あ、あ、あ。

やばい、と思った瞬間にはもう遅かった。せめてもの防御にととっさに顔を俯かせて首をすくませ、肩に力を込める。瞳をぎゅっと瞑ってその瞬間を待つと、そう遠くないうちに後頭部と肩と背中に強い衝撃を感じた。その痛みを堪えながらここは本当に魔法学校なのかと疑いたくなる。なんでこんなにも古風な嫌がらせに私は合わなくてはないけないのか。いや、魔法でないのは嬉しい限りだが、と思いながらそろりと俯かせていた顔を上げた。

顔を上げるともうその姿は見えなかったが、小さな笑い声と高い足音が小さく聞こえた。祖国で養われた身体能力のおかげで音は聞きとれたものの、誰の声かは判別がつかない。ホグワーツの全校生徒の数は半端ではないので当り前か、と思いながら後頭部や肩を軽くはたいた。そして上階から落とされてかわいそうな状態になっている分厚い本たちを拾い上げる。こんなことなら人気の少ない廊下を近道だといえど通らなければよかった、と息を吐くが今更どう思っても仕方ない。とりあえず周囲に人がいなかったのだけが不幸中の幸いだ、と思いながら積み上げた本に向かって杖を振った。



Hatred and gentleness



、それどうした」
「え?なにが?」
「左手首」

そう言われるや否やシリウスに左腕をひっぱられてぐい、とセーターやシャツを一気にまくられる。露わになった手首には先ほどシリウスに言われた通り、真っ白な包帯が巻かれていた。見つからないようにセーターの袖を指まで引っ張っていたというのに、いつの間にばれてしまったのだろうか。そして見つかっれしまったからには、さて、なんて言い訳をしようか。

そんなことを考えていると、しかめっ面をしているシリウスは包帯が巻かれている部分にそっと触れた。愛情を感じられるその行為をいとおしく思う。いつもはクールぶっててなんでも器用にこなすシリウスだけれど、こういうことに慣れていないのを知っているのは彼女である私の特権だ。

「気にしなくていいよ、ちょっとした打撲。大したことないからすぐに治るって」
「医務室には」
「……行って、ないけど」

行け、と半ば命令されるかのように連行されるかと思いきや、シリウスはさらに眉を寄せて怪訝な表情になっただけだった。珍しい反応に内心首をかしげつつ、さりげなくシリウスの手から私の手首を離す。そんなに目立っていたかなぁ、と思いながらシャツとセーターを戻していると、相変わらず微妙な表情をしているシリウスに待ったをかけられた。

「……なぁ、」
「うん?」
「お前……一部の女子から、いろいろされてたりする……よな?」
「……なんで?」

ばれた。しかしそれを微塵も顔も出さずに、けろっとした表情で答えは返さずに問いを向ける。いつ、どうして、ばれたのか。頭の良いシリウスといえど、包帯イコール私が嫌がらせを受けている、という考えに簡単に辿りつくはずはない。だとしたら誰かから情報を仕入れたか、あるいは現場を直接見たのか。なんとなく、という選択肢もあるがいかにもシリウスらしくて即却下した。それが答えだとしたら私は分かりやすい人間ということになってしまう。それは認めたくはない。

シリウスは多少なりとも言い辛そうにしていたが、やがて意を決したように開口一番に「ごめん」と私に向けて謝った。だめだ、完全にばれてる。誤魔化しなんてきかない、と半ば呆れたようにその謝罪を聞き入れる。

「気をつけろって、ジェームズやリーマスに前々から言われてたんだけどな……最近お前いろいろとヘンだし、もしかしたらって思って。この間から、なにかと俺を避けるようになったし……リリーに忠告されてから、確信を持った」
「……忠告?」
「『そろそろ反感持ってる女子からの反撃がくるわよー、主に彼女のほうにね』、って言われた。……実際、その頃からお前が俺を避け始めたし」
「あー、……うん。そっか……」

犯人はあんたか、リリー。嬉しいような困るようなお節介のような、けれども今まで彼女に何度も助けられてきた実績が私にはある。彼女が間違ったことなんてするはずはない、きっと今回もリリーは正しい。シリウスに知られたくなかったというのは私の勝手な我儘であって、私が瀬戸際に追い込まれる前にリリーは私を掬いだしてくれた。それは分かる。リリーは優しいけれど、私自身でなんとかできる範疇のうちはなにも手を出してこない。いつも誰かに私のことを「忠告」という形で教えるのは、いつも私がひとりで抱えきれなくなってきたころだ。

