
いつもの時間にいつもの東屋へやって来るや否や、ふう、と疲れた様子で息を吐いた光夜に苦笑を漏らしながら彼のためのお茶の準備をする。大分疲労感がある表情に覇気はないものの相変わらず麗しい顔立ちは哀愁を帯びているようでいつもとは異なる色があった。甘いものを、と思い盆に盛った杏の焼き菓子を光夜の前に差し出すと、光夜はそれに条件反射のように手を伸ばして口に入れる。疲れているときにはやはり甘いものとお茶、すなわち休息が特効薬だよなぁと思いながら熱いお茶をゆっくりと喉に流した。
「酷く疲れている様子だね」
「……も感じただろ?高官たちはぴりぴりしてるわ仕事の量はいつもより多いわ、いつも以上に人使い荒いし効率悪いし……なのになにがあったのかは誰に聞いても教えてくれないときた」
「いらいらするのも分かるけどさ。11歳らしからぬ表情するもんじゃないよ。落ち着きなって」
「同い年のお前に言われたくないわ!……なにか知ってるのか?」
「んー、今日になってから突然だったから……まぁおよそ、なにがあったのか見当つくぐらいにはね。間者の娘なめちゃいかんよ」
抜きん出る明晰な頭脳を持っている光夜は今では十歳ほど年上の青年たちと共に学問所で学びながら高官の仕事の補佐をしていた。それに比べて私は図書室で雑務をしたり行くあてもなくただ王宮内を歩いて回ったり光夜と同じように高官の補佐をしたりと端から見たら意味不明な行動をしているが、実はそれらを通して監察を行ったり他国の間者をあぶり出したりと隠密的な仕事をしている。親が兼役職として間者をしていたこともあり、気付けばそれが自分の道となっていたのであった。無論まだまだ一人前には程遠いので本格的な仕事はしたことがないが人間観察程度なら日常茶飯事である。それゆえ情報も手に入りやすく、実際毎日高官のすぐそばで仕事をしている光夜よりも私の入手している情報のほうが速くて尚且つ正確であった。
教えろ、という目線を送ってくる割に急かさないのはようやく光夜らしく落ち着きを取り戻したからか。杏の焼き菓子の甘味をほんのりと苦いお茶で流すと、小さく息を吐いて答えた。
「詳しくは分からないけど、朱根との間でなにかあった……いや、これからなにか起こるんだろうね」
「……戦、か?」
「たぶんそんなところ。将軍や宰相は準備や戦略練るのに忙しいのか今日は見かけてないし。高官はともかく私たちはまだ子供だし下っ端だし、細かく決まってないから教えてくれないんでしょ。心配しなくても今夜にでもきっと光夜も呼ばれるよ、その頭を貸してほしいってね」
「だろうな。どうせも呼ばれるだろ?」
さも当然だというように頷いた光夜に小さく笑みを浮かべながら「んー……」と返答の言葉を濁した。光夜はその明晰な頭脳から未来の宰相とまで言われており、ゆえにこのように戦に参加することも多い。経験だけは実際に体験して積み重ねていかないと力にはならず、そしてそれはきっと黒嶺の未来にとって必ず彼の糧へとなるものなのだ。しかしそのように将来を大いに期待されている光夜とは異なり、私にはまだそれほどの力がない。無論、このように王宮で活動しているので同年代の人々よりかはいくらか頭が回るし間者としての素質も認められてはいる。けれどそれは光夜ほど抜きん出ているものではなく、それゆえ今回の戦に参加するかどうかは怪しい。光夜を羨み、自分と比較して落胆する。今まで何度も味わってきたそれに今回も浸ってから、その思いを隠すように苦笑を浮かべた。自分と相手を比べず、自分にないものには素直に感銘を示す純粋な心を持っている光夜が少し羨ましい、などとは口が裂けても言えないが。
「どうだろ、正面きっての戦なら裏でコソコソ動く必要ないし、あったとしても私はまだ未熟者だから。もしかしたら今回は残留組かもね、みんな戦で出ていったら雑務なんて山ほどあるし。もし参加するとしても、光夜とは別行動じゃないかな」
「そうか。じゃあしばらくはこんなにゆっくりお茶なんて出来ないな」
「かもしれないね。……これ、結構好きな時間なのにな、私にとっては」
「俺もとお茶してるのは好きだがな、まぁこればっかりは仕方ない。忙しくなればなるほどそれだけ認められてるってことだ」
「あんまり力入れ過ぎちゃだめだよ。光夜は程良い休息っていうのを知らなさ過ぎるんだから」
「……その辺お前は上手いよな」
「光夜が下手過ぎるんだってば」
空の様子を見てそのような軽口を叩き合いながら光夜と一緒にお茶の片づけを始める。いつもより早めに切り上げたのは先程自分が口にしたことに自信があるからだ。伏せられていた盆に茶器と余った焼き菓子を載せて台を拭くと、丁度通り掛かった侍女の南澄さんに後を任せる。南澄さんはいつも私と光夜のお茶の準備を手伝ってくれる顔なじみの侍女だ。彼女曰くまだ子供である私と光夜になんらかの世話を焼きたいらしいので、こうして休息時のお茶の準備と後片付けを頼んでいる。一人前の官吏でも間者でもない自分たちが侍女を使うなんて申し訳ないと思いつつ、毎日お茶はともかく菓子などの甘いものまでもを欠かせることなく用意してくれる南澄さんのご好意に甘えていた。
最後に明日からは忙しくなりそうなのでお茶の準備はいらない旨を南澄さんに告げてから、光夜と一緒に東屋から離れて途中まで同じ廊下を2人でゆっくりと進んだ。こうして光夜とのんびりできるのもしばらくは無しか、と思い名残惜し気に息を吐く。しばらくないだけならまだいい、もうすることが出来ないなんてことにならなければ、それで。そこまで考えて、小さく頭を振った。今に始まったことではないが、その可能性を考えている自分が弱くて虚しくて、悔しくて許せない。私はあと何度、これを繰り返せばいいのだろうか。
「……こわいね」
「は?なにがだ」
「なーんでもない、よ。……じゃあね」
光夜と別れる地点に来たので素知らぬふりをしながらくるりと踵を返した。仕事に戻れば激務が私を待っている。そんなことを考えながら数歩進んだところで「!」と背中から光夜に呼び止められた。振り向くと、私と光夜の間にはいくらかの距離が出来ていたにもかかわらず光夜と目線がばっちりと合う。
「一段落したら、またお茶しような。俺、お前のいれたお茶、好きだから」
光夜はそれだけ言うと私とは別方向の廊下を進んで行ってしまう。言い逃げだなとどうでもいいことを思いながら前を向き、ふぅと息を吐いてから再び廊下を進んだ。その吐息は疲労が滲んでいるなんてものではなく、むしろ嬉しさが溢れていたことには自分でも気付いている。不思議と先程よりも心は軽かった。さて、残りのお仕事がんばろうっと。
滲むやさしさ
110102(新境地に足を踏み入れてみたら思いの外楽しかった件について。笑 少年時代の光夜夢はゆるゆるほのぼので甘酸っぱさと微糖を併せ持っているのだと思った。…青年時代と変わらない?← この時期の光夜は子供らしく自分の思うととか素直に口に出したりしてるといい。今回は同い年設定で、このあと原作でいう8年前に黒嶺が朱根を併合直前まで追い込んだ戦まで発展していく、そんな時期です。ちなに侍女の南澄(なすみ)さんは光夜とヒロインがはやく恋仲にならないかなーとか思いながら毎日お茶の準備をしている。素材はhemitonium.さんから。)
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