ゆっくり扉を押す。小さく聞こえた軋む音は、静かな教室に大きく響いた。窓という窓はすべて開け放たれていて、ひらひらとカーテンが揺れて淡いひかりが教室に差し込んでいる。まるで水のなかみたい、と思いながら教室に入って扉を閉めた。小さな影が振り向く。いつもは堂々としていて大きくて眩しい彼だけれど、今はこじんまりと寂しそうに見えた。その理由は知っているけれど認めてはいけない。なぜなら私は、彼を慰めにきたわけではないのだから。

「……君か」

ぽそりと小さくこぼれるような呟きが聞こえる。私は小さな影にゆっくりと近づいた。今は吸っていないようだったが、ふわりとかすかに煙草のにおいがする。一種の精神安定剤。いつから彼は煙草に手を出すようになったのだろうか。それを思うと悲しくなった。

「なんとなく検討ついてたでしょ。シリウスやリーマスでは近すぎるし、リリーなんてもってのほか。となると残りは私とピーターだけど、シリウスとリーマスは私を選んだみたいだね」
「……わざわざ、いいのになぁ」
「シリウスとリーマスがやばいって思うほど今のジェームズは危なっかしいんだよ。自覚してるでしょ?親友のご厚意をありがたく受け取っときなよ」

私はジェームズの隣まで来ると、彼の隣に腰を下ろした。そう、私をここに向かわせたのは他ならないシリウスとリーマス。卒業まであと3週間を切った今、あの2人が思わず心配してしまうくらいジェームズは不安定だった。リリーとの結婚が決まり、そして彼自身が危険にさらされつつある今、ジェームズがなにを思っているのか。分からないわけではない。

「ふらふらして、寄り道いっぱいしたってかまわないよ。ジェームズはいつも私たちのところに帰ってきてくれるから。でも、今のジェームズは放っておくと離れてどこかにひとりで行っちゃいそうだから、みんな怖いの」
「……分かってるさ、ちょっと不安定なことぐらい」

ジェームズの鼻をすする音が小さく聞こえた。そう、今のジェームズはどこか輪郭がぼんやりとしてて、目を離したすきにどこかにふらふらと行ってしまいそうで、不安になる。私も今のジェームズが怖い。今のジェームズなら、ためらいもなく全てを切り捨ててしまいそうだったから。

ジェームズは私たちの太陽。私たちの中心は彼だった。だから中心だったジェームズが輝きを止めると、みんな怖くなる。あのシリウスやリーマスまでもが怯え、私に救いの手を求めてくるほどに。私も怖い。けれど私の中心はジェームズからちょこっとずれているから、まだ平気なほうなのかもしれない。けれどジェームズがいなくなるのは、本当にいやだ。こわい。

「みんな知ってるよ。ジェームズが不安でいっぱいだってことも、今は前が見えなくて後ろばっかり振り向いちゃうときだっていうことも。全部ぜんぶ分かってる。だから、乗り越えてほしい。それが私たちの愛。重すぎるほどいとおしくて、なによりも大切な愛のかたちなんだよ」

その不安は私には分かりっこないし、分かりたいともとも思わない。絶大な信頼をたくさん持っているジェームズだからこその、贅沢で大きくてひどく脆い不安。隣にいるジェームズを少しだけ引き寄せる。よしよしとなだめるように頭をなでた。女性の前では決して涙を見せないのが信条の彼は、きっと私の前では泣かない。それは私が「泣いていいよ」と言っても崩れない、彼のどうでもいい、けれども誇り高い矜持。

「ちょっと、弱くなったね。しばらくの間に。守るものが増えたから?」
「……そうだね」
「大切なものが増えるほど、守るものが増えていくもんね。いっぱいいっぱい大切なものを抱えて、ふらふら彷徨っていいから、それでも最後には帰ってきてね?」
「リリーと一緒に……ちゃんと帰るよ」

やっと前向きな言葉が出てきたジェームズに小さく笑う。よかった。まだ当分ふらふらして心配されまくるだろうけど、きっともう彼は大丈夫。だって私にちゃんと“帰ってくる”と約束したから。

