ここは外れの廊下からちょっと細工をすると扉が現れる仕組みの部屋、いわゆる隠し部屋なのだが、ここを知っているのはわたしだけだと思っていたのでこの部屋に誰かがいたことににまず驚く。しかし、ぽん、という小さな音が部屋に入った直後に聞こえて、わたしは更に驚いて部屋の扉に手をかけたまま呆然と立ち尽くした。いましっかりと見たから見間違いのはずがない。けれど、実際にありえないことを見てしまった。 (いま……ブラックが、犬、に……変身……した?) 部屋にいたのは、同じグリフィンドールのポッターに、ルーピンとペティグリュー。あと、本来の姿は人だがいま犬になっているであろうブラック。この4人だ。いや、3人と1匹だ。わたしがぽかんとして驚いている同様、むこうもわたしの登場におどろいたようで、みんな同じように目を丸くしている。驚きでフリーズしている頭を必死に働かせて現在の状況を考えながら、小さく一歩後ずさった。 (……ええと、……ブラックが犬で……この犬がブラックで?……ア、ニメーガス、なのか……?いやいや、でも違うかも、しれ、ない……けど……?……っていうか、わたしはいま、すっごく……) やばい状況におかれているのではないのだろうか。 そう思った途端、いまの状況がとんでもないものに思えてきた。どうしようかと考えてる暇はない、と本能が身体に告げる。なにかを考える前に、わたしは一目散にその部屋の扉を開け、走っていた。もうこなったら逃げるが勝ちだ、と半ばやけになりながら廊下に出て、右か左かと考える前に反射的に左に向かう。なにかの本で、ひとは右か左かと迫られれば無意識に左を選んでしまう、という記述を思い出した。いまそんなこと思い出している場合じゃないのに。 「、待って!」 「ひえぇ……!」 廊下に出て左に行ってしばらくすると、すぐに誰かの足音が重なって聞こえた。後ろのほうからの名前を呼ぶ声でわたしを追っているのはルーピンかと判断するが、待てと言われて待つわけにもいかない。廊下のつきあたりを今度は右に曲がって、そしてその次は左に曲がる。無意識に道を選んでいるのでいまわたしがどこを走っているかなんて分からないが、ちらりと見えた教室の扉で変身術の教室の近くだとは理解した。 がむしゃらに走って少し経ったころ、さすがに男女の差ということか足音がかなり近くまで来ているのが分かる。やばい追いつかれる、と思いながらつきあたりの廊下を右に曲がると、なんとそこは行き止まりだった。すぐ後ろに足音があるので引き返すこともできず、立ち止まると後ろの足音も止む。まだ息が切れている身体でおそるおそる振り向くと、そこにいたのはやはりルーピンで、ルーピンも息を切らして膝に手をついていた。わたしが全速力で走ったのできっとルーピンも全力で走ったのだろう、と冷静に考える自分の頭が憎い。冷静なのは頭だけで、身体は緊張でこんなにがちがちなのに。 「あの、さぁ……っ、なんで、逃げる、の……」 息が切れた様子のまま聞いてきたリーマスの言葉に、口元をひきつらせた。どうして分かんないんだろう。「なんでって……」と言いよどんでいるうちに、どうしてわたしは逃げていたのかちゃんとした答えがないことに気づいた。べつにわたしは悪いこともしてないし、見てはいない、と思う。もしかしたらブラックが犬に変身するのを見たかもしれないけれど、それは逃げる理由にはならない。あれがただの犬ならよかったけれど、もし本当にあれはブラックだったら、と考えて、途端血の気がサッと引いた。 (……わた、し、最っ低……じゃんか) わたしの行動はブラックを拒絶したに等しかったということに、いまごろ気づいた。それなら話は変わってくる、ブラックにわたしは酷く惨いことをしてしまったに違いない。 そんなわたしの顔色の変化を感じ取ってか、もう息も落ち着いたルーピンが「、」とやさしく声をかけてきた。