限られた空間でしか生活できなかったのは兄であるサクも同じで、だからこそあの頃の私にとってサクは世界の中心だった。父も母もいない、伯父に監視される生活を送る中、サクだけが唯一の縋れる存在だったのだ。私はいつもいつもサクの背中ばかりを追っていた。世話役のお姉さんたちよりもサクにばかり懐く私を、伯父はあまり快く思っていないことも幼いながらになんとなく分かっていた。それでも私にとっての全てはサクで、サクがいたからこそ特に不満もなく籠の檻の中での生活を送ることが出来ていたのだと、それは後になって知ったのだが。 だからこそ、あの日、家を出て行ったサクに置いてかれたことが当時9歳であった私にとってはとてつもなくショックだったのだ。 気付けばいなくなっていたサク、その時感じたのはただ寂しさのみだったけれど、大きくなるにつれて理解した“置いていかれた”という事実。今までの生活に不満はなかったにしろ、そこから抜け出せるなら抜け出したいと願っていたのはサクだけではないと彼も知っていたはずなのに。ひとりきりになった生活はとてつもなく閉塞感にあふれていて、逃げる場所も憩いの場所も私にはもう残されていなかった。 ただそんな細くて脆い折れそうな心を唯一支えてくれていたのが、『いつか迎えに来るから』と走り書きされたサクの置き手紙。それだけが、たった一文のそれだけが、数年間私を監禁されたような生活から耐えさせてくれた。 しかし15歳の春、思春期の不安定な心情と反発心によって、そんな生活に甘んじていることはもうできなかった。私の細くて脆い心はその数年でさらに擦り切れ、もう、耐えられなかったのだ。だから私は当主である伯父に泣きながら請い、この監禁された生活から開放されるという道を選んだ。 たとえそれが、伯父の最終目的だったということを知りながらも。 *** 「、そこに座んな」 「……はい」 シリウスさんの部屋で食事をさせてもらい、そして大事な話があるからと私の部屋にサクと共に戻ってきたのは数分前。水が違うので日本で飲んでいたものと多少味は異なるものの、急須と湯飲みで日本茶を淹れてそれを盆に載せてサクの元へと向かう。サクは低いテーブルの両側にちゃっかりと座布団を敷いたようで、お茶を持ってきた私に向かい側に座るように促した。このあまりにも純和風な光景にここは本当にイギリスかと思いながら、コトリと急須と湯飲みを置くと、盆を床に置いて座布団の上に正座を組む。小さく深呼吸をしてからまっすぐサクを見据えた。 こうやってサクと対峙するのは初めてじゃないだろうかと思いながら、これから言われる内容のことを思うと心が重い。はぁ、とこっそりと息を吐いたつもりがそれはちゃっかり聞こえていたようで「あのなぁ……」とサクの呆れたような声が聞こえた。しまった、と思うがもう遅い。 「溜息つきたいのはこっちだ、まったく。俺が此処を突き止めるのにどれだけかかったと思っていやがる?」 「サ、サクのことだから精々1ヶ月ほどじゃないデスカ」 「……もしそうだったらよかったんだけどな」 「……に、2ヶ月?」 「あのなぁ、俺の情報網を駆使しても4ヶ月はかかったぞ。ったく、こんな辺鄙なところに住み着きやがって……俺がどれだけ苦労したことか」 「いやだって、あの、えーと、……うん」 「勝手に自己完結すんなよ……って、俺はこんなくだらない説教をしきにたんじゃなくて、だな」 さっきもこんなことがあったし、最近俺ってば説教臭くなってんのかなぁ。そんなサクのぼやきが聞こえるが、それはつまりシリウスさんにも説教じみたことをしたということなのか。私が来ないうちに2人でなにを話していたのかは分からないが、先程の食事風景を考えるとそう陰険なムードでもなかったと思うのだが。 そんなことを思いながら、本題だけど、と話を仕切りなおしたサクの言葉に無意識に背筋を伸ばした。ついにこの時が来てしまったのだと思う反面、この時を今か今かと待ち構えていたような気もする。いまだにぐらぐらと揺れている自分の思いに苦笑した。結局なにひとつ、自分自身で選ぶことが出来ないままなんだ、私は。だからこんなことになってしまったのだと、分かっていはいるのだけれども。 「、家は絶対中立を貫かなければならない。それは分かるな?」 「……うん」 「じゃあ、自分のやったことは?」 「分かって、る。家の人間として、あるまじき行為だったこと、だと。でも、」 「でも?……言っとくけど、言い訳は聞かないからな」 一瞬言葉に詰まる。でも、口を止めることなんて出来なかった。結局、自分の浅ましさや愚かさをさらけ出すことになると分かっていたとしても。だって、だって、しょうがないじゃない。