彼女は不思議な人でした。彼女が誰かと仲が良いという印象は大してなかったのですが、孤独だというイメージはありませんでした。むしろみんなに存在を認められているような、そう、例えるならば春のやわらかな陽射しのような人でした。 その談話室での様子、態度、そして纏うオーラのせいでしょうか、1年生の俺は彼女に話しかけることができませんでした。2年生の先輩も7年生の先輩も変わらず彼女に接しているようでしたが、自分が年下ということ、また寮中のみんなから存在を認められていたということに一瞬の苛つきや妬ましさを覚えていたのかもしれません。 その当時の俺は素晴らしい友人に囲まれてはいましたが、家系がスリザリンだというのにグリフィンドールに来たということで疑いの眼差しを向けてくる人も少なからずいたのです。そのためその頃の俺は少々ささくれ立っていたというか、ひねくれていたのだと思います。俺からしてみれば、なぜ彼女がグリフィンドール中のみんなから好かれているのか、また、彼女がどんな人物なのかもちっとも分からなかったのです。そのような理由があって、俺は彼女に話しかけることができなかったのです。 そんな彼女を談話室以外の場所で見かけたことが一度だけありました。湖です。それは夏の夜も更けた深夜のことでした。 まだまだ暑い日のこと、規則を破り一人で寮を抜け出して湖まで行きました。それは特に湖に行こうと思ったわけではないのですが、いろんなところをふらふらしているうちに気付けは湖にたどり着いていたのです。そこに彼女はいました。靴や靴下を脱ぎ捨てて素足を湖に浸していた彼女はどこか神秘的で、艶っぽいように見えました。俺は驚きました。自分はともかく、彼女のような人がこんな夜更けに寮を抜け出しているなんて見間違いかとも思いました。けれど俺の目の前で足に水を引っ掛けて、それとちゃぷちゃぷと戯れているのは確かにいつも談話室で見かける彼女だったのです。 俺はその美しさに一瞬息を飲んで足を止めましたが、すぐにはっとして踵を返そうとしました。けれどそのとき小さく鳴った俺の足元の草を踏み締める音に彼女は気付いたようで、ふと振り向くその仕種はまるで水の精のようでした。流れる黒髪は水しぶきと夜露で艶やかさを増し、俺はまるで地面に縫い付けられたかのように足を動かすことができませんでした。俺は彼女に、見とれていたのです。 「君、グリフィンドールの1年生だよね?談話室で見かけたことがある」 「…俺の、名前は?」 「君の名前?…ごめん、知らないや」 にこり、というよりはへらりとした笑みを浮かべると、彼女は「教えてくれるの?」と逆に俺に尋ね返しました。俺は驚きました。かの有名なブラック家の長男を知らないとは、いやブラック家云々は今は置いとくとしてもグリフィンドールに組分けされた時点で自分の存在は良くも悪くも知れ渡っていると思っていたからです。しかしここで名を明かすのもしゃくだと思い俺は小さく頭を横に振りました。残念、という彼女の小さな呟きが聞こえました。 「私の名前は?知ってる?」 「…教えてくれるのか?」 「まさか」 俺がそう聞くと、相変わらずへらりとした笑みを浮かべながら彼女は即答でそう答えました。君が教えないのに私が教えるわけなかろうと彼女は呟くと、俺を振り返って「君は早く寮に戻りなよ」と告げました。俺は少しイラッとして目を細めました。なぜならば彼女自身寮を抜け出して今ここ、湖にいるではありませんか。人のことを言えたような状況ではありません。しかし先輩はそんな俺の思惑を感じ取ったのか、ぷっと噴き出すと小さく声を上げて笑い始めました。俺は彼女の行動の意味が分からず、ただ怪訝な表情で彼女を見つめていました。 「あー、おもしろい!君、よく顔に出るって言われない?」 「…言われ、…ますけど」 「うんうん、だろうね。素直でよろしい。君の顔が言ってるよ、『先輩も人のこと言えないくせに』ってね」 「うっ…本当のことじゃないですか!」 「まぁね、うん、確かにそうだけど。1年のうちから規則を破りまくるのは感心しないよ、少年。ミセス・ノリスには十分に気をつけることだね」 彼女はそれだけ言うと満足したのか、身体をくるりと元の位置に戻すと再び素足を水に絡め始めました。ぱしゃん、という澄み渡るような水しぶきの音が静かな湖に響きます。俺は彼女の関心がもう自分に向いていないことを悟るとさっさと湖と反対方向に爪先を向けました。このときの俺は少し苛ついてもいましたが、きっと、動揺していたのだと思います。今までに触れたことのない対応に、雰囲気に、空気に、侵される前にここを離れたかったのです。 結局それが彼女と会話をした最初で最後の日でした。この後も毎日のように談話室で彼女の姿を見かけたものの話しかけることはおろか、視線が合うことすらほとんどありませんでした。そうこうしているうちに夏が来てホグワーツを離れ、実家に帰るとやけに彼女のことを思い出している自分がいました。理由はわかりません。気になる、というよりは心の奥でなにかが燻っているような感覚でした。そして俺は夏休みの間にようやく彼女に話しかけることを決意したのです。 しかし翌年ホグワーツに戻っても彼女に会うことはありませんでした。そう、これは随分と後になって人づてに聞いたことなのですが、彼女は俺より6つ年上だったのです。すなわち彼女は既に卒業してしまっていたのでした。 3つ上の先輩が、彼女は・先輩というのだと教えてくれました。もっといろんなことを知りたかったのですが、なぜそのようなことを聞くのかと尋ねられてはたまらないのでそれ以上を知り得ることはできませんでした。こうして俺はハジメテの別れというもの、そして後悔というものを知ったのです。 110124(1年生シリウスが7年生ヒロインに恋するお話。いつもとは違ったかきかたーにしてみた) |