カチ、という音と共にアナログ時計の短針と長針が12のところで重なった。昨日が終わって今日が始まり、それと同時に去年が終わって今年が始まる。その合図はほんの些細であったが、広い部屋にひとりきりベットに寝転んでいる私にはそれで十分であった。小さく呟くように「ハッピーニューイヤー」と零してから、ころりと寝返りを打って閉められている窓へと視線を向ける。雪がしんしんと音もなく積もっていた。日本育ちの私としてはロンドンでは毎年驚くような量の雪が降っていたが、今年は特に例年よりも多く感じる。日本も今年は豪雪なのかな、と遠い祖国へと思いを馳せながら転がすように息を吐いた。 クリスマスもお正月もロンドンのホグワーツで過ごすことには慣れた。夏休みはともかくクリスマス休暇の帰省は自由なので、私は毎年ホグワーツ残留組になっている。理由はいろいろあるが、やはり祖国である日本に帰るにはいろいろ面倒がついてくるからだというのが大きい。それは時間的にも経済的にも手がかかり、それぐらいならホグワーツに残っていたほうがマシだと毎年判断しているのは自分である。両親はお金のことは気にしないで帰って来いと言ってくれるが、兄もここ数年は帰省していないし私もどうしても帰省しなければいけない理由はない。ホグワーツの友人はほとんど帰省しており、寮に残っているのは数人であるから寂しいことは否定できないが、十数人ほどしかいない残留したひとたちと交流できる数少ない機会でもあった。毎年のように兄もいることだし、と思いながら明日の朝のことを考える。 イギリス人は新年よりもクリスマスのほうを中心に祝うが、私や兄のような日本人はその逆だ。なので明日の朝は兄と唯一の日本人同士として2人で新年を祝う予定になっている。おせちが恋しいだとか振袖着てみたいだとか日本のお正月を懐かしく思っていると、急に窓のほうからコツコツと短く固い音が聞こえてぱっと振り向いた。 窓の外を見ると、灰色の梟が部屋のなかに入りたそうに窓をせっかちに突ついている。 見覚えがあるその梟を見て慌てて窓を開けた。灰色の毛並みの良い梟、これはシリウスのにちがいない。その梟は私が窓を開けた瞬間部屋にするりと入り込んできて手紙をぽとりと一通落とすと、入ってきた時と同じように窓をすり抜けて去っていった。それを呆然としながら見送り、窓を閉めてから落とされていった手紙を手に取ってひっくり返す。そこには“S.B”という見知ったイニシャルが書いてあり、目を丸くしながらそれを見た。 「……シリウス?なんだろ、一体」 年が明けてまだ間もないというのに、と思いながらぴらりと簡素な封筒を開くと走り書きされた小さな洋皮紙が出てくる。見慣れたシリウスの字だった。それにさっと目を通すと、書かれていることを実行するために杖をポケットに挿して立ち上がる。急いで女子寮の階段を駆け降りているといつの間にか雪が止んでいたことに気付いた。そんなふうによそ見をしながら走っていると、廊下の下から「?」と私の名を呼ぶ声が聞こえる。こんな真夜中に呼び出すのは非常識窮まりないぞ、と言ってやりたい張本人。 「シリウス!」 「よっ。明けたな、おめでとう」 「こちらこそおめでとう」 残りの階段を急いで駆け降りてシリウスの前で立ち止まると、シリウスは新年の挨拶代わりにか私の額にキスをひとつ落とした。今では慣れてしまったそれを軽く受けてから、羊皮紙に書かれていたとおりシリウスに連れられてこっそりと男子寮に入りこむ。今は彼しかいないらしいシリウスの部屋に足を踏み入れてドアを閉めると、シリウスからグラスを手渡された。 「じゃん。この日のために買っておいたんだぜ」 「ジュース……いや、ワインか。さすがブラック家の坊ちゃん」 「これは俺が自分で稼いだ金!」 「そういう意味じゃなくて。やることがいちいち洒落てるなぁってこと」 「……あんま高くないけどフランス産。けど味はいい。コルク栓抜き取って」 「おわ、本場だね。アルコール何パーセント?」 「8パーセント。気にしないで飲めるだろ」 はい、とコルク栓抜きを手渡しながら思う。シリウスは私を一体なんだと思っているのだろうか。 「私も女ですー、シリウスの前でそんなに軽々と飲まないよ」 「なんだ、襲われるとでも思ってるのか?自意識過剰だな」 「そう言われるとむかつくなぁ。幼児体型で悪かったね」 「俺はそっちのほうが好みだけど」 「…………やっぱり帰ろうかな私」 「いやいやいや!そういうことしないから帰るなって!せっかくの新年なんだし!」 「いやだってシリウスが変態発言するから……しかも取り消さないし」 「俺、嘘は言わないから」 「その時点で嘘言ってますって。ていうかコルク開けるのにどれだけ時間かかってるの」 「……開かないんだよ」 「頑張ってよ男でしょ」 「男尊女卑反対っ!」 シリウスが小さく声を荒げると同時にスパンッとコルクの栓が抜けて私の後方へと飛んでいった。そしてそれと同時に瓶の中になみなみと入っていた深い紅色のワインが私をめがけてやってくる。シリウスが「……あ」と短く声を漏らすころには私はそれを真正面から受けてワインのシャワーを浴びていた。ぽたぽたと綺麗な深紅の雫が髪を滴る。舌を出して流れてきた液体を口に含むと、濃厚な葡萄とアルコールの独特の味がした。 「……もったいないとは思うけど怒ってないからね、別に」 「嘘言え」 「私を信じなさい。本当に怒ってないからさ、杖、貸して」 シリウスから手渡された杖を受け取ると自身に先向けて「スコージファイ」と短く唱える。その途端にレッドワインの液体は消えて、こういうとき魔法って便利だととてつもなく思った。文明の機器よりも重宝すべきものなんじゃないだろうか、と考えながらシリウスの手からワインの入った瓶を奪って自分のグラスに注ぐ。目を丸くしているシリウスに向かって少し口の端を持ち上げてそれを掲げた。 「せっかくの新年なんだし、ね」 「……意味分からん奴だなほんと」 「シリウスに言われたくはないよ」 そう返すとシリウスは小さくため息をつきながら自分のグラスに深紅の液体を注いだ。何に対してのため息なのか気になるところだと思いながらそれを黙って見ていると、やがてシリウスもグラスを掲げて多くの人を魅了させてしまうような麗しい笑みを浮かべた。今は私ひとりが独占しているその笑みの価値なんてあまり興味はないけれど、そんな笑みを浮かべているシリウスも悪くはないと思う。 「乾杯。来年もよろしくな」 「それはこっちのせりふだよ」 お互いに笑みを浮かべてグラスをカチンッとぶつけ合った。どうか今年も良い年でありますように。 迎春の暁が目覚める前に 101216(2011年の年賀状企画夢でした。全然新年らしくないとか思ったのは私もです。←) |