「失礼します、光夜です」

「あぁ、光夜、久しぶりだな。貴重な時間をすまない」

「それはこちらの台詞ですよ、柳椰さんもお元気そうでなによりです」


長年朱根に留まっていた柳椰さんが黒嶺に戻ってきていることを聞いたのはつい先程で、彼が自分を呼んでいると黒嶺王から聞かされて慌てて指定された小部屋に来たところだった。息は切れてはいないものの急いで来たことは隠せず、まぁ座れと柳椰さんに椅子を勧められて指された椅子に素直に腰を下ろす。

久しぶりに見る柳椰さんは数年前に見たときと少しも変わらず、墨色の髪や瞳も人当たりの良い表情もあっけらかんとした態度も自分の記憶と寸分狂わなかった。しかしそんな柳椰さんが醸し出す雰囲気は誰にも真似できない独特のものであり、やたらとひきつけられるそれにやはり王族の血を引いてることを感じないわけにはいかない。実際柳椰さんは現在の黒嶺王とは従兄弟関係にあり、自分とも確かな血の繋がりがある。そんな人物であるにもかかわらず最近まで朱根に潜伏して間者を務めていた彼の事情を詳しくは知らないが、少し前に奥方が亡くなったと風の噂できいたのでそのせいだろうかと思った。


「何年ぶりだ?3年……も、経ってないよな」

「2年半ほどでしょうか。その節はお世話になりました」

「いや、こちらこそ。ったく、さすが眞琳さまの子息だよ。態度は一端の大人顔負けだな」


お蔭さまで、と苦笑しながら返すと変わってないなぁと柳椰さんは声をあげて笑った。生意気を言っているわけではない、それが事実なのだとお互いに分かっているからである。ひとしきりそんな挨拶を済ましたところで柳椰さんは組んでいた脚を正すと背筋を伸ばして本題なんだが、と話を切り出した。自然と自分も身体のたたずまいを正して真面目に話を聞く体制になる。柳椰さんがまだ子供である自分に何を言ってくるのか全く見当がつかず、掌を握ると不安と焦りで汗がこもった。緊張している、と感じる。


「単刀直入に言う。数年前に紹介した俺の娘、覚えてるか?」

「え、と、……どの、ですか?」

「あぁ、覚えていてくれたなら話は早いな。ついでにあいつのことはでいい。……実は、戻ってきた早々仕事の都合で黒嶺を離れることになってな。期間はおそらく半年から1年……その間、稀世をお前の傍に置いてやってほしいんだが」

「……はい?!」


済まなさそうに、けれどあっさりと重大なことを告げた柳椰さんの言葉に耳を疑った。彼女とは5年前に朱根で会ったきりでそのときの彼女はまだほんの5歳であったと記憶している。朱根の王宮の中心から離れた東屋で柳椰さんにひっついていた彼女を紹介されたときのことははっきりと覚えていた。緩くうねった淡い薄茶の髪が印象に残る幼い少女の頭に手を置きながら、柳椰さんは「将来、黒嶺に戻ったらこいつは光夜の右腕になるだろうな」と笑って告げたのを当時はただの冗談かと思っていたのだが。


「の知能は俺が保障する。お前に劣らないほど頭が回るぞ、あいつは。私生活まで面倒見ろとは言わないが、王宮でこきつかってやってくれ」

「え、えぇ……?!」

「あぁ、ついでに言えば眞琳さまや黒嶺王からは承諾済みだ。ついでに宰相にも通達はしてある」

「ね、根回しいいですね」

「まぁ……ちょっと訳ありで。迷惑を掛けると思うが光夜が一番適任だと思う、もともと黒嶺では光夜に仕えさせるつもりだったしな。……頼めるか?」


もともと断るほどの理由などなく否と言えるような雰囲気でもなかったので、躊躇しつつも小さく肯定の返事をした。すると柳椰さんはほっとした表情を見せたがそれはどういう意味なのか。確か彼女は芦琉と同い年、その年齢の面倒を見るのは芦琉で慣れているのでそこに関しての不満はなかった。なんだかんだで年下の面倒を見るのは嫌いではないし世話焼きな性格もあってか子守りは得意なほうである。なので面倒を見きれるかどうかという不安はなかった。それに関しては自信がある。ただ不安なのは、自信がないのは、自分が例の彼女に懐かれるかどうか、信頼を持てるかどうかということだった。芦琉と同い年ということは10歳になったばかりといったところだろう、こちらから構うばかりではなく相手が心を開いてくれるか否かによってこれからの接し方や半年以上の過ごし方が変わってくる。それはいわば、自分の人生をも変えるかもしれないということに繋がるのはなんとなく分かっていた。

