![]() 「、ちょっと」 「…なんですか?」 部員達が練習しているのを眺めながらデータ採取をしていると、キャプテンである笠松先輩に名前を呼ばれた。私よりひとつ年上の笠松先輩は女子が苦手であり、それはこれまでの2年間で痛いほど分かっていたので近すぎず遠すぎずな距離を保ったまま笠松先輩の近くに寄る。本当はもっと近くにいきたいけれど、これがキャプテンとマネージャーという距離なのだと考えると、私がバスケ部に所属している限りそれは不可能なのであった。他の女子よりは笠松先輩に苦手意識を抱かせずに話すことが出来る、それで十分と言えば十分なのだが、もっとたくさんの特別を欲しがってしまうのは彼に恋心を抱く女としては致し方ないことだろう。 そんなことを考える自分に溜息をつき、なんでこんな人を好きになってしまったのだろうかと自分で思う。バスケ部キャプテンというだけで“かっこいい”のレッテルが貼られるのは勿論のこと、それに加えて頭もよければ性格もいい。女子が苦手ではあるが、そんな初なところも人気である要素のひとつだということにこの男は気付いているのだろうか。今年に入って黄瀬涼太が海常バスケ部に来たので隠れつつあるものの、実はモテてるんだぞ。そう思いこっそりと肩を落とすと、そんな私に気付いたらしい笠松先輩が私に「、どうかしたか?」と尋ねてくる。 「いーえ、なんでも」 「顔はなんかあるって言ってるぞ」 「…」 ピシッと固まった私に笠松先輩の視線が上から突き刺さるのを感じ、大丈夫ですよ、と言いながらとりあえず逃げるように曖昧な笑みを浮かべておく。こういうところだけ鋭いというかなんというか、伊達にこの部員数の多い海常のキャプテンやってないなぁと思わざるを得ないものがそこにはあった。しかし先程考えていたことはバスケ部に関係がない思いっきり私事のことである。言えたものではないと思いつつ、部活中にそんなことを考えていた自分を反省した。 「なんかあったら言えよ」 「はは…」 「他のヤツにでもいいから」 「…はーい」 笠松先輩は、優しいから。部員でもない、ただのマネージャーである私にもこのような言葉をかけてくれるのだから、本当にすごい人だなぁと思う。だが中途半端に開いている私と笠松先輩の距離を忘れてはいけないのだと苦笑を漏らした。キャプテンとマネージャーということでなんだかんだ話す機会も多くここまで話せるようになり、それを嬉しいと思う反面、私は彼の中で“バスケ部マネージャー”でしかないのだろうなぁと思うとなんとも複雑な気分になる。それでもう十分だと言えるほど、私は欲がない人間ではない。しかしだからと言ってなにか行動を起こせるほど勇気がある人間でもない。まったくもって面倒な性格だ。 私が間延びした返事をすると、笠松先輩はどこか不満があるのか腑に落ちないような表情をしてから「それで、」とようやく私に声を掛けた本題を切り出した。 「今月、部費が多めにおりてくるらしい。使い道を監督と話し合ってはいるんだが、マネージャーの仕事の中で金銭的にもうちょっと余裕がほしいことってあるか?」 「え?あー…そうですねぇ。タオルの買い換えの費用とか、もうちょっとあったら助かります」 「それだけか?他は?」 「他…と言われましても。元々ある程度もらってますし、みんなの不満がないなら特に改善することはないかと」 「そうか…」 笠松先輩は少し考えるようなそぶりをしてから、サンキュ、と言ってコートの中に戻るために身体の向きを変えた。私もいえ、と返事をして再びデータ採取のためにノートを開こうとするものの、笠松先輩が動きを止めたのが見えたのでどうしたのかとそちらを振り向く。ふと笠松先輩から視線を感じて私も視線を上げようと少し首を動かすと、途端に頭の上になにか重いものがのって無理矢理下を向かされた。頭の上にあるのが笠松先輩の手だと理解するのにそう時間はかからなかったけれど、軽く頭の中がパニック状態になるくらいには驚く。 だって、あの、あの女子が苦手だということで有名な笠松先輩が、私の頭を!これだけ聞くとどこぞの勘違い女みたいだが、こうとしか説明しようがないので仕方ない。 「す、すまん」 「あ、いえ…」 すぐにその手は退けられてしまったが、触れられていた部分はなお熱を持っているような気がした。あ、あつい。恥ずかしい。今何が起こったんだ。意味が分からない。ぐるぐるとそんなことを考えつつ、俯いたまま腕の中のノートをぎゅっと抱きしめた。好きな人に触れられるなんて、こんな、こんなにもうれしいことはないのだけれど、どうしたらいいのか分からない。視線を数秒うろうろと彷徨わせた結果、よしと心を決めてバレないようにそろそろと目線を上へと戻すと、そこには片手で口元を覆いながら気まずそうに視線をずらしている笠松先輩がいて。ぱっと視線を床に戻すと、途端にバスケットボールが床に当たる音も、バッシュが擦れる音も、練習中の声も、何もかもが遠くなったように感じた。時間の経過する感覚が分からず、息が詰まりそうになる。ねぇ待って、今の先輩、照れてなかった?頭の中で先程一瞬だけ見た笠松先輩を繰り返しつつ、尚更強く腕の中のノートを抱きしめた。 普段の笠松先輩は女子と目線を交わすことはおろか話すこともできないと、いつだったか森山先輩から聞いたことがあった。だからは特別なのかもな、と。森山先輩に私の笠松先輩への気持ちがバレているのだろうかとヒヤヒヤしつつ、私がマネージャーだからですよと当たり障りのない返事をしながら、内心すっごく喜んだのを覚えている。もしかして、私は笠松先輩の特別なのだろうか。そんな淡い期待を抱きながらも、それを確かめる術もなく今日まで来てしまった。あぁ、森山先輩、あの日のあの言葉はどういう意味なんですか。今更ではあるが彼にそう尋ねたいとこの瞬間激しく思う。 「…あんまり、」 「あ?」 先に口を開いたのは、耐えきれなくなった私のほうだった。 「ご、誤解されるようなこと、しないほうが、いいですよ」 言ってしまってから、あれこれってもしかして一種の告白?と思ってしまったけれど時はもう既に遅し。なんてことを言ってしまったんだと口に出した途端に後悔の念が渦を巻き、私は目をぎゅっとつむってただ立ち尽くしていた。ようやくここまで笠松先輩と話すことができるようになったのに、ついに行動を起こしてしまった。どうしよう、もう笠松先輩とは今までどおりに話せないかもしれない、中途半端に開いている2人の間のこの距離が、尚更広がってしまうのかもしれない。口を強く引き結んで、どうしよう、笠松先輩も何も言ってくれないし、走って逃げちゃおうかな、と思っていた時だった。 「…誤解、してくれたら、嬉しいんだけど」 私の腕の中のノートとペンが音を立てて落ちるのと、笠松先輩が踵を返してコートの中に戻っていくのはほぼ同時だった。私は慌ててノートとペンを拾いながら、コートの中で黄瀬くんに怒声を浴びせさせている笠松先輩の後姿をちらりと見遣る。誤解、してくれたら、嬉しいんだけど。先程笠松先輩から言われた言葉が頭の中でリピートされて、危うく再びペンを落としそうになった。誤解って、そんなの、しちゃっていいんですか。私は熱を冷ますようにノートでパタパタと顔に風を送りながら、先程の笠松先輩の言葉にひとり羞恥をかみしめていた。 130228(ここ体育館ですけど、というツッコミはさておき。素材はphantomさんより。) |