スプーンから手を離すと、何も入っていない食器とぶつかってカランと固い音が響いた。静まり返る部屋。それは普通のことなのに、賑やかな食事に慣れてしまった今では寂しく思える。ひとりで夕食を迎えるようになってから10日と少しが経っていた。心持機嫌がよろしくない自分に呆れて溜息をつきつつ、左側の壁を見る。壁一枚隔てた向こうは、もううっすらと埃がかぶっているのだろうかとどうでもいいことを思った。 隣人の・とは一緒に夕食を取るごとに親しくなり、今ではファーストネームで呼び合う仲になっていた。毎日夕食を共にするだけの、親しい隣人という域を超えない関係。そんなさんがぱったりと姿を見せなくなったのは数日前だった。さんが姿を消すと同時にふくろう便で届いた手紙には、『しばらく留守にします。』というたった一行の文章。彼女がどこに行ったのかも分からないので返事を出すことはできず、その手紙が来てからもう10日以上が経つが依然音沙汰は無い。 手紙が来たということは事件に巻き込まれたというわけではなく、しかし内容が簡潔であることからおそらく仕事関係なのだろうと推測した。自分は魔法省勤めだと話したことがあるが、さんの職業は聞いていない。一体彼女が何をしているのか気になるところだが、仕事の話となればやたらと首をつっこむべきではないと分かっている。 「……仕事、なぁ」 直接には聞いたことないが、さんの会話の中にたまに思いだすようにして出てくることがあった。そこからいくつかのことなら分かる。まず、時間はあまり関係ないということ。朝早くからというときもあれば、昼過ぎや、あるいは深夜からということもあるようだった。次に仕事の量は少なくても給料はそこそこあるということ。これは自分の仕事量や給料と対比した結果だ。あと、普通とは少し違う仕事らしいということ。それは彼女の何かと人とは違う言動や思考がらなんとなく汲み取った。 (危険な仕事では……ない?よなぁ……) 魔法省勤めである自分も十分危険な仕事をしているので人のことはあまり言えないが、これまでのさんの言動から見てそんなに危険な仕事を任されているということはないと思う。しかしこれらは推測でしかない。もしかしたら闇の陣営のひとりだという可能性もなきにしもあらずだ。かなりの確率でそれは無いと思うが。 そうやって悶々とさんの職業について考えていると、奥の部屋から急にゴトトッという音と「いてっ」という男性の声が聞こえた。 「……リーマスか?!」 そのなじみ深い声に反応してイスを蹴飛ばすようにして立ちあがり、暖炉のある部屋へと駆け込むと思った通りの人物がいた。リーマス・ルーピン。学生時代からの大親友の一人である。彼は着地に失敗したのか暖炉の煤を払いながら、「シリウスの家の暖炉汚いよー」とぼやいていた。それはお前の着地の仕方が悪いせいだろ、と心の中で突っ込みながら魔法でリーマスを綺麗にしてやる。するとリーマスは昔から変わらない柔らかい笑みを浮かべて礼を述べた。 「今日来るなんて聞いてないぞ」 「だろうね。なんとなく来ただけだから」 「……なんだよそれ」 眉をひそめるとまぁいいじゃないか、とお気楽な様子でリーマスに肩をたたかれる。実際そんなに気にしているわけではなく、むしろ嬉しかったのでそのままリーマスを招き入れた。 「……シリウスの家初めて来たけど、案外綺麗だね」 「案外ってなんだ案外って」 自分は他人にどう思われているかは分からないが、これでも生活能力はあるし炊事や掃除も苦手ではないし結構出来た男だと思う。少なくともリーマスよりかは。そう思いながらお腹がすいたとさわぐリーマスにこのあいださんからレシピを教えてもらったペペロンチーノでも作ってやるかとキッチンへと回った。そのとき、壁一枚隔てた向こうからパシッと音がする。姿現しの音、と思うと同時に音が聞こえたほうへと視線を向けた。リビングでうろついていたリーマスもさっきの音に気づいたようで、視線を俺の方へと向ける。 「お隣さん、魔法使い?」 「いや、魔女……悪いリーマス、ちょっとまってて」 それ以上の質問はまたあとで、という意味でそれ以上のリーマスの言葉を制しながら、急いで玄関へと駆ける。ドアを開けてすぐ隣家のベルを鳴らそうとした、その瞬間。 「うわっ!」 「わっ?!……シ、シリウスさん?」 部屋のドアが開けられて、ばったりと顔を合わせた俺とさんはお互いにすっとんきょんな声を出して飛びのいた。さんは相手が俺だと分かるとすぐに警戒を解いたようで、驚いた表情でどうしたんです、と聞いてくる。 「いや、どうしたもこうしたも……2週間くらい音沙汰なかったですし、心配くらいしますよ、普通」 「あぁ……すみませんでした。ちょっと仕事の都合で。でももう終わったので明日からは家にいますよ」 「今から何処行こうとしてたんですか?」 「えーと、食料の調達です。冷蔵庫からっぽだし、でもお腹すいたし」 「……俺が作りますよ」 「え、悪いです。時間的にもうとっくに食事を終えてますよね」 「今さっき友人が押し掛けて来まして、パスタでも振る舞ってやろうかと思ってたとこなんです」 「……じゃあ、ご遠慮なくご馳走になりましょう」 「そうしてくださいよ」 気づけばさんを家に招いていた。リーマスとさんを引き合わせるととんでもなく面倒事になるだろうということに考えが及ばないわけではなかったが、こんな夜中にさんを買い物に行かせるよりはマシだろう。おじゃまします、と慣れた様子で俺の家にあがるさんに嬉しさを感じつつどこかやるせなさを感じた。 100314(まだ卒業して日が浅いつもりです。半年経ったくらい?) |