最近、財前は練習が終わったらすぐに部室を出て行くようになった。たいていのレギュラー陣は部活が終わってもなんだかんだで部室でぐだぐだしていることが多く、すぐに帰宅をするような人物は1人もいない。それはあの財前も同じだったのだが、ここ1週間ほどだろうか、財前は部活が終わったらすぐに帰っていた。気になって理由を尋ねてみたところ、財前からは「…見張りみたいなもんっすよ」と嫌そうな返事をされたのだが、それがどういう意味だったのか、俺も他のレギュラー陣も依然分かっていないようである。 だが、数日後にその謎は解けることになった。 *** 「あ、あの」 「ん?」 部活中、部室に忘れ物をして取りに行った帰り、テニスコートに戻ろうとする自分を呼び止める声があった。立ち止まって振り返れば、そこには制服を着た女子生徒がそわそわとした様子で立っている。 あまり気にしてはいないものの、自分のことを応援してくれている子だろうかとも思ったのだが、それにしてはいささか消極的というかなんというか、とにかくそういう類の女の子ではないということは数秒経てばすぐに分かった。しかし、そうなるとなおさら自分になんの用かという疑問は残る。 「どうしたん?俺、あんまり立ち止まっとれんのやけど」 「ご、ごめんなさい、あの、財前光、って…分かりますか?」 「分かるもなにも…部活の後輩やけど」 財前のファンか、とも思ったけれど、それなら俺を経由する意味が分からない。そもそも今は部活中だ、そういう用事ならばすぐに話を打ち切ってテニスコートに戻ろうと思っていると、目の前の女の子は再び「ごめんなさい、」と謝罪をしてから話を続けた。 「ちょっとでいいんです、呼んでもらえませんか…?」 「え?あ、申し訳ないんやけど、部活中やし、そういう呼び出しはちょっと…」 なんや、結局はファンかいな。そう思いつつ、目の前の女の子は本当に財前のファンなのかと疑っている自分もどこかにいた。こう、やはり、そういう類の女の子ではないような気がするのだが、可能性はゼロではない。呼び出しとなるとやはり“そういう”ことではないのだろうか、と安直に思ってしまう自分もよくないのだろうか、と思いつつ断りを入れると、女の子はちょっと焦ったように視線をあっちこっちへと移動させた。 「あ、そ、そうですか…。そうですよね、部活中ですもんね。すみません、呼び止めてしまって本当にごめんなさい」 「え?いや、かまへんよ。でもこれからは気ぃつけてな」 「はい」 すみません、ありがとうございます、と律義に告げる女の子に、やはりファンではなかったのではないかと思う。もしそうなら悪いことをしたなと思いながらテニスコートに駆けて戻った。だいぶ遅くなってしまったので、謙也が心配しているかもしれない。 念のために財前に先ほどのことを伝えようかと思ったのだが、テニスコートに戻ったら謙也と財前が言い争いをしている真っ只中でそれどころではなかった。とりあえず部長としてその場を取り繕うと、続けて金ちゃんが転倒して膝から流血し、その処理に追われた俺は気付けば先ほどの女の子のことなど頭からすっぽ抜けていた。 *** 「…お疲れさまっす」 「おー、気ぃつけてな」 もはや財前が部活後に直帰するのは習慣になりつつあり、今日も今日とてそれは変わらず、着替えたらさっさと部室を後にする財前をみんなで見送る。自分だけでなく部室の各所から見送る挨拶が聞こえて、「今日も財前はよ帰るんやなー」と隣で携帯をいじりながら呟いた謙也の言葉を耳にしたところで、練習中に財前に伝えようと思っていたことを伝え忘れていた自分に気が付いた。 「あー、やってもた…。ま、ええか」 「ん?なにひとりごと言ってるんや、白石」 「いや、ちょっと財前に伝えよう思っとったことがあったんに、忘れとった」 「ええんか?今なら間に合うで」 「大したことじゃあらへんから、大丈夫やろ」 笑いながらそう言うと、ふうん、と短く返事をした謙也は再び携帯の画面へと視線を向けた。俺はロッカーを閉めると、着替えずに小春と遊んでいる金ちゃんに「金ちゃん、はよ着替えー」と声をかけて、恒例となっている部日誌の記入を行うために筆記用具とノートを取り出してパイプ椅子をひき腰を下ろす。