ミルクと星の祭礼 初めての学年末試験も終わり、あとは夏休みの到来を待つだけになったころ。イギリスには日本のような梅雨という時期はなく、カラッとした過ごしやすい暑さが続いていた。そもそもスコットランド地方の7月というものは涼しげなもので、汗ばみはするがそんなに激しい暑さを感じることはなく、じめじめと湿っぽい暑さを祖国で体験してきた私にとって過ごしやすいほかなかった。この気候は好きになれそうだ、と祖国と比較してそんなことを思いながらサンドイッチのレタスを噛み切ると、しゃきしゃきとレタスの鮮やかな音が聞こえる。いい音だ。 「ねぇ、あなた今日はどうやって過ごすの?」 「んー、とりあえず課題やって……本でも読もうかな。シャロンは?」 「私も課題ね。でも午後はセシル先輩のお茶会に招かれてるから、それに行ってくるわ」 「あー、ハッフルパフの……4年生?の先輩、だっけ」 そうよと答えたシャロンの声色は暗く、彼女がそのお茶会に乗り気ではないことを伺うことができた。ならば行かなければいいのにと思うのだがそれはそれで後々面倒になるのだろう。そもそもホグワーツの中で最年少の私たちは先輩たちに逆らうことはできない。私は知り合いの先輩がそんなにいないのでよく分からないが、しばしばお茶会に誘われているシャロンは数回に1回の割合でお茶会に関しての不平不満を零している。付き合いというものは大変且つ面倒だな、ということは今更になって思うことではないのだけれど、彼女のそんな様子を見る度にそう思わずにはいられなかった。 「せっかくの休日なんだし楽しんできなよ」 「まぁ、ね。セシル先輩、お茶とかお菓子はいいの出してくれるしね」 「そうなんだ?」 「えぇ、この間なんてフランスで有名なケーキ屋のフルーツタルトだったのよ!もう美味しくて美味しくて……!」 「……それはよかった、ね」 もう思いっきりお菓子を目当てにお茶会に向かう様子のシャロンに呆れつつ、最後の一口となっていたサンドイッチを口の中へ押し込んだ。まぁ午前中は課題片付けなきゃいけないわね、と現実的なシャロンの呟きに私も肩を落とし、ミルクが入っているゴブレットに手をのばす。 「そういえばリリーはどうしたの?彼女、いつもならもう起きてるでしょうに」 「先生に雑用頼まれたらしくて、もうそっちに行ってるみたい。リリー、先生たちに気に入られてるから」 「こんな朝っぱらから……優等生は大変ねぇ」 そうだねぇ、と呑気な相槌をうった。言葉だけでは貶しているようにも見えるが、実際はそんな陰険なものではない。そう分かるのはシャロンという人柄がこの1年間でなんとなくではあるが掴めてきたからだろうかと、そう思いながら切り分けてあるオレンジに手を伸ばそうとしたとき、誰かが明らかに自分のほうへと近づいて来ている気配がして何気なく振り返る。そこにいた人物に目を丸くしつつ、にこりと爽やかな笑みを向けてきた彼にひきつった笑みを向けた。 「なぁ妹よ」 「……なんだい兄さん」 そこにいたのは兄であるサクだった。だらしなく、けれども恰好よくレイブンクローのネクタイを締めている兄の登場に気づいたシャロンが「きゃあっ!サク先輩!」と黄色い声をあげた。妹ながらもそこそこ外見が良い兄であるとは認めているが、自分の友だちが兄に向って騒ぎ立てるのはなんだか居心地が悪いような気がする。そんなシャロンから視線を外し、ふと視線を上へと向けると、兄がイギリスでは見かけないであろう物を抱えているのに気づいた。それに呆然としながら、間の抜けた声で「兄さん、」と目の前の人物に声をかける。 「……パンダでも育てる気?」 兄の頭上でわさわさと揺れているもの、それは笹だった。丈の低い竹のことを指すそれは、どこから発祥したのかは知らないがイギリスには生息していないと思われる。いや、もしかしたら生息しているのかもしれないがその確率はかなり低いだろう。そんな笹を今現在兄が持っている理由は、私の貧相な脳ではパンダでも拾ってきたのかというくだらないことしか思いつかなかった。ホグワーツにパンダが迷い込んできたのだろうか、いやそれはここに笹が存在すること以上にあり得ないのだと思うのだが。怪訝な瞳を向けたままでいると、兄は私の発言に噴き出して笑いながら「ばっかだなぁ」と日本語で酷いせりふを吐いた。なんだと。 「考えてみろ、今日は何月何日だ?」 「今日?えーと、7月の……あ、7日!」 再び日本語で訪ねてきた兄に私も日本語で返す。