先程柳椰さんが言った「もともと黒嶺では光夜に仕えさせるつもりだった」というのはどうやら本気なようで、今回のみならずもしかするとこれから先もずっと共に行動をする可能性だってあるのだ。いや、むしろその可能性は高いだろうと踏んでいる。初めが肝心とは言ったものだが、今回はまさにそれだと思った。自分は彼女についてほとんど何も知らないがそれは彼女だって同じだろう。だがしかしお互いに警戒の心を持ってはいけない、そしてそれは年上の自分から踏み出さなければいけない。はあ、とこれからを思ってこっそりと息を吐いた。そしてふと、先程柳椰さんが告げた言葉を思い出して尋ねてみる。


「……訳ありの内容、聞いてもいいですか」

「あー……実は、な。、朱根では王宮での侍女をしていたんだが、あいつ頭が回りすぎるせいかちょっと……遠巻きにされてたというかなんというか。光夜も経験あるんじゃないか?」

「……まぁ、そのような類のものは、ちょこちょこと」

「そんなわけであいつ、人間不信気味?人付き合いが苦手?そんな感じの精神的な外傷がちょっとあるみたいなんだな」

「……、……年齢の割に面倒な精神をお持ちなようですね」

「あぁ、まったくだ」


希望が崩れたような気がした。これでは初めが肝心どころの話じゃないぞ、と思って嘆息すると柳椰さんも困ったように小さく息を吐いている。これには父親である彼もどうしようもないのか、あるいは父親だからこそ心配なのかはたまた別のことを思っているのかもしれないが。しかしこれほど状況と彼女の状態を把握しておきながら良い方向に進んでいないのはなぜだろう、やはり柳椰さんも凄腕の官吏や間諜といえどひとりの父であることには変わりはないということか。そう思ったところで柳椰さんが再び「実は、」と話を切り出してきた。先程のことで随分と驚いたというのに、まだあるのか。


「近くの部屋にを呼んである。……会うか?」

「……そうですね、柳椰さんから紹介していただいたほうがいいかもしれません」


おそらくそちらのほうがお互いにいらぬ警戒心や疑心を抱くことがないだろう。そう告げると小さく笑んでから柳椰さんは「ついてこい」と言って立ち上がった。それにならって立ち上がり部屋を出ると柳椰さんの半歩後ろを付いて歩く。歩調をゆっくりとしてくれているのだろう、身長差のわりに足を急がせることはなかった。


「どの、いや、は、俺のことを覚えているでしょうか」

「覚えてるさ」

「……即答ですか。なにか根拠でも?」

「……は間違いなく光夜のことを覚えてるよ。黒嶺に移住するかもしれないと告げたとき、朱根から離れること……母親との思い出の地に留まることよりも、あいつは黒嶺という新しい右も左も分からない場所で、おまえ……光夜との生活を、選んだ」

「……も本気なんですか?俺のもとに仕えるということに」

「本気だよ。……あいつはな、近くで見ていたいそうだ」

「なにをです」

「光夜や芦琉殿下……次世代が創りあげてゆく、黒嶺という国の未来を、だ」


思わず足を止めた。それに気づいた柳椰さんが振り返り、俺を見ると小さく苦笑を零してくしゃりと頭を撫でられる。今自分がどんな表情をしているのかなんて分からない。しかし今の柳椰さんが告げた言葉には胸が震えた。重かった。彼女は、稀世は、亡くした母親との思い出よりも、黒嶺を選んだ。過去よりも未来を選んだのだ。強いひとだと、思った。


「……我ながら気丈な娘だ。俺に似て、……前ばかり見て、意地でも後ろを振り返らない。そしてふと振り返ったときには、もう遅いんだ」


なにもかも、そうだった。そう告げた柳椰さんの瞳はなにかを憐れむようであり、それと同時に虚しくも哀しくもあった。それは柳椰さんにとっては奥方を、にとっては母親を亡くした痛みなのだろう。見ていられなくて視線を外すと柳椰さんは少しかがんで俺と目線を合わせた。子供のような扱いをされることに慣れていないせいか少し緊張するとともに嬉しく感じる。そして先程のせつなそうな瞳とは異なる、やさしい笑みを浮かべながら柳椰さんは言った。


