「海!ねぇ、幸男、海!」
「そう何回も言わなくても聞こえてるっつの…」

転ぶなよ、と言いながら幸男は先に堤防に沿って歩き始めた。少し先に砂浜へと降りられる階段が見えるのでそこに向かっているのだろう、私も幸男の後を追うと彼は少しだけ歩調をゆっくりにしてくれる。私と幸男の間に人ひとり分の距離を置いたまま、海の波の音を聞きながらのんびりと歩いた。女の子が苦手な幸男にとって、幼馴染といえど近づき過ぎるのはタブーなのである。人ひとり分の距離、それが私にとっても幸男にとっても丁度良い距離であった。こんなに穏やかな気持ちで歩くのはいつぶりだろうか。

「ねぇ、どう?」
「どうって、何が」
「私が幸男に聞くことなんてバスケしかないでしょう?」

潮風が髪を巻き上げ、膝丈のスカートをひらひらとなびかせた。幸男に少し出ないかと誘われたとき、どうせ幸男だからと適当な格好をしてきたのだが、海なんていうオシャレな場所に来るならもうちょっとおめかしすればよかったかなぁと今更なことを思う。

季節外れの海はがらんとしており、人っ子一人いない。さざなみだけが小さく響いており、夏のにぎやかなビーチしか知らない私はここが海ではなくまた別の場所に思えてならなかった。季節は冬、12月の海はとてつもなくひっそりとしていてどこか寂しげだ。だが、季節外れの海も悪くはないなと思う。風は冷たかったが、なにより幸男とこうやって2人きりでゆっくりできるのが私は嬉しかった。

「あー…相変わらずだな」
「由孝くん元気?」
「森山?元気だよ、小堀も、早川も」
「そっか」

少し前までは毎日のように会っていたのに、今ではこうやって幸男に聞かなければみんなの様子が全然分からない。それが少し寂しかったけれど、仕方ないということも分かっていた。私達は3年生。幸男や由孝くんは例外だが、私は受験勉強というものに勤しまなければならない時期にきているのだ。

は?」
「ん?」
「勉強」
「…相変わらず、かな」

苦笑を漏らしながら、先程の幸男と同じ答えを告げた。幸男は前を向いて歩き続けているのでその表情は見えないが、困ったような表情をしているのだとなんとなく分かった。幼馴染とはそういうものだ。

私が毎日バスケに一生懸命な幸男のハードさを知らないように、幸男も受験勉強にいそしむ私の苦楽を知らない。だからお互いに何かを言えるわけではないのだけれど、大好きなバスケに打ちこむ幸男と違って私は大して好きでもない勉強をしなくてはいけないわけで。今日の外出だって、幸男なりに気を遣ったのだろうということは分かっていた。最近は家に閉じこもってばかりで勉強漬けになっている私を心配しているということも、知っている。

砂浜へと降りられる階段に辿りつき、先に幸男がタンタンと規則正しく階段を下って行った。私も後に続いて階段を下りると、意外にも幸男は待っててくれていたようで、私が下りきってから波打ち際のほうへと歩いていく。

「懐かしいねぇ。昔はよく笠松家と海に行ったのに」
「あぁ」
「幸男、濡れちゃだめだよ」
「分かってるよ、んなこと」

幸男は波がこないぎりぎりのところまで歩いて、止まった。私は少し考えてから、幸男の隣へと移動する。もちろん、人ひとり分の距離は開けたまま。

いつだっただろうか、この距離感を知ったのは。幸男に近づきすぎず、遠すぎず、彼と一緒にいられるギリギリのライン。この微妙な距離を測れるようになったのは、一体いつからだっただろうか。幼馴染とは残酷なもので、何も考えずに一緒にいられた昔が懐かしい。幸男の隣に立つことがこんなに難しいなんて、あのころの私は思うはずもなかっただろう。ただ、一緒にいたい。昔からその思いは変わらないはずなのに、どうして今はこんなにも苦しいのか。

「幸男」
「ん?」
「今日はありがとう」
「…あんま、閉じこもって勉強ばっかしてんなよ。おばさんも心配してたぞ」
「うん」
「あとちょっと、頑張れ」
「うん、幸男も。ウィンターカップ、頑張ってね」
「あぁ」

幸男の顔はまっすぐ海の方を向いており、表情など全く読めなかった。ポイントガードというポジションなのも関係しているだろうが、基本的に幸男は感情や思考を隠すのが上手い。まぁ、女の子関係のものは別だが。

その場にしゃがむと、砂浜に貝殻の欠片がたくさんあるのが見えた。白いものから黒いもの、ピンクの小さな貝殻だってある。少し辺りを見渡して、欠けていない綺麗な桜色の貝殻を見つけてひとつ手に取った。薄いため、少しでも力を入れてしまえば欠けてしまいそうだと思う。ふと空にかざしてみると、透けて見える光がより薄さを強調しているように見えた。まるで私と幸男のよう。幼馴染という綺麗な関係のようでいて、実際は脆くて今にも崩れそうなギリギリの関係。おかしいな、こんなはずじゃなかったのに。

一緒にいて、一番心安らぐのも、落ち着くのも、幸男だった。けれどそこに、少しの苦しさや、切なさが入り混じるようになったのは、どうして。

「幸男」
「ん」
「私…大学、県外、でる」
「…そうか」
「だから…だから、もう、」

指先に力が入ってしまって、パリンと小さく桜色の小さくて薄い貝殻が砕けた。指の間を通り抜けて、パラパラと砂浜に欠片が落ちてゆく。あぁ、砕けちゃった。唇を一度引き結ぶと、手に残っていた貝殻の欠片を払って立ち上がった。

「幼馴染も、最後だね」

これまで、ずっと隣には幸男がいた。小学校に上がるときも、中学校に上がるときも高校に上がるときも。一番最初の友達はずっと幸男で、それが当たり前だった。けれど次の春にはもう、隣に幸男がいない。幼馴染という関係も、この春でさよならなのだ。

言った途端に正面をむいていられなくなって俯いた。長い潮風に揺れる髪の毛が、幸男から私の顔を隠してくれている。けれど数拍してから聞こえてきたのは幸男の小さなため息で、「お前、そんなこと考えてたのかよ」と呆れたような声が聞こえた。

「そ、そんなことって…!私にとっては結構重要なことで、」
「そういうわけじゃなくて。俺とが幼馴染っていうのは、変わらないことだろ」
「そ、…そう、だけど、さぁ…」
「…だからさ、もう最後だとか、言うなよ」

ざん、と聞こえる海の音が切なくて、ついでに幸男があんまりつらそうに言うものだから、私は思わずぽろりと雫をひとつ、砂浜の上に落としてしまった。



Shells




130328(海の話。神奈川ってことは海近いのかなぁ。私の実家からはすごく近くて、そこの海行ったときに撮った写真を使いたくて。 砂浜じゃなくて岩場やんという突っ込みは受け付けません(…)。というわけで画像は自作。)