「なにもなぁ、お前わざわざ俺のアパートまで来てくれんなよ。後処理とかいろいろ面倒なんだぜ?」 一応相手に向けていったものなのだが、そいつは意識がもうろうとしている上に傷を負っているせいかなにも返事がなく、俺の独りごとになってしまった。濃い血のにおいが鼻をつく。もう気にならなくなっていたそのにおいは、いつまで経っても慣れることができない。誰かを傷付けることが楽しくてこんなことやってるわけじゃない、誰も傷つけたくないからやっているというのに。 「ディフィンド」 小さくそう呟くようにして言うと、相手は一瞬のうちに意識を失ったようだった。上級呪文でもなんでもないホグワーツで習うような簡単な切り裂き呪文だが、朦朧としてきた相手に致命傷を与えずに気絶させるにはちょうど良かった。あたりには水玉模様のように血が飛んでいる。後片付けが面倒だな、と頭をかいた。 アパートの廊下というものは非常に狭く、魔法も使いにくい。俺も今回ばかりは上手く加減ができなかった。自分の魔法が他人より優れているとかそういう驕りを言っているのではない。事実を言っただけだ、と言えばそれこそ驕りに聞こえるかもしれないが。 「うわぁ、すごい惨状ですね」 「っ!」 とりあえず廊下の床や壁にべったりとこびり付いている血をなんとかしなくてはと杖を壁に向けようとした瞬間、他人の妙な感嘆の声が聞こえて杖をその声の方向へと向けた。途端、「わわっ」と焦ったような声が杖の先から聞こえる。夜なのでそこにいるのが誰なのかは分からなかったが、聞こえていた声で女性だということは分かった。おそらくとても若い。ルーモス、と無言で唱えると杖の先が明るくなり、杖の向こうにいる女の顔も見える。 俺よりいくつか若いくらいのその女は、薄い青のシャツに短すぎないスカートをはいていた。このような時間帯に出歩いていることを思うと学生ではないと知ることができる。しかしだからといって社会人にはとても見えなかった。 「……悪いが、マグルに首突っ込まれると面倒だからな」 「えっ?あの、マグルって……」 「あー、ごちゃごちゃうるせぇ、黙ってろ」 いつから見られていたのか、どうしてこの惨状を見ても逃げ出さないのかなど、女に対して疑問点はいくつかあったが、マグルにこの現状をみられたことに変わりはない。この女ひとりならば魔法省の忘却術士に出てきてもらわなくても俺ひとりでなんとかなる。オブリビエイト、と忘却呪文を唱えようと杖を小さくふり上げたそのとき。 「エクスペリアームス!」 「いっ……」 武装解除呪文。杖が吹き飛ばされると同時に腕が圧迫されるような気がした。そして驚く。あれ、マグルなんじゃ。俺の前にいる女の「ルーモス」という小声が聞こえた。途端に廊下が明かりで照らされる。マグルだと思いこんでいた女が魔女だったことに驚きながら、相手の表情をうかがった。苦笑い。 「あー、危なかった。あとちょっとでも遅かったら危うく記憶消されるところだった」 「……ま、魔女?」 「魔女……うん、一応。魔法を駆使することはできますよ。私のことをご存知かな?シリウス・ブラックさん」 「あ……いや、たぶん、存じ上げていません。……たぶん。アレ?」 「あはは、まぁ別に気にしませんが、お忘れでしょうか?隣人の・ですが」 「あ、……あぁー、さん……。……ま、魔女だったんですか……」 やや呆れながらそう言うと、さんの「えぇ、まぁ」というあっさりとした返事がすぐに聞こえた。今までずっと隣人はマグルだと思っていたものだったから、夜中のドアの開閉や姿現しの音などこまごまとした生活や魔法に結構気を遣っていたというのに。今までの無駄な気の遣いはなんだったんだ、と浅くため息をついた。なんだかすごくショックだ。 しかし今はそのようなことにショックを受けている場合ではない。そういった雑念を頭を振って捨てると、血みどろになった壁に杖を向けた。スコージファイ、と無言で唱えると一瞬のうちに血は跡形もなく消え去り、元のグレーの壁が現れる。ついでに血のにおいも消えたようで冷たい夜の空気が舞い込んできた。 「無言呪文?さすがですねぇ」 「普通ですよ。俺ぐらいの年だと」 「私、一応同い年ですよ?たぶん」 「……マジですか?」 「今年で18になりました」 多めに見ても俺より2つは年下だろうと踏んでいたのだが。そう思いながら杖をしまうために俯かせていた顔を上げると、あぁ成程とすぐさま納得した。色白な肌に黒い色の瞳。少し茶色っぽい髪は痛んでしまったからだろう、元々は漆黒だと根元の色で分かる。東洋の血が混ざっているのならば西洋の女よりひとまわりふたまわりは小さくて当たり前なのだ。 「アジア出身ですか?」 「えぇ、極東のジャパンという国です。ご存知ですか?」 「……名前だけなら」 でしょうね、とさんは小さく微笑んだ。そのとき外から冷たい風が吹きこんできて、お互いにぶるりと震える。そろそろ部屋の中に戻ろうか、お腹もすいてきたころだし。そう思いながら別れの言葉をどうやって切り出そうか考えていると、さんが思いついたように「あ、」と小さく声を漏らすのが聞こえた。 「ブラックさん、夕飯は召し上がりました?」 「え?いや、まだ……仕事から戻って来たばかりなので」 「私もです。どうです、私の家で一緒にいただきませんか?」 簡単なものしかお出しできませんが、とあまりにもさんが気楽に言うのでそこまで深く考えずにイエスと返す。とりあえず彼女がどういった人物なのか、魔法使いとしても隣人としても、知る必要があると思った。 100212(初めての成人後のおはなしで連載という無鉄砲な自分が心配だな…) |