誰もいない空き教室に連れ込まれてそこでようやく腕を離された。強く握られていたそこにじわじわと痛みを感じ、赤くなっているに違いないとぼんやりと思う。寒い廊下を歩いている間に随分と頭は冷えたようで、先ほどまで苛立ちと激昂で停止していた思考が鈍く働き始めたような感覚がしていた。


(……馬鹿みたい)


自分が苛立っていたからと言ってエバンスに喧嘩腰で突っ掛かり、その上煽られてらしくもない差別用語も言ってしまった。これでは貴族の優雅さなんて欠片も無い、子供が泣き喚いているのと同じである。先走る感情に理性をコントロールできなくなったなんて馬鹿馬鹿しすぎる、と自嘲気味の笑みを浮かべた。


「頭が冷えたわ。あとでエバンスに謝っておいてもらえるかしら」
「自分で言えよ」
「……、…………貴方も知っているでしょう?貴族には風評というものがつきものなのよ」


もしブラックが言わなくても別にいい。ただ、貴族としてのプライドが先ほどの行為は間違っていたのだと告げていた。ただ感情に任せて差別するような言葉を使うのは、貴族として間違っている。その認識はきちんとあったので不思議と心は落ち着いていた。ただ落ち着いているというよりは、先ほど高まりすぎて脱力していると言ったほうが正しいのかもしれないのだが。私はブラックがわざわざ私をここまで連れてきた意味が分からずそのままぼうっとすぐそばの机の落書きを眺めていると、ブラックは急に「俺、」と唐突に話し始めた。


「夏になったら、家を出ることにした」
「……は?」
「夏休みはジェームズの家に世話になると思う」
「……レギュラスを置いていくってこと?」
「置いていく?……はっ、むしろみんな俺がいなくなって清々するだろ。ようやくブラック家の家系図から抹消する理由ができた、ってな」
「勘当、される気?」
「当たり前だろ。あんな家にはもう帰りたくねぇよ。……跡取りにはレギュラスがいる。嬉しいだろ?。未来のブラック夫人はお前だ」


そう言って、ブラックはこちらを振り向いて薄く笑みを浮かべる。いつも喧嘩ばかりしていたため彼のそんな表情を見るのは久しぶりだった。幼い頃の記憶とブラックの今の笑みが重なり、ぐっと拳を握る。嬉しいわよ、そりゃ嬉しいわよ。でも。


「……貴方は、また、自分だけ楽な道を選ぶの?!そりゃ、そりゃ嬉しいわよ!ブラック夫人の座だなんて、家の切望だもの!でも、そうやってレギュラスに全部押し付けてブラックは逃げるのね?!レギュラスの気持ちなんて、ちっとも知らないくせに!」
「はぁ?分かってないのはのほうだろ」
「なんですって?!レギュラスはいつもブラックに振り回されてきたわ!家のことも学校のことも、そして私のことも!貴方がいつも気ままな行動ばかりするから、そのしわ寄せが全てレギュラスに来ているのよ!」
「……、やっぱりお前は分かってねぇよ。お前はレギュラスを見ていないんだからな」
「どういうこと?!見ているわよ、貴方よりは確実にね!」
「いや、見ていない。気付いてないか?」


気付いてないって、何に。そう言い返そうとするがその前にブラックが「俺もあんまり言いたくはねぇんだけど、」と気まずそうに先を続けた。


「だからさ、はいつも俺を通してレギュラスを見ているんだよ。……お前はレギュラス・ブラックを見ていない。お前が見ているのはいつだって“シリウス・ブラックの弟”でしかないんだからな」


そう、それは例えるならば、雷が頭のてっぺんに落ちてきたような感覚だった。