samsara 人通りの少ないひっそりとした廊下の奥に、これまたひっそりと建っている東屋はあまり人が近付かない。 だからこそここの東屋が気に入ってるのだが、とどうでもいいことを考えながら廊下の反対側に広がる池を眺めた。 先程までは瀬里と一緒に杏の焼き菓子をつまみながらお茶をしていたのだが、 瀬里はなにらやらこれから用事があるようでどこかに行ってしまったのだ。 ひとりじゃつまんないな、と冷めかけたお茶を飲み干すと、丁度そのときパタパタと遠くのほうから足音が聞こえる。 それはあきらかにこっちに向かってきており、誰だろうかと適当に予想を立てているとその足音の人物が角から現れた。 適当にひとつに結っただけの藍の髪は、走ってきたからかすごく乱れている。 まるで泣いていたかのように目元を赤らめて一直線にこっちに走ってきたのは、だった。 「れ、澪良ぁぁ……!」 「えっ?!ちょ、どうしたのあんた!」 すぐそばまで来てから立ち止まったは、肩で荒い息を整えながらやけっぱちに名前を呼んだ。 うつむいた顔からはぽたぽたと涙が落ちており、なにがあったのかとぎょっとする。 なにがあったの、と聞いても首を横に振ってなにもない、と嗚咽混じりに返してくるだけだった。 光夜にいじめられたのか、芦琉に怒られたのかも聞いてみたが、それには強く首を振られる。 どうやら何もないようで、しかしそれなら今が泣いている理由が見当たらない。 どうしようかと眉を寄せていると、ふとあることが脳裏を横切った。 まだ14のは一人前の大人のようだがそれはそう見えるだけであって、まだまだ子供だ。 いつも冷静で光夜や槐斗と一緒に行動してて記憶力や暗記力も半端ないが、決してあたしたちと同年齢ではない。 彼女の小さな器ではそれらの許容範囲をすぐに超えてしまうため、 たまに爆発することがある、と光夜が随分と前に零していたのを思い出した。 これがそういうことかとひとりでに納得すると、とりあえず落ち着かせるために横に座らせて背中を撫でる。 そのうちの嗚咽に交じって、澪良、ごめん、と申し訳なさそうな言葉が聞こえてきた。 気にしなくていいよ、と言葉を返すと更にぽろぽろと涙を流すに、 とりあえず気の済むまで泣かせてやるかとぽんぽんと背中を優しく叩く。 擦ると目が腫れるからか、目元を擦らずにただ涙を流すだけのはいつもの強気で怜悧なとは違い、弱々しく儚く見えた。 そのうち泣き疲れて寝るだろうと適当に検討をつけて、しばらくその動作を繰り返す。 すると案の定、少しずつ小さくなっていった嗚咽がいつの間にか聞こえなくなって、そのうち小さな寝息が聞こえてきた。 「……さて、どうするかなぁ」 泣きやんで眠ってくれたのはいいが、このままをここに寝かしておいたら絶対に風邪をひくだろうし、 もしそんなことになったら光夜にこっぴどく叱られる。 やっぱりどこかに移動してあげるべきかと立ち上がり、 おんぶかだっこか抱えるかどれにしようかとしばらく悩んでから、結局おんぶすることにしてを背中におぶった。 予想以上に軽いに吃驚しつつ、仕事ばっかりしてないでちゃんと食べているのだろうかとの食生活の心配をすると、 上司兼保護者のような光夜の執務室へと向かった。光夜のことだ、もう夜になるがまだ仕事中だろう。 「あー……悪いな、澪良」 扉を叩いてしばらくすると光夜が小さく扉を開けて姿を現し、 そして背中で小さな寝息をたてているを見つけると、なんとも言えない表情をしてそうぽつりと零した。 どういう意味の悪い、かは分からなかったがとりあえず促されて光夜の執務室に足を踏み入れる。 そして執務室の中の長椅子にゆっくりとを下ろして寝かせると、光夜がどこからか持ってきた毛布をにかぶせた。 「……悪い。をなだめるの、大変だったろ?」 「まぁ、時間はかかったけど……」 「いつもなら俺が見てやるんだが、最近ちょっと忙しくてな……たぶん俺に気を遣ったんだろ」 そう言う光夜は上司ではない表情をしていた。 まるで妹を見るかのような優しい目に一種の異なる感情が混じっているのを感じたような気がするが、 あながち気のせいではなかったり、と心の中でそう思う。 「……あんな、初めて見たよ」 ぽつりとそう零すと、光夜は苦笑してそうだろうな、と小さく呟いた。 きっとこういうことはあたしが知らないだけで今まで何回もあったのだろう。 そしてその度に光夜が落ち着かせて、発散させていた。 なにかは分からないが、あるものにが押しつぶされないようにするために。 そのために、はこうやって誰かに頼り、発散させる。 そうしなくては、がではなくなってしまうかもしれないから。 「こいつは芦琉や槐斗や俺と一緒に行動して、同じように考えて、行動する。 こいつの身体が持たないわけない。たまにこうやって吐きださせてやらないと、そのうちこいつが壊れちまう」 「……芦琉や槐斗、には?」 「あいつらには言ってない。たぶん、感づいてるとは思うけど。 は芦琉と槐斗には見せたくないだろうからな、こんな弱い姿」 「あたしと光夜がいいのはなんで?」 「芦琉と槐斗とは同等で在りたいけれど、澪良とはそういうことじゃないってことだ。 俺は既にこいつの上司で、同等で在ることは無理だから、だ」 分かったようなよく分からないような光夜の言葉に曖昧に返事を返してから、そろそろ戻るね、と扉のほうへと向かった。 光夜からを運んでくれたことへのお礼の言葉が聞こえて、どういたしまして、と適当に返しておく。 部屋を出る前にふと光夜を見ると、への視線が先程とは明らかに違うものになっていて、ああやっぱり、と小さく息を吐いた。 光夜、と名前を呼んでから、確認するような零れたような言葉を告げる。 「あんたのこと、好きなんだね」 どうだかな、という言葉がしばらくしてから返って来た。 嘘ばっかり、と心の中でひっそりと思い、吐息をつく。 2人っきりにしてあげるけど、の寝込み襲ったりしたら容赦しないから、と半分冗談で言うと、 すぐにだれがするか、と小声ながら焦ったような声が聞こえて、喉の奥で小さく笑った。 そしてそのまま廊下に出て、扉を閉める。 歩きながら、光夜から想われてる稀世をちょっと羨ましいと思いつつ、 頑張れ光夜、あの稀世を振り向かせるのはなかなか難しいに違いない、と小さく苦笑した。 090928(澪良→光夜→ヒロインみたいな。でも澪良はきっと光夜のこと応援する良いひとなんだろうな。 samsara(仏語)→「輪廻」という意味です) |