そのとき、ガチャリと音をたてて部室のドアが開いた。 「…財前やん」 「ホンマや。財前、どないしたん?忘れもんか?」 「や、ちょっと…」 この時間帯に部室から出て行く者はいるが、逆に入ってくる者はほとんどいない。誰だろうかと思いながらドアを開けた人物が入ってくるのを待っていると、そこにいたのは先ほど部室を出て行ったはずの財前であった。 忘れ物かと思ったのだが、財前はそれを否定して部室をぐるっと一周見渡した。どうしたのだろうかと思っていると、財前にしては珍しく「あの、」と遠慮がちに聞いてくる。 「絶対ないと思うんすけど、俺が出て行ったあと、誰か俺を訪ねて来たりしました?」 「財前が帰った後は、誰も来とらんで」 「そうっすか。…なんでもないっすわ。じゃ」 財前は首をかしげつつ再び部室を出て行こうとドアに手を掛けた。確かに、財前が部室を出て行ってから部室にやって来た者はおらず、ましてや彼を訪ねてくる者もいない。だが、少しの心当たりがあった俺は部室を出て行こうとする財前を「財前、ちょお待ち!」と慌てて引き留めた。 「なんすか?白石先輩」 「あんな、全く関係あらへんかもしらんのやけど、練習中に財前呼んでくれんかって尋ねてきた子はおったわ。部活中やからって断ったんやけど…」 「どんな子でした?」 「え?どんな子?えーと…うちの学校の女子で…あ、標準語やった。めずらしいなあって思ったんやけど」 どんな子だったのか聞かれるとは思っていなかったので、なんとか数時間前の記憶を掘り出して答えると、財前は標準語だったという俺の言葉を聞くと「マジっすか…」とめんどくさそうに呟いた。そしてそのまま考え込んでしまう。 何かあったのかと思っていると、そんな部室にいる全員の代弁をするかのように金ちゃんが財前に「その子がどうかしたんかー?!」と元気いっぱいに尋ねた。 「…や、なんでもないっすわ」 「そうなん?なんや悪いことしてもたような気がするんやけど…ごめんな」 「いーえ、気にせんといてください」 じゃあ、と言ってドアを開けた財前だったが、財前はドアを開けてそのまま固まってしまった。今度はなんだ、と思っていると、よく聞く財前の呆れたような声で「…なにしてるん」と呟く声が聞こえる。どうやらこの部室のドアの前に誰かがいたようで、その人物に話しかけているようであった。 「あ、いや、あの…ごめん」 「探し回ってもたやないか。…勝手なことせんといてもらえる?」 「ふ、不可抗力!」 おお、財前が敬語ではない。珍しい。そう思っているのは謙也も同じようで、「あいつタメ口も喋れたんやな」と意外そうに呟いていた。それは言い過ぎではないかと心の中で謙也にツッコミを入れながら、ドアの向こうの人物と二言三言喋っている財前に声をかける。 「財前ー?どちらさんや?」 「…あー…」 嫌そうな返事やな、と苦笑しながら思っていると、ドアの向こうの人物が「光、先輩にその言い方は失礼だよ」と財前を嗜める声が聞こえた。財前は視線で部室内と外とを数度行き来すると、やがて諦めたのか溜息をついて半分しか開いていなかった部室のドアを全開にする。 途端、おお、と謙也が隣で小さく感嘆の声をあげるのが聞こえた。俺も心の中で同じような感嘆の声をあげていたのだが、実際口に出していたのかどうかは分からなかった。 「財前、彼女か?」 「んなわけないっすわ。なに言ってんすか先輩」 若干からかいを含んだユウジの言葉を一刀両断すると、財前は顎先だけで隣の人物を示してごく簡単に紹介をする。ただ、そんなことをされなくても俺はドアが全開された瞬間から、そこにいた人物に釘付けであった。 「…最近引っ越してきた幼馴染っす。コイツの送り迎えのために、最近早く帰ってたんすよ」 「といいます。いつも光がお世話になってます」 「俺に世話になっとるお前がなに言うとるんや」 「べつに光にお世話されてるわけじゃないし!」 ぎゃんぎゃんと言い合いをし始める2人をぽかんと見ているレギュラー陣が多数な中、金ちゃんだけが「ちゃんゆうん?ワイ、1年の遠山金太郎!」