今日の日付、笹、日本語。それらのキーワードを組み合わせて辿りつく答えはひとつしかなかった。天の川を挟んで両側にある織姫と彦星が、年に一度だけ会えるという伝説が残っている特別な日。 「七夕って素晴らしい日本語だと思わないか?」 「素晴らしいとかそれ以前に……いや、素敵な日本語だとは思うけど、ホグワーツで七夕やる気?」 兄にそう尋ねると、にこりと清々しい笑みを返される。それが答えなのだと言わずもがな分かった。先生たちに怒られるよ、という言葉は言っても無駄だと知っているので止めないが、今回は自分にも説教が来るかもしれないと溜息をつく。しかし七夕祭りを今年もできるということを素直に喜んでいる自分もいた。日本の文化をイギリスで実行するということには少々抵抗を感じるが、祖国の行事だ、今回は兄の味方に付くこととしよう。そこまで考えて分かったよ、とぎこちない笑みを返すと兄はにやっとした笑みを零し、私の手を掴んだ。 「幸運ながら今日の天気は晴天、ちなみに明日も晴れるらしい。天の川がよく見えるな。願い事は考えてあるか?」 「……今回のことで先生に怒られませんように」 「無理だな!他の願い事にしとけ。てっぺんに短冊を飾る権利を与えてやる」 「そりゃどうも。あと、その笹はどこから調達したのか気になるんだけど」 「気にするな!ってことで、今日は忙しくなるぞ!」 「う、ぎゃ!」 急に引っ張られて上機嫌な兄に続いて走り出す。英語で「ごごごめんねシャロン!」と慌てて言い残すと、転びそうになりながら大広間を後にした。兄に手を引かれながら廊下を爆走するこの光景を誰にも見られていませんように、と絶対的に無理なことを儚く思う。多々転びそうになるものの転ばないのは、兄が私に合わせてくれているからだろうかと考えながら、目的地も分からずにただ兄に引かれるままに走り続けた。 *** 「た、な、ばた?」 「うん。英語だとスターフェスティバルになるのかな、天の川……ミルキーウェイを見ることができる日」 へぇ、と興味深そうな声が返ってくる。どうやら七夕という日本語が発音しにくいらしく、シリウスは「たなばた、たなばた」と数回その言葉を繰り返していた。イギリスでも天の川を見ることは可能であるが、それが列記とした伝統的な行事になっているのは日本だけのようである。いつもはカタコトな英語で悪戦苦闘している私は、シリウスが日本語を発音しにくそうにしているのを見てざまあみろ、とほくそ笑んだ。今となってはないものの、ホグワーツに来た当時は英語の発音が今以上に流暢にいかずさんざん馬鹿にされたものだ。あのときの私の気持ちを思い知るがいい、と思いながら兄に教えてもらった呪文を言霊にのせた。 兄がどこからか調達してきた笹に飾り付けをするのが、私が兄から言い渡された仕事である。膨大な量の折り紙と紙テープを渡されて、七夕飾りを作る魔法とそれを笹に飾る魔法を私に残すと兄はすたこらさっさとどこかに行ってしまったのだ。去り際の言葉は「俺にはまだやらなければいけない任務がある!」。兄がなにを考えているのか相変わらず読めない言動だ。しかし兄の言うとおり、兄は兄でやらなくてはいけないことがあるのだろう。そういうわけで、自分の兄が変人で阿呆らしくてけれどもどうしようもないくらいの天才だと知っている私は兄から頼まれた笹の飾りつけを黙々とやっていた。そしてどこからか噂を聞きつけたのか、そんな私のもとにやってきて暇潰しがてら笹の飾りつけを手伝ってくれているシリウスが姿を現したのは、兄が去ってから結構な時間が経ってからだった。 「織姫星は琴座のアルファ星ベガ、彦星は鷲座のアルファ星アルタイルのこと。いつもは天の川を挟んで離れている2人だけど、7月7日にだけ会えるっている伝説があるんだよ」 「……おめでたいとは思うが、それでなんで笹なんだ?」 「織姫星に願い事をしたら叶うっていわれてて、……なぜかは知らないけど、笹に願い事を書いた紙を吊るすんだ。本来は技術とか芸能とかの上達を願うべきなんだけど、最近はそうでもないかな」 「例えば?」 「んー……家族みんなが健康でいられますようにとか、将来の夢とか、……かな?今ではもうとりあえずなんでもいいから願い事しようぜ、みたいな行事になっちゃってるね」 「……日本はよく分かんねぇな」 「ま、ね」 杖を振りながら紙テープを順番に繋げていく。シリウスは私が作っているそれを笹に飾り付けていた。