妙にやさしいその声に、びくっと過剰反応してしまう。 「……、一緒に戻ってくれる?」 それはあの隠し部屋に、と言わずもがな分かった。こくりとほぼ無意識に頷くと、右手をルーピンにひかれ、自然と足が動く。どきどきどきどきとルーピンではなく、ブラックに対して恐怖と後悔で胸が鳴った。どうしよう、と今度は考えている時間はあったがどうにもならないことが目に見えていて、わたし自身が謝らないともうどうにも出来ない。馬鹿なことをしてしまった、と顔をゆがませた。本当にわたしの、ばか。 廊下に2人分の足音が響き、しばらくしてからその音は止まる。例の隠れ部屋についたのだ。入るよ、と中にいる人たちにではなくわたしに声をかけるのが聞こえた。小さく身体が揺れたのに、ルーピンは気付いただろうか。 「――連れてきたよ」 「……リーマス」 扉をくぐったとたん、3人分の気配が感じられた。一斉にこちらを向く気配も。部屋にいたのはポッターとペティグリュー、そしてやはり、ブラック。ルーピンは扉を閉めて、そしてそこでやっとわたしの右手を離した。強く握っていたわけではないが長時間握られていたため熱がこもっていたらしく、離された途端すうっと冷たい空気が肌に触れる。ルーピンは扉のすぐそばにある古ぼけた椅子に腰を下ろすと、やや疲れたような、そして呆れたような声で「まったく、」と言った。 「どうやらさんざん逃げ回った後は、シリウスへのいらぬ後悔をしているらしい」 「な、ばっ……」 ばか、と続けようとした声を飲み込む。ブラックへの後悔がばれていたことにくそうと思いつつ、なにもばらさなくてもいいじゃないかと顔が紅くなった。それまでうつむかせていた顔を上げたので他の4人の様子がよく見え、そしてその表情にぐっと口を紡ぐ。リーマスはやはり古ぼけた椅子にゆったりと腰を下ろし、ポッターはやや薄汚れて羊皮紙が散らかっている机に座っている。ブラックはそのポッターの腰かけている机にかっこよさげに身体をもたれかけさせて、ペティグリューはクッションがたくさん置いてあるソファーにこじんまりと腰掛けていた。そしてペティグリュー以外の3人が、にやにやと笑っているのを見ていままでわたしが思っていたことがやはり馬鹿らしく思えてきた。 そしてルーピンの『シリウスへのいらぬ後悔をしているらしい』と言っていたのを思い出し、わたしのさきほどの反応にブラックがなんとも思ってなかったことに勝手ながら腹を立てた。ちなみに腹を立てた相手はルーピンだ。確かに彼らは親友同士らしいので相手のことはそこそこ理解しているのだろう。ならなぜこの部屋に来る前にブラックのことを教えてくれなかったのだ。そう思いながら、だからと言って「シリウスは平気だよ」とか「きっと大丈夫さ」なんて声をかけられてもきっとそんなことないよ、と思っている自分が想像できる。怖い。 「……いらぬ後悔だったようでごめんね!」 恥ずかしさできっと顔は紅いだろうなんて思いながら吠えるようにブラックにそう告げてくるりと振り返ると、ポッターに「ちょっと待ってくれよ」と呼びとめられた。こちらはいますごく恥ずかしい状況なのになんで引き留めるんだ、乙女心を理解しろ!と思いながらもポッターのほうを振り向くと、困ったように笑っている顔が見える。先ほどのようなにやにやしているような笑みではないのを見てストンと心が落ち着くのがわかった。我ながら子供みたいな短気を起こしてしまった、とまた後悔する。 「……選択肢をあげようか。そのいち、このことをこれからもずっとずうーっと黙っている。そのに、僕に忘却術をかけてもらってこのことを忘れる。そのさん、いまから大声を出して逃げる。……おおっと、しかしどうしても3は選ばせてあげることが出来ないな。どうしても3を選びたいのなら、僕を倒してから行きなさい、……なんて言いたいところだけどやっぱり君は女の子だしね」 杖を向けたくはないよ、というポッターのちいさな呟きが聞こえた。