真っ白いお皿の上に置かれている焼きあがったトーストに、黄身が半熟である目玉焼きをのせる。味付けはシンプルに塩湖陵のみで、しかしこれが最もおいしい食べ方なのだと私は思っていた。そのお皿とブラックのコーヒーが入ったマグカップをダイニングテーブルへと置くと、冷蔵庫から牛乳と角砂糖を取り出す。コーヒーの中に角砂糖を1つ落とし牛乳を適当に入れると、再びそれらを冷蔵庫へと戻してマグカップの中をスプーンでぐるぐるとかき混ぜた。椅子に座ると目玉焼きをのせたトーストを片手に、日刊預言者新聞を引き寄せて一面記事を見る。さっと内容を流し読みしてから、パラパラと中身も適当に目を通していくが目立った記事は見つからなかった。

今日も平和だと言うには物騒な世の中であるが、それでもこういう日常を少なからず気に入っている自分がいるのは自覚していた。そのとき玄関からカコンと小さな音がして、普通郵便が来たことを私に知らせる。トーストをお皿の上に戻して指のパン屑を払うと、立ち上がって郵便受けへと向かった。郵便受けにはどうやら2つ手紙が来ていたようで、しかしそれらを取り出した瞬間私は凍りつく。


「……なん、で……」


そこには定期的に手紙を送ってくる人の名前と、もうひとつにはこの数年姿さえ見ていなかった人物の名前が書かれていた。



***



朝食を食べ終えて歯磨きをしようと歯ブラシを手に取ったとき、壁一枚を隔てた向こう側からパシッという乾いた音が聞こえた。それは聞きなれた姿表しの音で、シリウスさんは朝帰りなのかとチューブからミントの歯磨き粉を搾り出しながらぼんやりと思う。仕事だろうか、はたまたそれとも恋人だろうか。どちらにせよそれは自分には関係ないと、淡いグリーンの歯磨き粉を上に乗っけた歯ブラシを口へと押し込んだ。しゃこしゃこと歯ブラシをせわしなく動かしながら思うのは、つい今しがた帰ってきた隣人のこと。

シリウスさんと知り合ってかれこれ1ヶ月ほどが経つ。ブラック家といえば魔法界で知らない人はいないほどの名家で、私も例に漏れずその存在を知っていた。しかしブラック家の知り合いなんているはずがないので、噂ではいろいろ聞くものの実際どのような家系なのかはよく分からなかったというのが本音だ。ただ、純血主義だとか闇の魔術に詳しいだとかいかにも“それらしい”噂が流れる中で、聞き間違いとでも思えるような情報を耳に挟んだのはいつだっただろうか。


(……まさか、ブラック家の人間と知り合いになるなんて、ね)


このアパートに越して来て隣人の表札が『シリウス・ブラック』だったことに驚いたのは半年前である。一応ブラック家の家系図の大抵を網羅していたのでその人物が誰なのかは一発で分かった。例の本当だとは思えない『ブラック家の長男が家出をして勘当された』という噂の張本人、シリウス・ブラックかとその時は内心舌を巻いたものだ。ブラック家では異端として扱われたであろう彼だが、意外と一般常識を持つブラック家らしくない人間なのだと知ったのはつい最近のことである。


(まぁそれでも、どこか垢抜けているんだけど。あれが元貴族ってことか)


そう思いながら泡が少なくなってきた口の中の歯磨き粉を吐き出すと、水を流して歯ブラシをさっさと洗い、両手で椀を作って掬った水を口の中と流し込んだ。ゆすいでさっぱりした口元をタオルで拭い、リビングに戻って時計を見ると針はまだ午前八時過ぎを指している。今日の予定は特にないので特に時間を気にする必要はないものの、まだまだある今日という時間に小さく息を吐いた。

そのままソファーに腰掛けて目の前のテーブルに置いてある2つの手紙のうち、ひとつを手に取ると封筒を裏返して差出人を確認する。そしてもうひとつの手紙も差出人を確認して、しかしそれはすぐにテーブルの上に戻した。始めに手に取ったほうの封筒をぴりぴりと破る。そしてあまり気乗りをしないまま、便箋を開いてその中身に目を通した。



***



手紙を2つとも読み終えてばさりと封筒と便箋をテーブルに放ると、深く深く息を吐きながらソファーの背もたれに体重を預けた。そのままのろのろと右手で額を抑える。同じ差出場所から、しかし差出人は異なるそれらの手紙は、私の心を揺さぶるには十分な材料であった。進む道は決めたはずなのに、もう、迷わないと決めたはずなのに。それを揺るがすのは良心か、心の弱さか、それともそもそも覚悟をして決断などしていなかったのか。

手紙のひとつは父から、もうひとつは兄から。催促と制止、相反するそれらからとっくにひとつを選んだはずなのにと、歯を食い縛った。今更進む道を変えるなんてこと、できるはずがないのに。額を抑えていた掌を目元を隠すように少し下げて細く息を吐く。泣ける立場ではないというのに泣きそうな自分がいて、そんな馬鹿な自分にまた泣きそうになる。


「……サク、」


もう、無理だ。遅いよ。

届きはしないと分かっていても。どうか私の為に無茶はしないでくれと、そう心の内で叫ばずにはいられなかった。いつも誰よりも私を理解し、支え、心配してくれた大切な兄。そんな兄の本望に答えられない自分に、また泣きそうになった。



110430(今度はヒロインオンリーとか私極端すぎるやろ…。場面を3つに区切ったので読みづらいかも。この連載でもお兄さんでてくるよ!何気兄さん人気のようなのでね!笑)