「泊まってけばいいのに」 「いや、部屋とってあるから」 玄関先でコートを羽織るサクを見ながらそう告げると、もっともな返事が返ってきてそれもそうかとひとりでごちた。なんだかんだで私もサクとの再会が嬉しかったらしいと実感する。数年ぶりに会ったサクは大人の男になっていて、もし私が妹などではなかったらうっかりドキッとしていたかもしれないと思うほど格好いい外見をしていた。少し長い髪は結われていて、顔は凛々しいというよりもどちらかといえば優しそうな印象を受ける。シリウスさんもなかなか好青年だとは思うが、それとはまた異なる種類の格好よさだと思った。 それに比べて妹の私ときたら平々凡々で、どうしてこの人と血が繋がっているというのにこんなにも違うのかと幼い頃にも思っていたことを思う。外見も、魔力も、知能も、なにもかもが突飛している兄に追いつくことはできなかった。それは成長した今もきっと変わっていないのだろう。そんなことをぼんやりと思っていると準備を終えたらしいサクがくるりと振り向いた。 「じゃあ、明日、返事聞きに来るからな」 「……分かった。おやすみなさい」 「おやすみ」 それだけ告げると、サクはさっさと私の部屋から出て行ってしまった。急にやって来てあっけなく去っていくそれはまるで嵐の種のようだと思いながら、“返事”のことを考えて深くため息をついた。とりあえずリビングに戻って冷めてしまったお茶を捨てると、再び温かいお茶を湯飲みに注いでそれを両手で包むようにして持ち上げる。じんわりと陶器を通して伝わってくるお茶の温かさにほう、と息を吐いた。考える時間のタイムリミットは明日の夕方。それまでに決めなくてはと、先ほどサクから言われたことを復習するように頭の中で思い出した。 最終的に迫られた選択は、ここを離れてサクと一緒に生活をするかどうかということ。 サクは私と一緒に暮らすことを強く希望しているらしく、しかし最終決定権はちゃんと私に委ねてくれるところはサクらしいと思った。しかしサクと一緒に生活するということは、兄の仲間とも一緒に生活をするということ。気のいいやつらだよと兄は言っていたものの、数年間の絆があるその中に私ひとりが放り込まれるのもいたたまれないように感じた。 きっとサクと一緒に生活したら、もう私は伯父に従わなくても済む生活になるだろうし、今以上に自由が利くようになるかもしれない。けれどサクも気付いていると思うが、それにはリスクが大きすぎた。私は伯父と“契約”をしている身であって、伯父がこのことを知ったら私自身がどうなるか分からない。その“契約”について今日サクは何も訊ねてこなかったけれど、私と伯父が交わした契約は少々厄介なものであるのだ。 「……でも、もう、今まで通りには……いかない、よね」 今日サクと再会したことで、はっきりしたことも確かにあった。正義と悪、嘘と真実。今までその中でぐらぐらと揺れていた心境が、サクと再会すると自然とひとつの道を選んでいた。もともとこれが私の選ぶべき道だったと分かっている、それでも今まで反対の道を選んでしまっていたのは、やはりどこかサクに置いていかれた、すなわち見捨てられたという思いがあったからなのかもしれない。こんなのはただの天邪鬼だ。分かっていた、サクがそんなことを思うはずが無いということは。しかしそれに確信が持てず、自分の弱さに甘えてずるずると流されてここまできたのは、私の罪。 今更気付いたって遅いのかもしれない。私が今まで歩んできたのは悪の道に間違いなく、私自身それを分かっていてここまできた。人を傷つけると分かっていて伯父からの任務を忠実にこなしていたのは、確かに私なのだ。それが真実。多くの罪を犯した、変えようがない私の過去。 今までたくさんの人を傷つけて、時には殺めてきたことだってあった。完全に闇の組織に手を染めたことはないものの、そのギリギリのラインまでいったこともあった。