![]() 保健室に入ったとたん目に入ってきたのは机に突っ伏している俊の姿で、そんなにも具合が悪いのかと声をかけようとした瞬間、俊は頭をあげて驚いた様子で私の名前を呼ぶ。具合が悪いわけではなかったのか、そのまま上体を起こした俊はどうやら頭の中でいろいろ考えこんでいるようで珍しくぽかんと呆けている状態の彼を見ることが出来た。私はなんとか会話をしようと「あ、日向くんが、」と口を開くものの、やはり俊を直視したまま話すことはどこか躊躇われてパッと彼の足もとへと視線を移す。 「見ててくれてないかって、廊下ですれ違った時に、言われて」 どこか言い訳がましくなってしまったがそう告げると、俊は納得がいったのか「あ、あぁ…なるほど」と言ったきり黙ってしまう。そこでふと先程日向くんに言われたことを思い出すが、そういや『見ててくれ』ってなにをすればいいのだろうか。俊を見たところ怪我をしているわけではなさそうであるし、具合が悪いというわけでもなさそうだ。ちなみに、幼馴染の特権として俊の具合が悪いときの癖も把握しているので、それは断言できる。理由もなしに俊が保健室にいるということもないだろうに、さてはて。 そんなことを頭の片隅で思いながらも、私はこの保健室というこの空間に俊と2人っきりでいるという状況に緊張していた。2年前のあの日を境に話すこともほとんどなくなってしまい、こんなにも近くで俊を見るというのはいつぶりだろうか。家が近所であり高校も同じだというのに、とてつもなく遠く感じていた俊が今すぐそこにいる。どうしたらいいのか分からない、というのが正直な感想だった。なにを話せばいいんだろう、どうやって接すればいいんだろう、俊は私がここにいることが嫌じゃないのかな。そのようなことをぐるぐる考えては、2年前の俊の言葉が頭に響いてくる。 バスケをしている俊が見たい、見たくてたまらない。もっと俊と話したいし、中学のときのように一緒にいれる時間がほしい。けれどそれは私の独りよがりではないだろうか、俊はどう思っているのだろうか、その考えが尽きない。そのように怒涛のスピードで頭を回転させていると、「」と俊が私の名前を呼ぶのが聞こえた。 「…う、うん」 おそるおそる斜め前の床へと向けていた目線を持ち上げると、俊がふっと小さく笑ったのが見える。私もそれに少し安心するものの、やはり目前にいるのは昔から知っている幼馴染の姿ではなく、けれどやはりそれに違いなかった。俊、と声に出して名前を呼ぼうとした瞬間、俊はそれを遮るように口を開く。 「ずっと、ごめんな、」 「…え、」 急に出てきた謝罪の言葉と、それこそ数年ぶりに聞く「」という呼び方に一瞬頭の中が真っ白になる。中学のときからはもうずっと「」だったのに、こんなときだけ「」って、そんな、ずるいよ俊。俊は少し間を置いてから、ひとつ息を吐いて続けた。 「たぶん、2年前からずっと…言いたかったんだ。が、俺がバスケしてるの、見るの好きだったっていうのも知ってたのに」 「…うん」 「カントクがバスケ部のことやりやすいようにって、副会長の仕事まで背負ってるんだってな」 「う、うん」 「たぶん他にも、知らないところでに応援されてたんだろうね」 「そ、そんなことは…!」 すぐに先程の謝罪はあの2年前の日のことを指しているんだと理解した。けれど今更、別に、そんな謝罪はいいのに。むしろ謝るのは私のほうで、俊に普通に接することができなくなったのは私だ。リコの仕事だって、私がやりたくてやっているのであって。私はただ、俊にめいいっぱいバスケをしてほしいと、私はそんな俊が好きなのだから。 思うことはたくさんあるのに、なにひとつ言葉にできない自分にもどかしさが募る。伝えたいこともたくさんあるのに、私は何も言えないまま。これじゃあ2年前のあの日と同じだと唇を噛んでうつむくと、いつのまにか目の前まで移動していた俊にくしゃりと頭を撫でられた。 幼稚園の頃、砂場遊びでトンネルを開通させたときに笑顔で握り合った手。小学生の頃、一緒に帰路を辿りながら繋いだ手。中学生の頃、クラス対抗リレーのバトンを渡した汗のにじんだ手。そして高校生になった今、私の頭に乗せられている大きな手。それはどれも幼馴染である俊の手に違いないけれど、大きさも、強さも違う。けれどその手から染みてくるやさしさだけは、いつになっても変わらなかった。それにどれだけ私が安堵していたことか、きっと俊は知らないに違いない。 「…ありがとうな、」 ぶわりと溢れるものがあって、堪え切れずに嗚咽を零すと俊の慌てる様子が伝わってくる。そんなの、そんなの俊ばっかりずるい。顔はあげられたものではないけれど、ここまま私だけが何も言わずに終わってしまうのはいけないのだと思った。私はまだ、俊に伝えきれていないことがたくさんあるのに。 「し、俊、」 「ん?」 「私は俊に、どう接すればいいのか…分からなくて、」 「…うん」 「でも、ありがとう。わ、私は、俊がバスケしてるのを見るのが、…」 「うん」 「す、好き、です」 「…あ、ありがとう」 沈黙が数秒落ちたのち、しまったあの言葉の区切り方はまずかったかと思うものの、俊が急にポツリと呟いた「ガチョウさん、ありがちょう…」という言葉に全てはどうでもよくなった。こういうときくらいその口を閉じていることはできないのかと思いながら、なんとも言えない顔で視線を上げるとすぐそばに俊の瞳がある。そのまま俊と視線を絡ませているとどちらともなく笑みが零れ、昔みたいに笑い合った。まぁいいや、今回だけは許してあげよう。 (130222...あとがき) |