きにならせてやる、って言ったら信じてくれる?」 「……な、ならない自信がない……っ」 卑怯だ、耳元でささやくのは卑怯だ。 どきどきが頂点に達する。音がシリウスにまで聞こえてしまいそう。ふっとシリウスの口が耳から離れる。ぽそりと、目ぇ閉じてという言葉が聞こえた。ぎゅっと瞳を閉じる。シリウスはずるい。 シリウスの唇が触れて、私のよりも少し苦いカフェオレの香りがした。溶けてしまいそう。 091226(きっと今年最後の更新!シリウスが結構頑張った話。チェスからホグズミードから告白にころころしてます。シリウスがかっこいいのは当たり前だけれどそれを確信犯で利用する奴だと思うんですが…私だけ?「You are cunning」=「あなたはずるい」という意味です) |