私とレインは付き合っている、それ以上でも以下でもない。泊まりにくることはよくあるけれど毎日というわけではないし、急にぱったりと来なくなる時だってある。かと思えば一週間ほど滞在していくときもあるし、彼の生活習慣がどのようなものなのか全く分からなかった。研究職に就いているといつの日か聞いたことがあるのでそのせいだろうとは思うのだが、やれ私に規則正しい生活をしろだとか、やれ三食きちんと食えだとか、そういうことを細かく言ってくるくせに本人に至ってはそこらへんは適当だ。

私はレインのことがよく分からない。知ってることといえばレイン・リンドバーグという名前であるということ、出身はアメリカだけど今は日本に滞在していること、研究職であること、可愛いもの特にウサギが好きなこと、あとは好きな食べ物や嫌いな食べ物くらいである。そもそも詳しく聞こうとしたことがなく、なんとなくレインが言いたくないように思って今まで聞いてこなかったのだが、今こうして考えてみると私が持っている彼に関する情報は少なすぎた。例えば、普段私の家にいないときはどこでなにをしているのか。

きっと研究が大半なのだろう、たまにノートパソコンを持ってきてはリビングでキーボードを叩いている姿を見たことがあった。ちらりとスクリーンを覗き込んで見たけれど英字がずらりと並んでいて速攻目を逸らしたのを覚えている。一緒にいる時に携帯に電話がかかってきたときも、部下と思える人に指示を出していたり、時には流暢な英語を話しているのだからなんの研究をしているのかもよく知らない。

結局のところ、そういうことなのだ。私がレインと電車で再会した時から惹かれていたのは確かで、彼のことが好きだと感じることも度々あるし、一緒にいたいと思える相手ではある。だが、だからレインを信頼しているだとか、はたまた将来結婚したいと思っているだとか、そういうものとは別問題なのだ。


***



「…はい」

印刷されている字がほかの人には見えることがないよう、折り目がつかないように畳まれて渡された細長い紙を担任から受け取る。担任の表情は変わることなく気づけば私の次の出席番号である田山の苗字が呼ばれていた。その受け取った紙の中身を見ないまま自分の席に戻り、小さく息を吸ってからそろりと順番に書かれている数字を目で確認する。数字を目で追うごとに血の気が引いていくのを感じながら、ざっと見終わったらそれを畳んで深く息を吐いた。うそでしょ。

ホームルームの終わりを告げるチャイムの音が鳴り響き、担任が教室を出て行った途端ざわめきだすクラスメートと相反するように私は机に突っ伏した。小さな紙。並べられた数字といくつかのアルファベット。一ヶ月前の模試の結果だった。

、どうだった?」
「…やばい」
「やばいのはみんな一緒だって」
「いや、ほんとに…やばい。落ちてる。この時期に落ちてるとか…」
「そんなに?」
「とりあえず、落ち込むくらいには」

第一の判定どうだったの、と聞かれて最初から三つ目のアルファベットを答える。私もCだよという友人の声が聞こえるものの、私はひとつ前の模試ではもうひとつ判定がよかったのだ。落ちてきている。この時期は部活を引退した人たちが勉強の追い込みを始めるのもあって大きく順位や判定が覆されやすいと聞かされてはいたけれど、まさかそれが自分に降りかかってこようとは思いもしなかった。どこか他人事に受け止めていて、私は大丈夫だろうと思い込んでいたのだ。何の根拠もないくせに。そして今こうやって現実に落ち込んでいるなんて能天気にも程がある。もう受験までの時間は、そうたくさんもないのに。

「ま、勉強がんばろうよ、
「…うん」

全国の受験生がそうだと思うが、私はひときわこういう目の前に突きつけられる数値化されたデータというものに弱いと思う。それまで積み重ねてきた自信もこの数字とアルファベットばかりが並ぶ薄っぺらい紙によって粉々に消え去ってしまうのだ。どうしよう、どうしよう。そんな不安ばかりが胸のうちをぐるぐると駆け巡りながら、その模試を受けたときより何かしら自分は前進しているから大丈夫、というわけのわからない自信もどこかにあるのも確かなのだ。ここまできてもである。私自身を安心させたいのか、それとも元々自信家なのか、その両方なのか。いい加減にしろと怒鳴りたくなる、けれどこうでも思ってないと私はもう立っていられないということが分かりきっているので止めることはできなかった。自分に自信を持つこと、それはすごく大切なことでだし間違いではないと思う。けれどそれを逃げ道としてはいけないのだ、突きつけられた現実を避けるための手段にしてはいけないのだ。

それも分かっていながら尚やめることができない自分は甘ったれの大馬鹿だ、そう思いながらこの下がりきった気分をどうやって向上させようかと突っ伏していた顔をそろりと上げた。今日は帰ったらレインが家にいる。この情けない顔を彼にはまだ見せるわけにはいかないのだと、くしゃりと顔を歪ませた。

「…?」
「ん」
「なんか、泣きそうな顔してるよ。それほどショックだったんだろうけど」
「そう?…大丈夫だよ」
「今日はこのあとバイトなんでしょ?」
「うん、平気。ちゃんと行くよ」
「…なんていうか、私が言うのもあれだけど、勉強しなくちゃいけないのにバイトまだやるつもりなんだ」
「…ちょっと、この結果みて考えてみる」
「ま、のバイトは生活かかってるんだし、無理はしてほしくないけど生活費削るようなこともしてほしくないからね?」
「はいはいありがと、なんとかするよ」

隣で携帯を弄りだした友人に心の奥でそっとお礼を告げながら、模試の結果を小さく折りたたんでファイルに仕舞い込む。なんの解決にも至っていないけれど心持は少し軽くなった気がする、私はいい友人に恵まれているなぁと思いながらずしりと重量を感じる鞄を肩に掛けた。これから七時まではバイト、レインが家にいるのでその後に買い物をする必要も晩御飯を作る必要もないのはありがたかった。こんな日はさっさと食べて勉強して寝てしまいたい。

友人に手を振って教室を出たところで携帯のバイブ音がブレザーのポケットから聞こえて取り出すと、レインからのメールだった。今日はバイトがあるかどうかという旨の文章に、今朝ちゃんと言ったのになぁと思いながら『あるよ』と一言だけ返事をする。ただやはり、文章の最後についていたいつものウサギの絵文字にすとんと心が軽くなったのは否めなかったけれど。



120220(絵文字はウサギとカエルが多いんだろうなぁとか。)  back ユリカゴ next