目が覚める。一番最初に視界に入った天井の色は、この数日でようやく慣れてきたものだった。白とも黄色とも言えないそれは、そう、クリーム色と形容するのが相応しいまどろむような優しい色。まるでこの家のようだと思いながら身を起こし、カーテンの隙間から漏れる一筋の朝日に今日は晴れかと立ち上がった。カーテンを開け放つとその明るさに一瞬目を細めるが、窓の遠くを見つめればまるで絵の具を溶かしたような綺麗な秋空。

全開にすると少し寒いため数センチだけ窓を開けると、階下から漂ってくるのはパンの焼ける香ばしい匂い。それと共に聞こえるリリーさんとジェームズさんの会話に自然に笑みを浮かべると、急いでパジャマから洋服に着替えて客室を出た。慣れた廊下を進み階段を下りると、そこはすぐにダイニング兼リビングに繋がっている。階段を下りきる前に私に気付いたジェームズさんに「おはよう、!」と声をかけられ、今日も彼は朝から絶好調のようだと挨拶を返した。


「おはようございます、ジェームズさん、リリーさん」
「おはよう。ジェームズ、仕事遅れるわよ」
「えっ?!あっもうこんな時間?!」


ジェームズさんは「やばっ持ち帰った書類、部屋だ!」と声をあげながら階段を駆け上がっていく。リリーさんはそれに呆れたように息をついて私と彼女の朝食の準備を進めるが、私は彼女がジェームズさんの鞄にそっとお弁当を入れているのを見逃さなかった。ローブを羽織りながら慌てて下りてきたジェームズさんはリリーさんの額にいってきますのキスをひとつ落とすと、慣れた手つきでフルーパウダーを一掴みだけ暖炉に投げ入れる。


「じゃあ、行ってきます!」
「いってらっしゃい」
「い、いってらっしゃい……」


魔法省、という言葉と共にジェームズさんはエメラルドグリーンの炎の中に消えていった。リリーさんとその姿を見送り、そしてエメラルドグリーンの炎が消えると彼女は再び朝食の準備を始める。私はいまだに慣れない“いってらっしゃい”という言葉に口をもごもごさせながら、リリーさんの準備を手伝うべくカウンターをまわってキッチンへと足を踏み入れた。

幼い頃は籠の鳥、また外の世界に触れてからは一人暮らしが多かったため、誰かを見送り見送られること、また迎えて迎えられることには慣れていなかった。言わば、挨拶の基本であるいってらっしゃい、いってきます、おかえりなさい、ただいまなどの言葉をほとんど言ったことがなかったのだ。無論、言われることもである。それらを日常的に使用する家庭環境に憧れていた時期がなかったわけじゃない。ただ、ある程度まで成長してからというものはそれらに意識を向けるなんてことはほどんどなかった。

だからポッター家にお世話になり始めてから日常的に紡ぎだされるそれらの言葉はどこか気恥ずかしく、けれど確かに嬉しくもあるのだ。幼い頃に夢みていた生活。ただいまと帰って来る人がいて、おかえりと言う私がいる。明るくあたたかな家庭。まさにここは理想郷のような場所。その幸せをこの年になってからかみしめていた。永遠に一人暮らしでは知りえなかったこと。


、今朝の茶葉は何にする?」
「そうですね、ダージリンを飲みたい気分です」
「いいわね。ストレートでいただきましょう」


まるで家族のような会話だと、そう思って小さく笑みを零した。



***



、私買出しに行ってくるから留守番よろしくね」
「はい、い、いってらっしゃい……」
「いってきます」


ぎこちないの見送りに笑みを浮かべながら答えてから玄関を出た。どういうわけかは知らないが、は“いってらっしゃい”と言うことに慣れていないようで、私に対してもジェームズに対してもいつもどもりながらそれを告げている。しかしそれは決しての教養が高くないというわけではなく、ただ今までそのような環境になかっただけなのではないのだろうか。

シリウスからもからも、彼女を預かることになった詳しい理由は聞いていない。ただ家出をしたようなものらしく、しかしその裏にはなにか事情があり、それに関係しているのではないかと思っていた。けれどこの数日一緒に過ごしてみたが、のことはますます分からなくなる一方である。時折悩ましげな表情をしているかと思えば、心から嬉しそうな表情もしていた。先ほどのような挨拶も上手く口にできないようではあったが、言うこと自体は嫌ではなく、むしろそれが幸せそうで。


(……どういうお家で育ったのかしら)


学校はどうしてるのかと尋ねたことがあり、聞けばは外見が幼いだけで私やジェームズと同い年なのだとか。それには驚いたものの、が東洋出身だということを考えれば納得できた。言動や行動も至って普通であり、特に他人と抜きん出て変わっているようなところはないように思う。私たちの年齢であれば、ただの家出ということも考えられない。やはりなにか深い事情でもあるのだろうか、なんてことを考えながら歩いていると、前方からよく見知った梟が飛んできた。


「あら、シリウスの梟じゃない。……手紙?じゃなくて、私宛なの?」


灰色のその梟は丁度私の手元に手紙を落とすと、一度だけ私の頭上を旋回してからまたどこかに飛んでいった。今シリウスは勤務中だと思われるのにわざわざ彼自身の梟で連絡を寄こすということは、業務とは全く関係が無い私情の用件なのだろう。何事だとろうかと封筒を破いて便箋を取り出し一通り目を通すと、そこに書かれていた内容に思わず苦笑を漏らした。


(私じゃなくて、直接に送ればいいのに……というか、そんなに心配なら仕事帰りにでも来ればいいのに)


は元気か、変わったところはないか、ジェームズが迷惑をかけていないかなど、私に関する記述なんてこれっぽっちも見られないそれを早々と折りたたんでバッグの中に仕舞い込む。家に帰ったらに内緒でシリウスを明日の夕食に招待する手紙を書こうと思いながら、さて今夜の夕食はなににしようかと思考をめぐらせた。



111103(3ヵ月ぶりの更新…!)