本の修復、整頓、貸出や返却の手続き。毎日同じことを繰り返す私の仕事は傍から見ればつまらないものかもしれないが、本好き、ひいては図書室好きな私にとってこんなに充実している仕事は他にはなかった。ひたすら本に向き合い、たまに生徒や教員と小声で会話を交わして、暇なときには本を読んで。ホグワーツでしかできない、ホグワーツだからこそできる安穏な生活。この生活を築いてくれたダンブルドア校長には感謝してもしきれないほどだ。数年前には未来の自分がホグワーツで職員として働くなんて夢にも思っていなかった。ましてや、当時より若いこの容姿で。 まったく、厄介な呪いを受けたものだと本を片手に小さく息を吐いた。少しずつではあるが、明らかに若くなっていく容姿。その事実に気付いたのは呪いを受けてからとうに数年が過ぎてからだった。ただ、相手が呪いをかけるときには既に相当弱りきってきたようで、この呪いの進行速度が非常にゆっくりなのは不幸中の幸いであるのだが、もし呪いが正常にかけられていて1年に1歳ずつのペースで若返っていたならば今頃私の外見は10代を切っているだろう。 まだ今日の授業が終わっていないこの時間帯の図書室は酷く静かだった。空き時間の生徒は大勢いるだろうが、遊び盛りな彼らが図書室に来ることは少ないのである。それこそ、フクロウやイモリを控えた5年生や7年生ばかりが席を埋めていた。その光景を眺めながらゆっくりと腕に抱えている本を一冊ずつ棚に戻す作業を淡々と続ける。コツ、と深い靴音を耳にして誰か傍にいるのだろうかとふと振り返ると、そこには懐かしい知人の姿があった。 「やあ、。今忙しいかい?」 「いや、ちっとも。どうしたの?」 「久しぶりに時間が出来てね。どうだい、少しお茶でも」 「……構わないよ。ちょうど仕事も一段落ついたところだし」 リーマスからの言葉に少し悩んでからそう答えると、腰の後ろに手を回してエプロンの紐を解いた。そのまま首からも外してしまうと、ちょっと待ってて、とリーマスに告げてピンズさんのところへ向かう。カウンターに彼女の姿を見つけて少し休憩をいただく旨を伝えると、これまで勤務中にはほとんど休憩らしい休憩をとったことがなかったからか、ピンズさんはせっかくだからと生徒がやって来始める夕方までの数時間、自由な時間を私にくれた。 彼女に感謝しつつリーマスの元へと戻り、一緒に図書室を出る。こうしてまた彼を隣に歩くことが出来るなんて思ってもみなかった現実に喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。どちらにせよ今この時間が存在することは確かなことなのだと、尊い今に深く感謝をするべきなのだと思った。 *** 「ストレートは苦手なんだっけ?」 「いや、今はもう飲める。……覚えてたんだ?」 「覚えてるよ。じゃあ、ストレートでいい?」 「お構いなく」 苦笑と共に返してくれた言葉に少し驚きながら相槌を返した。そうだ、学生の頃はあの独特な味のストレートティーを飲むことができなかったのだ。私でさえ忘れていたことをリーマスが覚えていたことに驚きつつ、それを期に昔のことを少しずつ頭の中で紐解いていく。 今ではもう、私たちの年代の子供たちがホグワーツに通っている時代だ。ウィーズリー兄妹も、マルフォイ家のご子息も、ジェームズとリリーの息子もいる。なんて時が経つのは早いのだろうかと、ソファーに深く沈みながらリーマスの後姿を見遣った。更に伸びた背。少し増えた白髪。彼も、そして勿論私も年を取った。私の場合、外見は年老いていくのではなく若返っていくのだけれど。 「私たちが生徒だったのは、もう15年以上前になるのか……随分と時が経ってしまった」 「懐かしいね。もう、いろんなことを忘れちゃってる」 「私は君がストレートを飲めなかったことを覚えているよ?」 「それを言うなら、私もリーマスがブラックのコーヒーを飲めなかったことを覚えてるけど?」 お互いに顔を見合わせてふっと笑みを零した。今はどうだか知らないが、学生のとき甘党だったリーマスは頑としてブラックのコーヒーを口にしようとはしていなかったのだ。砂糖もミルクもたくさん入れては、みんなに将来を心配されていた彼を思い出す。嗚呼、懐かしい。 昔に思いを馳せるたび、複雑に絡まる心の糸が解けていくような、更に絡まっていくような。よく分からない感情に私自身も戸惑いながら、学生時代を思い出そうとそっと瞼を閉じた。 コトンという音と共に目の前のテーブルに置かれたのは紅茶の入ったティーカップ。リーマスは砂糖をそこに溶かしこんだのかくるくるとスプーンでかき混ぜている。どうやら甘党なのは変わっていないらしい、と思いながらお礼を告げてそれを口に運んだ。 「こうしてとゆっくりできるのは久しぶりだね」 「そうだね……というか、リーマスが教員としてホグワーツに来てから初めてじゃないかな?お茶したことはあったけど、あのときは私のいろいろを説明するのでいっぱいいっぱだったし」 「あぁ、いや、同い年のはずの君がこんなに若返ってたら、最初はそりゃ驚くって……」 「……ま、そりゃそうか」 最初にホグワーツで彼を迎えたときのことを思い出して小さく苦笑を浮かべる。助手であるミス・エヴァーツと共にホグワーツへとやってきたリーマスは、私の姿を見つけるなりダンブルドア校長のところにどういうことかと乗り込んでいったのだ。