じゃあ行ってくるね、といつものようには笑った。 王宮を離れるときにはいつも顔を出してくれるのでいつものことだと思い、 失敗したらただじゃおかねえぞと半ば脅すように言ってやるとそんなことわたしがするわけないよ、と余裕満々の声が返ってきた。 仕事をしながらのお喋りだったのでの顔などろくに見ていないが、これもいつものことなのでもきっと気にならなかったと思う。いつものだったし、いつもの俺だった。 だからこそ、なんであの日“特別”にしてやらなかったのかと、こんなにも今になって後悔の念が押し寄せてくる。 絶対に死ぬだろうという仕事ではなかった。 けれど必ず生きて戻って来られるという仕事でもなかった。 生死の行方は半々、というよりかは生きていられる確率のほうが高かったと俺は思っている。 も伊達に間者を数年やっているわけではない、武術も頭脳も若さにしては申し分ない器量の持ち主だ。 だからこそ、危険度の高いこの仕事を任されたのだろうが。 でも、どこか他人事のように思っていたのかもしれない。 生死の行方は半々、なんてが王宮を出る少し前に言われたけれど、 お前なら死んでもまた生き返るだろうとかそんなことを言うとひどいね、とは苦笑した。 が死ぬ、ということが想像できなかった。 生きて戻ってくると当り前のように思っていて、だからいつものように上の空で送りだした。 なんてことはない仕事の失敗。 紫洞に間者として出向いて、黒嶺が手に入れていた情報を元に王宮に忍び込んで活動していたら紫洞の誰かに殺された。 前例は今までにたくさんあるから、特に奇異な死でもない。 その情報を聞いてからはあれほど荒れ狂っていた心境が、実際にの死体を目前にすると自分でも驚くぐらい落ち着いていた。 あるはずないと思っていたの死。けれど現実にそれを突き付けられるともうそれを信じるしか手はなかった。 未来の宰相と呼ばれる故かもしれないが、驚くぐらいすんなりとの死を受け入れられた。 いや、受け入れてはいないのかもしれないが、理解はできた。 ああ、は死んだんだ。 若くて優秀、それに珍しく女性の間者として名高かったの死は瞬く間に黒嶺の王宮内に広まった。 嘘ではないので否定することはできず、すでに死去しているの両親は現黒嶺王と従弟関係にあるということで、 しばらくしてから王宮内でひっそりとの葬式は行われた。 葬式に参加したのはごく少数で、黒嶺王と王太子である芦琉、あと六騎将と宰相と俺、ぐらいである。 弔いを望む貴族たちは葬式のあとに墓にわざわざ足を運んだと聞いた。 このようなことからもどれだけが慕われていたかうかがえる。 「大丈夫か、光夜」 「――槐斗」 ぼうっと東屋の椅子に座って視線を彷徨わせていると、槐斗がやって来て俺の隣に腰を下ろした。 長い付き合いなので俺が槐斗の思っていることを分かるように、槐斗も俺の思っていることを分かっているのだろう。 そんなことを考えながら、頬杖をついて随分前に淹れてもう冷めてしまったお茶を見た。 水面に羨ましいほど輝いている星空が鏡のようにそのまま映っているが、風でゆらゆらと水面が揺れるたびに崩れていく。 かつ、と指で茶器をはじいた。俺らしくないと、分かってはいるのだが。 「お前のことだから、のことは受け止めているんだろうけどな……いや、 受け止めてはないし認めてもない、ただ理解している、といったところかもしれないが。 しかし、それでもお前は感情がないほど冷たい人間でもないだろう?」 「……な、にが、言いたいんだ?」 槐斗の言葉が頭の中でこだまして、脳という小さな部屋でその言葉がぽんぽん跳ねているような感覚だった。 吃驚するほど槐斗の言葉はすんなりと心に入ってきて、的確に俺の心をとらえている槐斗に舌を巻く。 しかし最終的に槐斗がなにを言いたいのかが理解できず、 きょとんとしたように槐斗に尋ねると槐斗は小さく微笑んでから諭すように静かに言った。 「まだ、泣いていないだろ?光夜」 泣いたら、の死を受け入れたことになってしまいそうで、 がもうこの世にはいなくて、もう一生会えないということを受け止めなくてはいけないような気がして。 泣きたかったというわけではないが、泣けなかったのは事実だ。 今まで頑張ってきたものがガラガラと崩れていきそうで、果てには足の踏み場もなくて絶望的な立場に陥ってしまうのではないかと不安で。 「いままで……俺を支えてきてくれたの、は、……だったんだ……」 「――知ってる。俺も知ってるし、芦琉も、瀬里だって知ってる。 だから、」 の死を、受け入れろ。そう動いた槐斗の口が恨めしくて憎くて、でも同時に羨ましくて安心した。 今までが支えてきてくれたことに気付かなかったわけじゃない。 でも意地と誇りと立場が認めさせようとはしなかった。 今更後悔しても、遅いけれど。 東屋からふと空を見上げると、空一面に星が散らばっていた。 ひとはみんな死んだら星になる、というのは小さいころのおとぎ話だ。 でもそれが、本当だとしたら。もしこの空の中に、の命の星があるのなら。 稀世はいま、なにを思って、俺を見ているのだろうか。 「……、っ……」 そう思いながらじわりと世界が滲む。 が好きだと、遅いと分かっていても漠然と思った。 今になってから、がこんなにも愛おしい。 090924(死ネタ……とか、ありなのだろうか。 たぶん光夜はなかなか立ち直れないでずるずるといくんじゃないかな、と) |