今回もそうだ。初めは本を上から落とされたり教室にひとり閉じ込められたりした程度だったが、最近ではエスカレートしてきている。この間は完成したレポートが修復できないほどめちゃくちゃになって返ってきたし、つい昨日は階段を歩いていたら背中を押されて危うく階段から転げ落ちるところだった。そのときは少し前を歩いていた男子生徒に支えられて左手首を痛めただけで済んだが、もし彼がいなかったら階段の一番下まで転げ落ちて手首どころではなかっただろう。

確かにそろそろひとりで対処するのが苦しくなってきていた。けれどこんな絶妙なタイミングで教えるなんて、とリリーの優しさに苦笑する。嬉しいけど、お節介だよ、リリー。けれどそう思うのも私の我儘でしかない。

「……なんで言わなかった」
「……ごめん、それは謝る。でも、言えないよこんなこと」
「こんなことっていうな。何かあったら心配するに決まってるだろうが。……って、もうなにかあったみたいだけどな」

ちらりと私の左手首をうかがうシリウスの表情に怒っている様子はなかった。ただただ本当に心配しただけの、過保護な顔。それにぎこちなく微笑んでから、ばかだね、と瞳を伏せながら唱えるようにして呟く。

「私が言えない性質だって、知ってるくせにね。……もう嫌になっちゃった?」
「そんなわけない!」

私が極度のかっこつけだということは自分が一番分かっている。こんな情けなくてかっこわるいこと、シリウスに言い出せるはずもない。甘えることとかっこわるいことは似ているようだが別物で、甘えることはできてもかっこわるいことを自分からさらけ出すような真似はできなかった。それが私。すごく面倒くさくて他人から見ればどうでもいい、けれど私には曲げることができない絶対の契り。

声を荒げたシリウスは決まりが悪そうに視線を彷徨わせながら、やがて長い長い息を吐いた。そして結局私からは目をそむけたまま、明後日の方向を見上げてぼやく。

「…………俺も悪かったよ。そうだよなぁ、お前から言い出すなんてことしないよなぁ……迂闊だった」
「分かってくれたならどうも。まぁ、そういうわけなんだよ」
「……俺がどうにかしようか?」
「いや、シリウスは動かないで。絶対に。余計に反感買うから」
「じゃあ俺はどうすればいいんだよ。さすがにお前をふらふら自由にさせておいて怪我して帰ってきましたー、なんてなったら俺もう押さえが効かないからな」
「……あぁ、そうだね。じゃあ適当に不審に思われない程度に、私のまわりうろうろしてなよ」
「うろうろって……普通に一緒にいたら駄目なのか」
「いや、べつに。そこはお好きにどうぞ」
「あー、そうかよ。じゃあ好きにさせてもらうからな。……っにしても、あー、女ってめんどくせぇなー」
「嫉妬からくる嫌がらせ、は男子にもあるんじゃない?」
「いや、嫉妬はあっても嫌がらせはねぇな、たぶん。男はそこまで感情的じゃないし。こう、ねちねちやられるのって嫌だな、女っていうものは」
「まぁ、面倒くさいけど……それが女ってもんだし。好きな男子に彼女が出来たからって諦められるものじゃないんだよ」
「はぁ?綺麗さっぱり諦めろよ、どうせどうにもできないんだから。女って理解できねーな!」
「同じく」
「まぁいいか、とりあえずお前のことも分かったし……今は深入りしないけど、これ以上外傷増えたら突っ込むからな」
「はいはい、分かったよ。ありがとうね」
「……まったくもって感謝の意がないな」
「じゃあ行動で」

隙あり、と心の中で呟いてからシリウスの襟元を無理矢理引き寄せて触れるだけのキスをした。私から離すと、今度はシリウスに後頭部を固定されて迫られる。それを嫌がることなく受け入れた。まだ大丈夫。そう思えるのはきっとシリウスのおかげだろう、とキスをしながら思った。



100428(嫉妬の嫌がらせでシリウスに心配されるありがちーなはなし。変人なヒロインだと内容も王道からずれていく。笑)