ヴヴヴという携帯のバイブ音が聞こえて、携帯が転がっているであろう枕もとあたりに手を這わせた。小刻みに震える携帯を見つけ出すと、うっすらと目を開けてランプの色を確かめる。緑色、着信だ。

「はい…」
『もしもし、?今日どうしたの?』
「…なにが?」
『…寝てたの?』
「今起きた」
『馬鹿、もうお昼だよ』
「ええっ?!」

友人の携帯の向こうから聞こえる声に飛び跳ねて慌てて時計を見ると、確かに針は午後一時前を指していた。お昼休みに入ってすぐに電話をかけてくれたのだろう、教室のがやがやとした音が聞こえている。まさか寝過ごすなんてと思いながら、いやしかし体力的にも心理的にも疲れていたので当たり前かと隣を見遣るとそこにはまだ夢の中らしいレインがいた。夕方から泣きじゃくる私を宥めたり励ましたり、いっぱい抱きしめてくれたり。レインにはちょっと申し訳ないことをしたなと思いつつ、しばらく迷ってから電話の向こうの友人に今日はもう学校には行かないという旨を告げた。

『そっか。ちゃんとごはん食べなさいよ』
「うん、食べる食べる。また明日ノート見せてね」
『任せなさい。あぁ、そういやお昼に委員会の招集かかってたよ。同じ委員の男子にお礼言っときなさいね』
「げっ…分かった、水野君に言っとくよ」
「…水野君って誰ですかー?」
「え?クラスの男子だよ…って、」
『ちょっ?!だ、誰なの今の男の人!』
「わーっ、ごめん!切る!」
『えっ』

通話終了ボタンを連打して通話を切ると、隣でよっこらせと上半身を起こしているレインを振り返った。どうやらすっかり目は覚めているようで、トリッキーな色をしている髪の毛は癖もなくさらさらと落ちている。くそう、羨ましい。

「ちょっと!ナチュラルに会話に入ってこないでよ!」
「いやいや、見知らぬ男の名前が出てきたのでついー」
「つい、じゃない!うわー絶対誤解されたうわああ明日なんて言おう…!」

今まで友人にはレインと半分同棲していることはおろか、彼氏がいることさえ言っていない。そして相手も私に恋人がいるなんて微塵も思っていなかったはずだ、それはさっきの友人の珍しい素っ頓狂な声で確信できた。しかしレインから声をかけられる前に今まで寝ていたと言ってしまったこと、それがあらぬ誤解を生んでいそうだともにょもにょと口を動かしながら手櫛で髪を撫で付ける。するとレインのくすりという笑みが聞こえて振り向くと、そこにはやはり微笑を浮かべているレインがいた。なんだってんだ。

「もう、元気みたいですねー」
「あ……さ、昨夜は、ごめん」
「いいえ、気にしないでください。ごはん作ってきますー」

レインはぽんと私の頭を軽く撫でて寝室を出て行った。思い返せば昨夜は泣いて喚いての私をずっとレインは抱きしめてくれていたわけで、これまでで一番の醜態を晒してしまったのではないかと思う。けれど昨晩泣き通したからか、目は腫れぼったいもののぐるぐると頭の中を駆け回っていた不安や心配はなくなっていた。いや、根本的な解決には至っていないけれど、今の私にはこれで十分なのだと思う。自分の不安なことや心配なことを吐露して、ひたすら頷いてくれるレインにさらに泣きついての繰り返し。心がストンと落ちているような、軽くなっているような、そんな感覚だった。

適当に身支度を整えるとレインを手伝うべく私もキッチンへと向かった。どうやら今日のお昼ご飯はパスタらしく、レトルトのミートソースとパスタが鍋でぐつぐつと煮られている。レインはというと火を見ながら電話をしているようで、私はお皿とフォークを食器棚から出しながらバックミュージックがてらレインの声に耳を傾けた。

「あぁはい、あといつもの薬品会社とサンプル会社にも連絡をですねー。…えっ?!僕、こないだ大きな企画一個終わったばっかなんですけどー!もうしばらく休憩くれないんですかー?!っと、わわ、君!パスタ頼みますー!」
「はいはい頼まれました。あっちで電話してきなよ」
「すみませんー」

パタパタとスリッパを鳴らしながらレインはリビングのほうへと消えていった。私は吹き零れてきたパスタの鍋の火を消すと、網の上にざあっと中身を空けて水を切る。それを二人分に分けてあったまったレトルトのミートソースをかけると両手に一つずつお皿を持ってリビングへと向かった。レインはその時はまだ電話をしていたらしく、しかし私がお皿を持ってリビングに現れると「Later.」と告げて一方的に電話を切ったようで。いや、一方的にlaterってどうなの、また後でって絶対かけないでしょあんた、と思いながら用意しておいたフォークをレインに渡した。

「また大きな仕事入りそう?」
「いやいやいや、たまったもんじゃないですよ!外してもらいます!…あ、寂しいと思いました?」
「ちょっと」
「嬉しいこといってくれますねー。安心してください、しばらく大きなプロジェクトからは外してもらいますよ」
「…疲れたんだ?」
「まぁ、それもありますけどー。やっぱり、しばらく君の傍にいてあげたいなぁと」

まぁ僕の勝手な我侭ですけど、とレインはくるくるとフォークに巻きつけたパスタを口へと運んだ。昨日までの私だったらこのレインの言葉に「私より仕事を優先してよ」と言うだろうなぁと思いながら、私もフォークをくるくると回転させる。今はただ単純に、そのレインの言葉が、嬉しかった。心配してくれている。傍にいてほしいと思ってくれている。それに少しだけ、寄り掛かっていたい。

「…レインは私のこと、甘やかしすぎ」
「そうでもないですよー?僕、君が嫌がるようなことも普通にしてますからー」
「…してるっけ?」

そうつぶやいた途端、レインは不意打ちに唇に触れるだけのキスを落としてきた。それに驚いて動作を一時停止させていると、ミートソースがついていたらしく口元をぺろりと舐められる。「ま、こういうことですけどー」とレインは告げて再びパスタをくるくるとフォークに巻きつけ始めた。

「あぁ、別に嫌がることじゃなかったですか?」
「誰もそんなこと言ってない」
「にしては、満更でもなさそうですけどー?」

すかしたように笑みを浮かべるレインが憎たらしくて、 すぐ傍に置いてあったクッションを押し付けるとぐえっという奇声が聞こえる。でも一瞬、レインの明るい髪色に混じって赤くなっている耳元が見えたので、しょうがない許してやるかと私はすぐにまたフォークを手に取ったのだった。



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