![]() 「清雅」 「あ?…萩瑜じゃねえか、久しぶりだな」 「おーよ」 戸を叩く音もなしに開かれた扉からひょっこりと顔を出したのは、同僚の萩瑜だった。自分と同時期に資蔭制で入朝した萩瑜は自分と同じく御史台に配属され、のらりくらりと日々を生きる願望がある彼は今はどこかの州御史として勤務している。中央の御史台に1年に1度は顔を出しているらしいが、そういう時に限って自分は留守で実質萩瑜と会うのは数年ぶりだった。 つい、変わらねぇなと口に零すと、萩瑜は苦笑を浮かべてから少し寂しそうに「いや、変わったさ。お前が変わったようにな」と告げた。心当たりがないわけではなかったので口を紡いで視線を下げる。資蔭制で御史台にいるのだ、変わらないほうがおかしい。それでも、たとえ見た目だけだとしても、変わらない姿の萩瑜に少しだけ安心した。少しだけ。 「あぁ、ところで清雅。最近、御史裏行が消えて不便らしいな」 「…なぜお前が知ってる」 「ちょっとな。というわけで、俺のイチオシ連れてきたから好きなように使ってくれよ、こいつ役に立つから。あ、ちなみに長官からは許可済み」 俺の返事も聞かず、萩瑜は廊下に向かって手招きしたかと思うとひとりの人間を扉の前に引っ張り出した。背は低い。染まるような黒髪に、意志の強そうな丸い瞳。だが見た瞬間ピンと来た。 「おい、萩瑜。こいつおん、」 「おおっとそれを言うなら実力を見てから言え!」 「却下。いらねぇ」 「返品不可!とりあえず使ってみてくれって。頼むよ」 お前が一方的に押し付けてるだけだろ、と思いながらもう一度萩瑜の隣の人物を見た。俺と萩瑜のやり取りに口を挟まずに俺を見上げている瞳は、嫌いじゃない。睨んでいるわけでも笑んでいるわけでもないその目はただ俺を見ているだけで、奥に潜む真意を読み取ることはできなかった。この俺がだ。さすが萩瑜が連れてきたやつだけあるというかなんというか。 「…おい。お前、名前は」 「です」 困ったように笑いながら懇願する萩瑜を横目に捕らえつつ、彼の隣の人物に静かに尋ねた。返ってきたのは少し高めの、けれど確かに少年の声。怯むことなくまっすぐに俺を見上げるその眼差しが、気に入った。 「萩瑜、貸しひとつだからな」 「は?!逆だろ!」 「おい、お前」 少し間が空いてから、茜枝夕は自分自身を指で差しながら首を傾げた。私のことですか、と暗に尋ねているそれに小さく舌を鳴らして肯定する。 「足は引っ張るな。泣き言も言い訳も聞かねえ。俺の命令が聞けないなら即帰れ、役立たずは必要ない」 俺はそれだけ告げると萩瑜との間をすり抜けて廊下に出た。そのまますたすたと歩いていくと後ろのほうで萩瑜との話し声が聞こえたが、聞こえない振りをする。 さて、裏行が付くとなると少しは仕事に余裕も出てくるはずだ。だがやりたいこともやらなくてはいけないことも、山積みなのは変わりない。新しい裏行の腕がどれほどなのか、問題はそこであった。まぁ性別はどうであれ萩瑜の推薦だ、有能でないはずがないのだが。 だが、この時の俺は気付いていなかった。心配すべきなのはそこではなく、むしろ他のところにあったのだということに。 121229 back 氷菓から劇薬 next |