しかしそれも仕方あるまい、私は呪いをかけられて以来ずっと隠れて生活しており、私が生きていることが敵に漏れることがないように知人とは一切の接触を絶っていた。 あの日以来音信不通になった私をみんなは亡くなったのだと思っていたことも、彼から聞いて初めて知った。そのときせめてリーマスには生きていることだけでも伝えておけばよかったかと後悔したものの、今私が生きているという事実は変わらないので特に気にしていない。案の定リーマスも私に小一時間説教まがいのものをしたけれど、彼も事情を知ると私がこの数年間隠れて生活していたことや、こっそりホグワーツで働いていたことにしぶしぶながら納得してくれたものだ。 コトン、とリーマスがティーカップを置く音が部屋に響く。リーマスの部屋であるらしいここは一見片付いているように見えるが、本が積んであったりコートが適当にかけてあったりと彼の私生活を垣間見ることができた。器用でいて不器用、綺麗好きなのに掃除下手。そんなリーマスの性格は変わってないらしい。それを思ってくすりと笑みを浮かべると、リーマスが小さく息を吐いたのが聞こえた。 「2人だけに、なってしまったね」 「……そうだね」 学生時代と比べてだろう、そんなことは聞かなくても理解できた。あの頃を思うと懐かしさが胸にじわりと染み渡る。ジェームズがいて、リリーもピーターもいて、シリウスもいたあの頃。二度とは手に入らない幸福な時間。今は私とリーマスしか、いない。 「あの頃とは、いろんなものが変わってしまった」 「そんなもんだよ。万物は諸行無常、変わらないものなんてない」 「そうかな?変わらないものもあると、私は思うけれど」 中身が少なくなったティーカップを弄びながらそう答えると、リーマスは最初に告げた言葉とは逆のものを返してくる。リーマスに怪訝な視線を送ると、相変わらずなあたたかい笑みを向けられた。変わってしまったものが多いけれど、変わらないものもある。彼の言いたいことは分かるけれど、今の私はその全てを肯定できるほど純粋でも、素直でも、なかった。 「……そうだね。けれど、私も、あなたも、変わってしまった。あなたの隣にはミス・エヴァーツが、私の隣は……空っぽになってしまった」 「違うよ、キセ。変わってしまったのは君じゃない」 「……なら、何が変わった?」 これじゃただの妬みだ、と思いながら私もティーカップをテーブルに置く。リーマスが教員としてホグワーツにやってくると知ったときはすごく嬉しくて、数年ぶりの再会に思いを馳せたものだ。しかし9月1日に彼を、そして彼の隣で笑うミス・エヴァーツを見た瞬間、私の心に波を立てたのは醜い感情。空っぽになってしまった私と同じで、彼もひとり耐えてきた生活を送っているものだと思っていたのに、幸せそうに笑みを浮かべた彼を見て私はショックを受けた。いや、違う。本当はただ、寂しかったのだ。 「周りが、環境が、世界が。……君は昔のままだよ、」 「……あなたのそういうところも変わってないね、リーマス」 そのえぐるような優しさ。容易く嘘も吐いてしまう彼だからこそ、真実の言葉はこんなにも重いのだと私は知っている。それは昔のままなのだと、込み上げてきた涙を飲み込み笑みを浮かべた。けれど私やリーマスが変わらずとも、変わってしまったものはたくさんある。 私たちを取り巻く周辺が、環境が、世界が。止めることができないそれらを、これまで私たちはただ受け止めることしかできなかった。そしてそれはきっと、これからも。どれだけもがこうとも、流れゆく時代とともに変わり続けるものを、止めることなどできないのだ。 あの頃よりさらに大きくなった、私とリーマスの身長差。若くなる私とは反対に年老いていく彼。若返ること、年老いること、どちらのほうが恐ろしいのだろうか。私はまだ、その答えを見つけられずにいる。 「もう一度言うよ。君は変わっていない。僕の知る、・だ。……そうだろう?」 「シ、シリウスも……そう言ってくれると、思う……?」 「あぁ。思うよ。外見なんて関係ない。君は、君でしかないよ」 優しさにあふれた言葉。ぬくもりに満ちた手。あたたかな体温。けれどリーマスのそれを感じるたび、私が本当に求めているのは彼ではないのだと強く思わずにはいられなかった。最後に見た10年前から、彼は変わってしまっただろうか。男性らしい骨ばった手も、煙草の匂いを隠すための香水も、憎たらしいくらいサラサラの髪も。今はもう、その面影はないのかもしれない。変わってしまったのかもしれない。 けれどリーマスが、世界は変わっても私自身は変わっていないと言ってくれたように。シリウスにも、変わらないものがあるのなら。また、昔のように話すことができるのなら。愛することが、できるのなら。 「……ありがとう、リーマス。随分と素敵な男性になったみたいだね?」 「君こそ。外見はともかく、中身は大人になったようでなによりだ」 「……私は昔から、子供っぽくもなかったと思うんだけど」 「ふふ、どうだか。なにより君はあのシリウスの恋人だったからね?ほら、ペットは飼い主に似るって言うし」 「地味にシリウスを貶してるよね、その言葉。ところで、ミス・エヴァーツがいるあなたの口からはただの惚気にしか聞こえないのだけれど?」 「……、……嫌味?」 「どっちが」 Farewell is still long とある午後の、記憶の回顧録 111105(原作3巻時点のお話です。Ciprinoさんからエヴァーツ先生をお借りしています。(中身は)大人になった司書ヒロインですがよろしくおねがいします…。) |