オレンジの小箱ひとつと、赤いリボンが結ばれた透明な袋ふたつを目の前にして、私は椅子に座りながら迷っていた。明日はバレンタインデー、すなわちこの小箱と袋はそのために用意したものなのだが、今更になってなぜ二種類を用意してしまったのかと激しく後悔している。ひとつは腐れ縁の笠松に、ひとつは笠松と仲が良くて同じクラスの小堀に、そして最後のひとつは同じく笠松と仲がよくて笠松と同じクラスの森山に。これらを買いに行ったときは、ただ単に普段お世話になっているし付き合いも長いからと笠松には少し値段が張る小箱を、それほどではない森山と小堀には手軽な袋を軽い気持ちで選んだのだが、前日になったいま大変重要な問題が発生していた。これ、3人にどう渡せばいいんだ。

小堀に渡すのは、同じクラスであるしまぁいつでもいい。だが、問題は笠松と森山にどう渡すかであった。2人のいる教室まで行って2人に同時に渡すのならば、このふたつの形状が異なる包装に気付かれてしまうだろう。森山は私と笠松が腐れ縁だということを知っているはずでありそう深い意味はないのだと察してはくれるだろうが、やはりそれは気恥ずかしいような気がした。しかしだからと言って小堀に小箱を、笠松には袋をという気にもなれない。

「…あー、もう!」

どうしたものかと小箱と袋を睨み続けるが、やけくそになってベッドにダイブする。本当になんで二種類買ってしまったんだと思いつつ、それに満足していた私はベッドに寝転がりながら机の上のチョコレートたちを見遣った。


***


寒い。何よりも寒い。朝早くの空気は透き通っていて清々しいが、その反面痛い程の冷たさが肌を刺す。掌にはぁっと息を吐き出して擦り合わせるがそれは気休めにしかならず、冷ややかな空気にすぐさま体温を奪われた。マフラーに顔を埋めながら右手を持ち上げて腕時計を見ようとしたそのとき、「…?」と私の苗字を呼ぶ声が聞こえる。慌ててそちらの方を振り返ると、そこにはずっと待ち伏せしていた人物、笠松がいた。

「お、遅い!寒い!」
「はぁ?!こんな朝早くに外に立ってたら、そりゃ寒いだろ!…俺になんか用か?」
「用があるから待ち伏せしてたの」
「普通に家に訪ねて来ればいいだろ」
「…」

うろうろと笠松から視線を逸らしながら、それはちょっと野暮だろう、と口には出さないが心の中で呟く。笠松家に行きたくないわけではないのだ、だが、笠松家を訪ねたらかなりの高確率でおばさんが出迎えてくれるだろう。しかしそこで私が、私が幼い頃から付き合いがあるおばさんに「幸男くん呼んでください」と言うのは、やはり気恥ずかしかった。今日が何日かということを考えれば用件は見当がつくであろうし、おばさんに何かを詮索されてはたまったものではない。しかしそれよりも怖いのは、この一連の流れが笠松のおばさんから私の母親に話されてしまうことであった。もしもの域を越えないが、そんなことになったら最悪だ。羞恥でもう生きていけない。

まったくこの男はそんなことを察することさえできないのかと心の中で笠松を批難しながら横目で見遣ると、笠松は急に黙った私に怪訝な瞳を向けていた。この分だとこの男は今日が何日であるかも気付いていないに違いない。笠松の頭の中にはバスケのことしかないということは前々から知ってはいたが、こう、もっと、期待するような感情があってもいいんじゃないかと思う。あぁはいはい知ってますよ、私はその程度の腐れ縁ですからね。別にいいけど。

そう心の中でぶつくさ言いながら鞄からオレンジの小箱を取り出して「はい」と笠松に差し出す。笠松は数拍経ってからこれまでの動作の意味を理解したのか、「あぁ…」と納得したように声を漏らしながらそれを受け取った。

「…どうも」
「…いーえ」
「…」
「…」

しまった笠松には朝に待ち伏せして渡してしまおうという計画は上手くいったがその後のことを考えてなかった。小学校の頃は2人一緒に並んで仲良く登下校もした仲であるが、お互い中学に上がってからはやはり周囲の目というものを気にするようになり、バスケの朝練がある笠松は先に行って私が遅れて登校するという形が出来上がっていたのだ。それは同じ高校に進学してからも変わることはなく、下校はたまに一緒にすることもあるが、一緒に登校なんて小学校以来していない。今更一緒に登校することに抵抗はないけれど、やはりそう切り出すには私には大それた勇気が必要であった。お互い無言のまま数秒が過ぎ、笠松も居心地が悪そうに視線を彼の腕時計へと移す。そして小さく窺うように私へと視線を遣り、「、」と再び私の苗字を呼んだ。

「…俺、電車の時間あるし、もう行くけど。は?」
「い、行く」

凍結したアスファルトを見つめながら返したたったひとことに、それだけ私の勇気が必要だったかなんて笠松は考えもしないんだろうな、と思いながら歩き出した笠松の隣に並ぶようにして私も駅へと進む。去年も、一昨年も、その前の年も、なんだかんだでチョコレートをあげることは変わってない。けれど一緒に朝の道を歩くという、これまでになかった出来事に、今年のバレンタインデーは特別なものになりそうだと鞄の中の小袋ふたつを思った。

しかしこの小袋をどうやって残りの2人に渡そうか、朝の電車中はそんなことで頭がいっぱいであった。







130219(大幅遅刻しかも中途半端にハッピー・バレンタイン!素材はもずねこさんより。)