と勇敢にもその2人の間に割って入っていった。財前は面倒くさそうな表情をしているが、は無理矢理会話に入ってきた金ちゃんを嫌がる素振りもなく「よろしくねぇ」と挨拶している。 金ちゃんとが一通りの挨拶を終えると、財前はこれでもういいだろうとでも言うように「行くで」と一言彼女に告げ、部室に小さく頭を下げるとさっさと部室を出て行った。 「えー?!ちゃん行ってまうん?!」 「あ、うん、ごめんね…。ちょっと、待ってよ光!」 残念そうな表情の金ちゃんに申し訳なさそうに苦笑を浮かべたは、先に部室を出て行ってしまった財前に一声投げてからぐるりと部室内を見渡して、そしてその視線を俺でストップさせた。そして「あ、」と彼女の口の形が動き、一瞬動きが止まる。俺に視線を合わせたまま動かなくなったに、部室のみんなが俺と彼女を交互に見遣った。 「あ…の、さっきは、部活の邪魔しちゃってすみませんでした」 「あ、いや、こっちこそ気付かんでごめんな」 「いえ、…では、失礼します」 「おおきに」 最後に部室にいたメンバー全員に対して頭を下げてから、は財前を追いかけるために走って行く。パタパタと駆ける足音が遠ざかるのが聞こえ、それを金ちゃんが「ちゃーん!またなー!」と笑顔で見送っていた。 謙也がぽそりと「財前、女子の幼馴染おったんやな」と呟いたのがやけに部室に響く。今日は財前の新たな一面に、みんな驚いていたようだった。もちろん俺も、例外ではない。 *** 財前に詳しい話を尋ねたところ、は電車での通学にまだ不慣れなようで、だから自分が行きも帰りも一緒に登下校しているのだ、と財前は答えた。どうやら電車の乗り換えがいまだによく分かっていないらしく、一人で登下校をさせると電車を乗り過ごしたり違う路線の電車に乗り込んだりしてしまうらしい。 だからいつも帰りは財前の部活が終わる時間帯に昇降口で待ち合わせしているらしいのだが、 あの日は先生に呼び出されてに急な予定が入り、いつもの時間に昇降口に行けなかったという。の教室まで行ったものの彼女の姿も鞄もなく、もしかしてすれ違ったのかもしれないと一旦部室に戻ってきたところに、そんな財前の思考を読んだが現れた、というのが事の顛末らしかった。 は財前が部活に行ってから予定が入ってしまい、それを財前に伝えようとしたのだが、テニスコートにはテニス部の練習を見ようとする女子生徒が群がっており、とてもではないが財前に直接その場で要件を伝えるのは危険だと判断したらしい。そこで、部室のほうにひとり戻っていく自分を見かけ、伝言をしてもらおうと思ったわけである。しかし、それも結局失敗に終わってしまい、財前に伝える術がなく、このようなすれ違いが起こってしまったのであった。 「大変やなぁ。財前も、も」 「…どういう意味っすか」 「え?そのまんまやけど」 詳しい事情を聞き、部活前のストレッチをしながらそう言うと、財前はやれやれといったように「はよ通学にも慣れて欲しいっすわ」と告げた。俺はそれに笑みを漏らすと、なんだかんだで財前も面倒見はいいんだよなあとしみじみと思う。でないと、いくら幼馴染といえどこんなことやってられないだろう。 長座体前屈で両足のつま先を指で持ちながらぐーっと筋肉を伸ばしていると、ふと財前に言おうと思っていたことを思い出して、「あぁ、そうや」と口を開いた。 「に謝っといてくれん?勘違いして悪かったーって」 「は?」 「いや、最初話しかけられたとき、財前のファンかと思ったんよ。やから呼び出しも断ってもたんやけど」 「あー…めんどいっすわ」 「今日も帰り一緒なんやろ?そんくらい言っといてくれや」 「…」 「その間はなんや?!」 「…なんもないっす」 財前は立ち上がってアキレス腱を伸ばしながら、「それにしても、」と続けた。 「やけにあいつのこと聞いてくるんすね、白石先輩」 「え?そうやろか。まぁ、ちょっと悪いことしてもたなーとは思っとるけど」 「…」 「やからその間はなんや?!」 「…なんもないっす」 140714(生まれたかけらは消えずに残る。はじめましてテニプリ、そして白石くん。素材はheliumさんより。) |