こまめに休憩を取りながら早朝からこの作業を続けているが、なかなか思うようには進まず、お昼を過ぎた今でも全体の半分と少ししか飾りつけが終わっていない状況だった。そもそも笹が大きすぎるので飾り付けもちょっとやそっとじゃ意味がない。本当に兄はどこからこんなに大きな笹を調達してきたのだろうか、何度思ったか分からない疑問が再び頭を横切った。 「願い事、なんて書くんだ?」 「まだ考えてないよ。なに書こうかなぁ……。シリウスは?」 「俺?俺もまだ考え中だな……別に、願いたい事とかもないし」 「くっそー贅沢な奴め!私なんて願いたいことありすぎだよ!」 「全部願うのは駄目なのか?」 「……駄目じゃないと思うけど……嫌、かな」 「ったくしょうがねぇなぁー」 お前は変なプライド持ってるからめんどくせぇな、というやや呆れた調子のシリウスの声が聞こえる。うるさいなぁと頬を膨らませつつ、正面切ってその言葉を言われることがなんだか嬉しかった。私が私であることを認められているようで、理解されているようで。そしてシリウスはほんのりと笑いを含んだ声で、告げた。 「俺がお前の幸せを願ってやるから、それで我慢しろ」 うん?それはどういう意味なんだい、シリウス。分かったようで分からないようなその言葉について深く追及するのは躊躇われるような気がして、「ほんと?ありがとー」といつも通りふざけた様子で返した。シリウスが私の返事に満足したのかしなかったのかは分からないが、その後の様子が変わらないところを見ると、やはり先程の言葉はいつものからかいを帯びた社交辞令のようなものだったのだろう。期待したのかしていなかったのか、けれどもシリウスの様子を気にしてしまう自分に呆れた。まったく、私はシリウスをそういう目で見てはいないというのに。 「、手、止まってるぞ」 「ぅえっ、ごめん、ちょっとぼーっとしてた」 シリウスに指摘されて、いつのまにか停止していた手を再び動かした。願い事をなににしようかなぁ、と細長い短冊を思い浮かべながら杖をくるくると振る。シリウスの様子は、尚も変わらないままだった。 *** 夕方になると学校裏の芝生に笹を立てて、兄とこれからの予定を確認し合うと兄妹そろって2人で芝生の上に腰かけた。今になって分かったことだがどうやら兄は校内を走り回って伝手という伝手を利用しまくり、いろんな人にひろんなことを頼んでいたらしく思いのほか七夕祭りは賑やかなものとなっていた。花火が上がったり急に音楽が流れ出したり、どこでなにが起こっているのか私には把握できないほどである。先生たちが出てこないところを見ると、どうやらそちらも押さえたのだろう、私は変なものでも見るように兄をこっそりと盗み見た。どうやったって敵わない、味方であれば百人力、しかし敵であれば地獄を見るであろう兄を持って幸せなのかはたまたその逆なのか。 「願い事、もう書いたか?」 「うん、書いたよ。兄さんは?」 「俺はこれからだな。……願い事は聞かないほうがいいな?」 「言ったら願い事の意味がないし、叶わないっていうからね。ちゃんとてっぺんに飾ったよ」 「そうか!……じゃあ兄さんは願い事考えながら、あっちで馬鹿やってるやつらに混ざってくるよ」 「え、あ、うん、ほどほどにね」 「おうよ、わかってるさ」 立ち上がった兄はくしゃくしゃと私の頭を撫でてから去って行った。その行動に意味があるのかないのかは分からないが、なんとなく甘やかされたような気がする。そして芝生をざっと見渡した。兄は大きな花火をしている人たちに向かって駆けて行ってる。シャロンはセシル先輩の隣で笑っている姿が見えた。リリーは熱心に短冊に向かっている。悪戯仕掛け人のメンバーはどこだろうと首をめぐらすと、笹のすぐそばの芝生に4人並んでいるのが見えた。なにをしているんだろう、としばらく4人の背中を見つめていると、そのうちの1人がぱっと振りかえる。それがシリウスだと判断するのにそう時間はかからなかった。遠くからであったし日も落ちかかっているので細かいところまではよく見えない。けれど私には、シリウスが笑いかけてきたような気がした。 結局彼がどんな願い事を書いたのか、私は知らない。けれど昼間に彼が告げたことは、まんざら嘘ではないのかもしれないと、ふと思った。 100704(七夕ネタをhpで書いてみようと思ったのはいいものの、はたしてこんなことはありえるのだろうか。…。オリキャラ複数が出しゃばりすぎてシリウス影薄い?笑 とりあえず日常ほのぼの的なのを目指したかった。過去形だ) |