いくら謝ったって償えるものでもないし、それが悪いことだと分かっていて逆らわなかった私自身を忘れることはきっとできない。 でも、まだ、間に合うのであれば。 (……希望に、すがってもいいの、なら、) 間違いを正しても、いいのだろうか。 そう考えていたときだった。急にバタンとドアが開く音がして何事かと慌てて玄関の方を振り返れば、つい先程この部屋を出て行ったばかりのサクが息を切らして勝手に上がりこんできた。尋常ではないその様子に取り落としそうになった湯飲みをテーブルの上に置くと、「!」と焦ったようにサクに名前を呼ばれる。そのまま駆け足で私のそばまで来たサクは切れる息もそのままに真面目な顔で私の腕を引っ張って私を立たせた。 「杖は持ってるな?逃げるぞ」 「は?な、なにをしたのサク?!」 「それを言いたいのはこっちだ!いくぞ!」 「えっ、えぇっ?!」 私はわけが分からず、なにがどうなっているのかよく分からないままサクにされるがままにして家を飛び出した。最早玄関の鍵など気にしている暇は無く、一段とばしで階段を下りるサクに続いて私も慌てて階段を下る。どういうことかと訊ねようとすると、それよりも先にサクが「ついさっき仲間から連絡が来て、」とこの状況を教えてくれた。 「本家がお前を探しているらしい」 「は?!なん、で……まさか、」 本家が私を探す理由が思い当たらず聞き返そうとするものの、ふと思い浮かんだのはひとつの仮説。ちらりとサクを伺うと兄もその私の視線の意味を理解したのか、「あぁ、」と苦々しげに頷いた。 「お前が俺と接触したのがバレたんだろ。俺、一応本家を逃げ出した危険人物としてマークされてるからな」 「は、はやすぎる!サクが来てから、まだ半日しか……!」 「なんでこんなに早くバレたかは分からねぇ、けど、たぶん……」 「たぶん?」 私が繰り返すようにして聞き返すと、サクは一瞬迷うような素振りを見せてから「いや、」と口を閉ざした。話したくないのか今はまだ言えないのか、それは分からない。けれどサクが無意味に口を閉ざすなんてことをするはずが無いと分かっているのであえて言及はしなかった。 階段を降りきってアパートから少し離れた所まで来た頃、急にふとサクが立ち止まったので私も足を止める。切れている息を整えるようにひざに手をつくと、サクが私を振り返る気配がした。なんだろうかと顔を上げると、そういえば、とサクが思い出したように告げてくる。 「聞くの忘れてた。、お前、本家に従属したいのなら俺と一緒逃げる必要は無い。ただ、本家から離れたいのなら、縛られたくないのなら俺についてきてほしい」 「い……今更?」 「いや、ついうっかり。……ごめん、俺の思考で行動してたけど、どうする?予定より早まって悪いが、今決めてくれ」 サクの瞳に不安の色が滲んでいるのを感じ、ふ、と小さく笑みを漏らした。こうしていつも私に決定権をくれる、なにひとつサクは自分で他人のことを決めてしまわない。それは数年経った今でも変わらないのだと思うと、嬉しいような、泣きたくなるような。昔の私ならその意味に気付けなかったかもしれない、けれど今の私なら分かる。そのやさしさがサク自身の首を絞めているということに。 少しの間走っただけなのにうっすらと汗が滲んできて、運動不足だなとどうでもいいことを思う。少しだけサクへの返事を思案するけれど、私の考えはすぐにまとまった。答えるのに少し躊躇ったけれど、私はやんわりと私の腕を掴んでいるサクの手を押す。それにはっとして目を見開き口を開きかけたサクがなにかを言う前に、「私は、」と淡く笑みを浮かべながら告げた。 「どっちにも、つけないよ」 私をここまで動かしてくれたのはサクだけれど、今までの道に疑問を感じさせ、このままではいけないと気付かせてくれたのは、他でもない、シリウスさんなのだから。だから私は、サクにも、伯父にも、つけない。つかないのだと、今になってようやくはっきりと分かった。 110706(だからこれは…!誰夢なのかと…!) |