「リリーだけじゃなくて、リーマスもね。あと、仲間外れにすると拗ねるから、落っこちているシリウスも仕方なく拾ってあげてね。ピーターも見つけてあげて。きっとひとりで寂しがってるから」
「……君も、必ず見つけ出して見せるよ」
「そうだね、きっとジェームズひとりじゃ我儘エロ犬の相手できないもんね」

私がそう言うと、ジェームズは喉で噴き出すように笑った。それを合図にするようにして、2人で大笑いする。自分でも、我ながらうまいこと言ったなぁと思いながら、ジェームズが私を拾ってくれることに安堵していた。大丈夫。私にとって彼は絶対的な存在だけれども、彼にとって私も必要な存在なんだ。

やっと笑いが落ち着いたころ、ジェームズは一息ついてから静かに立ち上がって微笑む。いつものジェームズだ。まだ少し心もとないけれど、しっかりと輝いている彼を見るのは頼もしくて、どこか誇らしかった。

「ありがとう、。僕はもう大丈夫」
「よかった」

そう短く返事をすると、ジェームズは少し高い靴の音を静かな教室に響かせながら出て行った。廊下に出てもなおも聞こえる足音は、傲慢で高飛車で、けれど強くてしっかりした音だった。もう大丈夫。そう自分に言い聞かせる。

これからジェームズはリリーと結婚して、きっと子供もできるだろう。幸せな家庭を築いて、そしてゆっくりと闇と戦っていく。いつか、終わりを告げる争いが来るまで。それが来るまで長いか短いかは分からない。けれど大切なのはそのことじゃない。

その日が来るまで、どうか彼が笑っていられますように。

そうなんとなしに思っていると、教室の扉が開く音がした。誰なのかは見当がついている。やがてその人物は私のそばまでやってきて、私の隣に腰を下ろした。さっきまでジェームズがいた場所。

「……悪いな。あんな役、お前にさせて」
「んーん、気にしないで。……ジェームズがつらいと、私もつらいから」
「…………あのさ、前から思ってたんだけど、お前、俺よりジェームズのほうが好きだろ」
「ばか、シリウスに決まってるよ」

シリウスの問いに即答で答える。ジェームズのことは好きだ。けれどそれは恋愛としての意味ではなく、私たちを照らしてくれるひかりだから。彼がいないと輝けない私だから、私にとってのジェームズは絶対の存在。シリウスはそれはもう独占欲があまりない私でもひとりじめしたいと思うくらい好きだ。馬鹿じゃないかと思うくらい大好きだ。シリウスも私にとってなくてはならない絶対の存在。ただ、ジェームズのほうがちょっと勝ってるだけの。

「内側からね、ジェームズ、シリウス、リーマスがきてピーター……そのあとにリリーで、やっと私ね」
「……何の話だ?」
「私たちはジェームズを中心に回っているよねっていうはなし」

天体のようにくるくるといつまでもゆっくり、ジェームズを真ん中にしてみんなが回っている。ジェームズが消えては困るのだ。それはジェームズにとって限りなく重い糧。けれど、確かな愛がそこにはある。

シリウスは唐突に私をぎゅっと抱きしめた。最近ホグワーツの卒業を間近に控えているからか、なんとなくみんながみんな感傷的なのかもしれない。そう思って小さく苦笑いしてから、私もシリウスの背中に手を回した。

「……そんなに俺とが離れてたら、お前のこと分かんねぇだろ」
「なに言ってんの、シリウスは我儘なエロ犬でしょ」
「…………そっちこそなに言ってんだ」
「きっとジェームズが私を照らさなくても、シリウスは私がいないと駄目だから、ちゃーんと見つけられるよ」
「すっげぇ馬鹿にされてる気がする」
「してるもん」
「…………、………………………………好きだ」
「え?あ、うん」



いつもそばにあった太陽は、

(毎日近くにあるから気づきにくいけれど、確かにとうといものなんだ)




100105(決してジェームズ夢ではないです、シリウス夢です…!どこぞのサイトさんで弱気なジェームズを見てちょっときゅんときました。そんな彼もいいわよね)