そして最初の1と2を思い出しながら、ポッターのこれらの言葉からもさきほどの犬はやはりブラックだったのか、と再確認する。しかしどうしてブラックが犬に変身したのかは深く考えないことにした。とりあえず、黙っているか、忘却術で忘れるか。 これから絶対に黙っていられるか、と問い詰められればきっと言いよどむ。自分の性格を理解しているので絶対なんて保障は絶対に出来ない。わたしは基本しゃべらないで、と言われた秘密ごとは隠し通す筋だが、うとうとしているときやアルコールを飲んだときなどにはその筋は効かないというのは体験済みなのだ。だからと言って忘却術をかけてもらうのも、なんだかなあと口元をゆがめる。きっとポッターたちにも嫌な思いをさせるだろうし、けれどわたしにとって楽な選択肢は2だ。 そう思い悩んでいると、くすくすというルーピンの声とくくっと笑うブラックの声が聞こえてくる。 「馬鹿言うなよ、ジェームズ。お前はこいつに忘却術なんてかける気ないだろ」 「平気だと思うよ、なら。忘却術なんてそんな惨い真似しないでよ」 「……ちょっとした冗談だよ、まったく……」 君たちにはなにもかもお見通しか、と肩をすくめたポッターに笑みを向けられ、少したじろいだ。なんだ、結局結論はどうなったんだ。 「……まあそんなわけで、先ほどのことは秘密にしてくれ。絶対だ」 「悪いけれど理由は言えないんだ、……理不尽でごめんね」 「まあ俺らの弱みを握ったとでも思っとけ。だからっていろいろ仕掛けてくんなよ」 ポッター、ルーピン、ブラックの順に言われ、最後のブラックの言葉に小さく驚いた。どうやら本当に彼はなにも思っていないらしく、それどころかこの状況をどこか楽しんでいるように見える。しかし彼らに小さくごもごもとした声で「……分かった」と告げると、やはり安心したようで表情を和ませた。、とブラックに名前を呼ばれてそちらを向くと、大人っぽい、しかしどこか少年っぽさが残る笑顔を向けられる。 「ありがとな」 いつも悪戯のことをにやにやしながら考えていて、女の子にも作り物の麗しい笑みしか見たことのないわたしは、彼の笑みはこんなにも鮮やかだったのかと、そのとき初めて知った。 |
「……なんだよ」 「いや、……かっこよく笑うなあ、って思って」 いつまでもブラックのほうを見ていて不審に思われたのか、そう言われてついぽろりと本音を零してしまう。きっとたくさんの女の子から毎日のように言われてると思うから平気だろうと素直に思ったことを言ったのだが、どうやらそうでもないのかわたしがそう言うとブラックは「な……っ」と声を漏らして口を引き結んだ。 「おどろき……女の子とかに言われないんだ?」 「……ド直球で言われたのはさすがに初めてだよ」 「貴重な体験に感謝したまえ。それじゃあ失礼するよ」 そんなに恥ずかしがってたら逆にわたしが恥ずかしいじゃないか、と思うがそれを悟られないようにとすぐにくるりと向きを変えて扉に手を添えた。もうここにとどまる必要はないのだから、と扉を押すと、廊下からの光が入ってくる。ここの隠し部屋には窓がないためか、その光がやけに明るく見えて少し目を細めた。すとん、と廊下に出ると、ほう、とひとつ溜息をつく。 後ろの4人からわたしに向けられる声はなにもなかった。しかしそのかわりに、ブラックが暴れだす音と、ポッターとルーピンの笑い声が聞こえる。何気ブラックってかわいいなあ、なんて思いながら扉を閉めた。 090417(ピーター途中でどこいった笑。ヒロインちゃんもシリウスも、このときはお互いに恋愛感情持ってませんがこのあと徐々にシリウス→ヒロインちゃんになるのだろうね。ちなみにこのときは、ジェームズがヒロインちゃんのこと(良い意味で)気になってたんです。最初はリーマス夢にしようかと思ってたらいつのまにかシリウス夢になってた笑) |