「だからこそ頼む、光夜。どれだけ頭が回るといっても、あいつは母親を亡くした10つの子供に過ぎない。……前ばかり見すぎるからこそ、誰かが後ろを振り返ってやらなくてはいけないんだ」


少し間を置いてから柳椰さんの言葉に小さくうなずく。強いに比べたら自分は弱くて、けれどそんな自分だからこそ彼女の欠点を補ってやれるのだと思った。が前ばかり見ている分、自分が後ろを振り返ればいい。遅すぎないうちに前ばかり向くをなんとかして振り向かせればいい。それが自分に真に任されたことなのだと思った。母親を亡くし父親からも離れて新しい土地で暮らすことになるになによりも必要となるものはそれだったのだ。

よし、と小さく呟くと柳椰さんは俺に声を掛けて再び廊下を進み始める。その足取りは迷いなどなく、まっすぐと前を向いていた。これからのには自分がいるだろう、けれど前ばかり向いていたという柳椰さんを支えていたのは誰だったのだろうかと、ふと思う。そのとき、柳椰さんの足取りが止まった。先程自分たちがいた部屋から4つほど離れた小さな客間。ちらりと窺ってきた柳椰さんにこくりと頷くと、柳椰さんはいつものあっけらかんとした笑みを浮かべて「、ちょっといいか」と部屋の中へと声をかけた。そう経たないうちにパタパタと軽い足音が近づいてくるのが聞こえて、そうっと扉を開く音がする。


「……父さん、どうかした?」

「お前に紹介したいやつがいる。入ってもいいか?」

「いいけど。紹介したいひとって?」


そこで柳椰さんに視線を向けられて一歩踏み出すと、俺に気づいたがはっと小さく息をのんだ。しかし驚いたのは彼女だけではない、自分も彼女を視界に捉えるや否や驚きのあまり足を止めてしまう。その理由はの髪にあった。数年前朱根で見たときには緩くうねった淡い薄茶だったのが、今はまっすぐで柳椰さんと同じ墨色をしている。けれどそれもすぐに解けた。朱根の人々は色素が薄く、柳椰さんのような墨色の髪はあまり見かけない。そのため髪を染め、そしてその染め粉のせいで髪が緩くうねっていたのだろう。自分はひとまず驚きが覚めてほっと一息つくが、はそうもいかないようで驚いたまま微動だにしない。柳椰さんに視線を向けるとよほど自分たちがおもしろかったのか笑いをこらえるように口元を押さえていた。なんという父親だ。


「……柳椰さん」

「あぁ、悪いわるい。……ほら、、しゃんとしな。光夜だ」


たしなめるように柳椰さんの名を呼ぶと、やっと柳椰さんは笑いを引っ込めての頭にぽんと手を置く。それにははっとしたように背筋をのばし、扉に隠れていた身体を一歩進ませて俺の前に出てきた。身長は俺の口のあたりより少し低いくらいで、彼女のまとう空気は柳椰さんのものと似ているように感じる。やはり親子なのだと思った。


「は、初めまして、です」

「こちらこそ。光夜です。これからよろしく頼むな」

「い、いえっ……こちらこそ、よろしくおねがいします」


母親を亡くしたばかりだというにしては落ち込んでいるところなぞ見えないが、ほぼ初対面に近い自分の前では当たり前かとこっそりと息を吐いた。先程柳椰さんが告げたような彼女はまだ見えないが、これから付き合っていくにつれてやがて見えてくるものがあるだろう。これから自分が彼女を支え、また自分が彼女に支えられていくのだ。黒嶺の未来を創るとともに、自分たちの関係も創られていくことだろうと小さく笑みを零す。それを考えるとたのもしい、の一言に尽きると思った。




はじまりのとき



110126(出会いの話。光夜が14でヒロインが10くらいのときにこういうストーリーがあったりしてもいいんじゃないのという妄想から。笑 ほとんど父と光夜でヒロイン最後しかいないじゃないか!とかいう突っ込みどんとこーい。私もなぜだろうかと書きながら思ってました← 瑠璃花ヒロインは支えて、支えられての関係が強いのだと思った。)