「……沙羅さん?」 「あら、!」
名前を呼ぶと、沙羅さんは私の方を振り返って明るい紫色の長髪をなびかせた。その顔は麗しい笑みで満ちており、大輪の向日葵を連想させる彼女は光夜と似ているようで案外似ていない。普段は黒嶺山に駐屯している沙羅さんが王宮に戻ってきているという連絡を受けてはいたものの、廊下で遭遇するとは思ってもいなかった。おかげで大量の書物を抱えているというなんとも間抜けな姿を晒す羽目になったが、それもしかたあるまい。
「また恋文ですか?」 「そうなのよ、やっと那祇の花が咲いてね。ところで光夜を見なかった?」 「光夜でしたら今頃図書室で調べものをしていると思いますよ。私もいまから行くところです」
沙羅さんの手元を見るとやはりそこには文がくくられている二輪の那祇の花がついた枝があり、それを光夜に預けに行くのだろう、一緒に行きますかと私が訪ねると沙羅さんは嬉々とした様子で頷いて私と一緒に図書室に向かって歩き出した。光夜に「また恋文ですか?!」と呆れ半分に怒られることが目に見えるというのに、沙羅さんもなかなかこりない人だなあと思う。恋文を書くのが趣味らしいが、それを届ける光夜はなんとも哀れだ。
確かに恋文というものは年頃の娘としては心くすぐられるものがあるが、いかんせん私は書いたことは勿論、受け取ったこともない。もうすぐ成人する娘だというのにそれはどうなのかと思うこともあるが、こうやって光夜にこきつかわれて王宮中を走り回っていてはそうそう出会いも恋に落ちることもないのは目に見えていた。一度沙羅さんの恋文の中身を見せてもらったことがあるが、見ているこちらが恥ずかしくなるような文面だったことは覚えている。世間一般の男女はあんなものをやり取りしているのかと思うと同時に、自分とはかけ離れている世界なのだと感じていた。
「沙羅さんはどうしてそんなに恋文を書くんですか?」 「えぇ?いやね、そんなの分かりきっていることじゃない」 「いや、分からないから聞いているんですけど」
ぽっと一瞬頬を染める沙羅さんは綺麗というよりも可愛らしいという印象を受けるが、度々いろんな殿方に恋文を書いていることを思い出すとそれも素直には受け取りづらい。彼女のことを恋多き乙女だと思うべきなのかもしれないが、光夜の腹違いの姉弟だということをふまえるとどこか子悪魔的な存在に見えるから不思議だ。
「……まさかとは思うけれど、。貴女、恋文をもらったことないの?」 「ないですよ。どこにいるんですか、そんな相手」 「えっ!……ほら、光夜とか」 「……光夜とは、ただの上司部下ですよ」
よいしょ、と重い書物を抱えなおす。沙羅さんは本当に驚いているようで「嘘でしょ?!」ともう一度聞きなおしてきたが、ここで嘘をつく意味などないでしょうと返事をすると沙羅さんが小さく溜息を零した。あの意気地なし、という言葉が聞こえたような気がするがそれは置いといて。図書室につくと書物で両手がふさがっている私を気遣ってくれたのだろう、沙羅さんは先に入ると扉を支えてくれていた。それに礼を言い、近くにいた司書官に小さく頭を下げると光夜がいるであろう場所に向かう。
「今回はどなた宛てなんですか?」 「ふふ、も野暮ねぇ。南軍の第二小隊の殿方よ」 「……恋文を渡した後のことが、毎回地味に気になっているんですが」 「それは秘密。もいつ分かるわ」 「はあ」
分かりたいような、分かりたくないような。それを感じ取ってか沙羅さんはふふ、と不敵な笑みを浮かべた。こういう表情は光夜と似ているのだからまったく遺伝子というものは恐ろしいと思う。そんな会話を交わしていると、机のあちらこちらに書物や巻物を散らかして集中してなにかを書き留めている光夜を見つけた。私は再び書物を抱えなおしてから「光夜、」と短く声をかける。光夜は私の声に振り向き、そしてそこに私だけでなく沙羅さんもいるのを見ると口元を引きつらせた。
「姉上、帰っておられたのですか」 「報告はいっているはずよ?」 「ええ確かに聞いてはいましたけど。……、それはそっちに置いといてくれ。それとあそこに置いてある巻物、片付けてくれるか」 「はいはい」
私は抱えていた書物を光夜が使っている机の隅に置くと、示された方向に散らばっている巻物を腕に収めた。とりあえず抱えられるだけ抱えると、図書室の中をぐるりと回って分野ごとにもとあった場所に戻していく。こういった雑用は度々頼まれるので今ではどこにどんな分野があるのかは大体分かっていた。
まったく光夜も人遣いが荒いのだから、と思いながら光夜たちがいる場所へ戻ると、そこには図書室ということを慮ってか2人は小声でなにかを言い合っているようで。私は2人の会話を小耳に挟みながら光夜が散らかした机の上を整頓し始めた。
「ですからっ、俺はそういう気はないと何度言ったら分かるんです!」 「そんなの嘘に決まっているでしょう!見ていれば分かるわ!」 「そ、そもそも!今更そんなことできるはずないでしょう!意味もありません!」 「意味はあるわ!……ほら、!」 「はい?」 「だって光夜から恋文もらったら嬉しいでしょう?!」 「は……はぁっ?!」 「姉上!!」
私の驚きの声と光夜の焦るような声が重なり、大きかったそれは十分に図書室に響いた。私と光夜は同時に口元を押さえ、そしてそれを見て沙羅さんはにやりと意地の悪い笑みを浮かべると「それじゃあね〜」と陽気に告げてすたこらさっさと逃げるように図書室を出て行く。姉上、と光夜が小声で呼び止めるものの沙羅さんは聞こえていないかのようにさっさと扉を閉めてしまった。沈黙が2人の間に落ちる。恥ずかしくて光夜の方など見れるはずがなかった。
「……え、えっと、あの、私、宰相から書翰受け取ってきます!」 「あ、あぁ、頼む」
ぎこちない会話を少しだけ交わしてから、私は逃げるように図書室を後にする。一瞬見えた光夜の表情は少し赤くて、動揺しているのがありありと分かった。そんな光夜は珍しく、まったくもう沙羅さんはなんてことを言い逃げしてくれたんだと、そう思いながらもそのおせっかいをどこか嬉しく思っている自分がいる。
早足で廊下を進み、そのまま宰相の執務室へと向かう。先ほど書翰を受け取りに来て欲しいと宰相から伝言があったのは真実で、今はそういう気分ではないというのに光夜にもああ言った手前向かわないというわけにはいかなかった。火照る頬を冷えた両掌で押さえてなんとか熱を逃がそうとするが、なかなかそうもいかないようで。案の定、宰相から書翰を受け取るときもにやにやとした笑みとともに「なにかありましたな?」と告げられ、心だけはまだまだ若い宰相から逃げるようにしてその場を辞してきた。
もっとも、光夜にまだ顔を合わせられる状態ではないので結局王宮中をぶらぶらとうろつく羽目になってしまったのだが、光夜も同じような状況であるということにこのときの私はまだ気付いていなかった。王女と瀬里さんが沙羅さんの恋文を手にしているのを見るまで、あと数刻。
ひらり、舞うのは那祇の花
110806(短編の「恋文」直前のお話。つくづく、瑠璃花では恥ずかしくなる話が多いなあと(笑) )
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