熟れすぎてそのままでは食べることのできないトマトの皮を剥く。汁や果肉のせいでベトベトになった手でしばらく考え、手を洗ってスプーンを取り出すのも面倒なのでまぁいいかとそのまま素手で熟れたトマトを潰した。それを終えてからやっと手を洗い、軽く拭いてから小さめのフライパンを取り出す。フライパンが十分に温かくなったのを確認してから溶いた卵を流し込んだ。素早く混ぜて、少し固まってきたらその上に先ほど潰したトマトを置く。フライパンを上下に動かしてくるりと卵でトマトを包み込み、左右に動かしながら形を整えた。我ながら傑作。それを予め用意しておいた皿に流すように落とし、調理器具を流し台に放りこんで杖を振った。

オーブンで温めておいたバゲットと先ほどのオムレツをテーブルに運び、イスに腰を下ろしてブラックのままのコーヒーを口にする。日刊予言者新聞を適当に眺めながら、オムレツを一口のサイズに切り分けた。それを口に運ぶ。


(……一応、漏れてないみたいだな)


昨夜、自分と死喰い人が戦ったことは載っていなかった。秘密裏に上司に連絡を取って片づけてもらったので漏れることがないといえばそうなのだが、最近は大臣の腹心たちが闇祓い局をこそこそと嗅ぎ回っているらしい。別に悪いことをしているわけではないし大臣本人に報告はいっているのだが、その大臣の部下に知られるといろいろと厄介である。死喰い人のことはなるべく多くの人に晒すべきではない。日刊予言者新聞につながってしまってはお終いなのだ。

ぱらりと新聞を閉じた。ぬるくなったバゲットにオムレツをのせて口にする。食事をひとりで取ることにはもう慣れているのだが、それでも寂しく感じるのは昨日の夕食のせいだろうか。


(……結局、さんのことよく分からなかったけど)


という人物がいったいどんなものなのか査定するような気分で家にお邪魔したのだが、和気あいあいとお喋りをしながら昨夜は夕食の時間を過ごしてしまった。後悔はしてない。むしろ久しぶりに誰かと夕食を取るのはとても楽しかった。当初の目的が純粋なものではなかった分後ろめたさもあったが、年が同じということもあってかなかなかさんとは気が合うようで、また一緒に食事をする約束をしたくらいだ。そう思っていると玄関のベルが聞こえた。最後のバゲットをコーヒーで流し込み、早足で玄関に向かう。こんな朝っぱらから誰だ。


「あれ、さん」
「おはようございます。すみません、朝早くに」
「いえ、それは別に構わないんですが」


謙虚なのか礼儀正しのか。控えめなのはジャパニーズの特徴なんです、とさんは昨日話していたがイギリスでもそれだと彼女の身がやや心配だ。出勤時間まではまだ時間が大分あり、それはさんも同じなのか服装はしっかりとしているようだが焦ってはいないようだった。白のティーシャツの上にグレーのパーカー、昨日と同じく短すぎない紺のスカート。まだ学生だと思わされる容姿だが、昨夜に「今日は仕事が長引いて」と言っていたので働いている社会人であることは確かだと思う。なんの仕事をしているのかは知らないが、服装がラフなので魔法省勤めではないのだろう。


「昨日の忘れ物です。これ、ブラックさんのですよね」
「あー……すみません」


さんから手渡されたのは、髪を結っていた藍色のリボンだった。仕事で後ろの髪が邪魔なときに使うのだが、昨日の夕食前に解いてそのままテーブルに置き忘れていたことを思い出した。別にいいかなとも思ったんですけど、と苦笑いしながら続けるさんに礼を述べる。無くしても困らないものだが、独り暮らしという身では出来る限りの出費は抑えたいものだ。たとえリボンひとつでも。


「では、失礼しますね。お仕事頑張ってください」
「あ、はい」


くるりとさんが踵を返すとスカートがなびいた。やっぱりさんのことはよく分からないな、と考えながらドアを閉める。時計に目をやると出勤時間まであと10分。適当に身支度を済ませると、フルーパウダーをひと摘み暖炉の中に振りかけ、エメラルドの炎の中に入って「魔法省」と短く告げた。


(明日……か。夜勤入らねぇように見張ってなくちゃな)


さんと食事をするのは明日の夜。昨日はさんの家で手料理だったので、今度は自分の家で自分が料理するつもりだった。献立をどうしようかと既に考え始めている自分に苦笑する。やはり誰かと一緒に食事をするのは楽しい。今までしばらく独りだったぶん、尚更。

上司はこっちの予定なんて関係なしに仕事を放りこんでくるので、明日の夜だけはなにも入れられないように気をつけなくては、といつものように地下2階へ向かう。しばらく廊下と階段を歩いて目的地の扉を開けると、昔と変わらない友人の声が聞こえた。


「おはよう!今日はちょっと早いんじゃない、シリウス」
「あー、まぁな」


ジェームズの挨拶に適当に答えながら、ざっと局内を見渡す。ジェームズと自分以外にまだ局員は来ていないらしく、珍しい光景に目を見張った。今日はなにかあったっけ。そう考えながら自分のデスクに鞄を置き、そうえいばと後ろを振り返ってジェームズに「今週末、開いてるか?」と尋ねた。


「今週末?別になにも予定ないけど」
「じゃあお前らの家行ってもいいか。結婚式のいろいろ決めなくちゃならねぇし」
「あ、うん、分かった。リリーにも言っておく」


頼んだ、と言ってから再びデスクを向いてイスに腰を下ろした。デスクの上にはこれでもかというくらいに紙の束が積んである。2つ隣のジェームズのデスクを見ると、彼のも同じような状態になっていた。多くの闇祓いは各地を飛び回っているため、自分たちのようないつも本部にいる新人が書類を片づけるのは就職前からの承知済みだ。しかしこの量は無いと思う。なんでも今年は新人の数が例年に比べて極端に少ないかららしいが。


「……うし、」


気合いを入れる。今日という日はもう既に始まっているのだ。



100217(シリウス、ジェームズは闇払い局勤務の設定で、謎なヒロイン。笑)