先に私を置いていったのは、サクなんだから。責任を押し付けるわけでもないけれど、言わないわけにはいかなかった。サクを前にすると自分のなにもかもがいけないような気がして、間違っているような気がして、不安とやるせなさから涙が滲んでくる。それでもまだ、サクの言いなりになることは自分のプライドが許さなかった。 「……でも、私には、それしかなかったの。サクに置いてかれて、ずっと籠の檻で生活して、そんな中から抜け出したいって思うことはいけなかった?行動にしちゃだめだった?……サクにはわかんないよ。ひとりぼっちにされて、ひとりで耐えてきた私のことなんか」 言ってしまったことに後悔はない。それでも、間違っているような気がしてまっすぐサクを見ていることはできそうにもなかった。すぐに返ってくると思っていたサクの言葉はなく、重い沈黙が部屋中に漂う。 ごめん、ごめんなさい、でもこうでもしないと、私の数年間が意味を成さないものになってしまう。監禁を解かれて自由になって、いろんなものを見て、知って、感じて、さまざまなことをこなしてきた私の数年間はなんだった?ただの無駄な時間だった?間違っている時間だった?愚かな時間だった?……分かっている。分かっているからこそ、それを認めるわけにはいかなかった。悪いのは私だけじゃない。そうでなかったら、私は。 「自由にならなければよかったなんて一度も思わなかった。いろんなものを見てきて、自分の世界の狭さを思い知った。ずっと家に閉じ込められていたら知らなかったことはいっぱいあって、新しく知識を蓄えていくのがすごくすごく楽しかった」 「……」 「そんなことをしたのはいけなかったのだとか、その時間が間違っていたとか、そんなことを言われても私にはこれしかなかったんだもん……!それが間違っていたということすら、分からなかったから、だから……っ!」 「、」 「サクが置いていったことを後悔してるのと同じように、私も過去を後悔しなかったわけじゃない!……でも、自分の過ごしてきたこの数年間は、本当に、毎日が充実してて……今までの生活とは比にならないくらい楽しくて、……すごくすごく、毎日が大切だったんだもん……!」 「……、分かったから。ごめん、俺も突き放すような言い方して、悪かったよ。だから、ちょっと落ち着け」 また子供っぽいことを言ってしまった、そう思いながら滲む視界を振り払うように目元を指で掬う。泣きたいわけじゃない、八つ当たりをしたいわけでもない、ただ私は自分に甘いだけなのだ。自分が可愛い身だから、過去の自分がやってきたことを否定されるのに言いがかりをつけているだけ。それが分かっているからこそ、そんな自分に自嘲的な笑みを漏らした。私は本当に駄目な人間だとつくづく思う。兄であるサクとは大違いだ。 「……ごめん、大半が八つ当たりだね」 「分かってるのならもう言うなよ、俺もお前の言葉は結構こたえるんだから。……置いてったことは本当に悪かったと思ってるんだ、これでも」 「これでもって」 「それが俺の今までの人生の中で最大の後悔と過ち。……あの時できるならお前を連れて行きたかったんだけど、さすがにお前を守り抜きながら逃げることは出来そうに無かった。幼すぎたんだよ、俺も、お前も……俺の仲間も」 「仲間?」 「家出を助けてくれたヤツがいるんだ。今もそいつらと一緒に生活してる」 てっきりサクはひとりで家を出て生活しているのかと思い込んでいた私は、その事実に目を丸くした。あの籠の檻の中の生活でどのようにして仲間を見つけ、手引きしてもらったのかは分からないが、私の知らないところでいろいろやっていたのだろうと思う。サクが家を出たあの頃は確かにまだ私は幼すぎた。 湯飲みに手を伸ばし、冷めかけているお茶を啜った。じんわりと心が落ち着く。言いたいことは大抵言ってしまった、そのことにすっきりしている自分がいる。さして物事が前進するわけでも後退するわけでもないけれど、最近胸にもやもやと漂っていたものがさぁっと一掃されたみたいだった。ほう、と息をつく。先程一気に喋ったから喉を潤す日本茶はとても美味しく感じ、また祖国の懐かしい味がした。そうして和んでいると、「それで、」とサクが口を開く。 「、俺らのところに来るか?っていうか、来い」 最終的に疑問系ですらないそれに危うくお茶を噴出すところだった。これでこそ我が兄だと、懐かしく思っている自分がいるのだがそれどころじゃないだろうと湯飲みを置いて姿勢を正す。和んでいる場合じゃない、まだまだ厄介な問題が残っているのだ。 110619(ここで伏線をぶわわぁっと。こういう過去でした。そしてこれははたして誰夢なのか。シリウス空気だぞ…。え?兄さん夢?そんなばかな(笑) ) |