da capo


「そこ、右です」
「おん。…ほんま遠いなぁ、自分ち」
「も、申し訳ないです」

気にせんでええ、と柔造さんは笑うけれどやはりそういうわけにはいかない。私は助手席で縮こまりながら次は左ですなどと自宅までの道案内を続けていた。

とりあえず志摩家にお世話になることになったのだが、明日には立ち退きをしないといけないということで、急遽柔造さんが私の荷物の移動を手伝ってくれることになったのだ。私がアパートから追い出され志摩家にお邪魔することに柔造さんは大分驚いたようであったが、事情を説明すると蒲原も大変やなぁと同情の目を向けられた。その後、お父もやりよるなぁという意味のわからないぼやきが聞こえたが、私がお邪魔することを嫌がっているわけではないらしい。それは積極的に私の荷物移動の手伝いを買って出てくれたことからもうかがえた。

「あ、そこのアパートです」

おん、という返事をして柔造さんは車をアパートの入口付近に止めた。普段運転する機会があまりないとは言っていたものの下手ではないと思う。ペーパードライバーの私がとやかく言えたものではないのだけれど。

階段を上がってすぐの部屋、そこが数週間前に引っ越してきたばかりの私の部屋だった。鍵を差し込んでくるりと回すと、ガチャリという古風な音が聞こえる。

「、俺ここで待ってるから荷物詰めてきい」
「あ、いえ、入っててくれていいんですよ?見られて困るものないですし、すぐ終わりますから」
「いや…でも、」
「あの、手伝ってもらってるのに、外で待たせるわけにはいきませんよ」
「…ほんなら、邪魔するえ」

はい、と私に続いて玄関にあがった柔造さんに告げる。柔造さんは遠慮気味に部屋に入ってきたけれど、私の部屋の内装を見て驚いたように足を止めた。まぁ、無理はないかと私はあまり使われた形跡のないキッチンへと入る。

「なぁ、お前ほんまにここに住んどったんか?!」
「…い、一応?」
「女子の部屋にしては物少なすぎ…て言うか、段ボールそのまんまやないか!自分越してきたのもう大分前やろ?!」

私のアパートの荷物は東京から引っ越してきてからほとんど荷解きをしていない。平日は仕事が終わったらご飯を食べてシャワーを浴びたらベッドに直行、休日にはひたすら寝ているか買い物にいくかだったので、部屋には段ボールがいくつか積み重なったままだった。

仕事帰りで早く柔造さんも家に帰りたいはずだ、私はさっさと空いている段ボールに食器やら衣類やらを詰めていった。柔造さんは部屋の入口付近で壁にもたれて物珍しそうにそんな私の様子を見ている。

がさがさという新聞紙の音がよく響いていた。お互いにお互いのことをよく知らないため話題もなく、しばらく沈黙が続いていたが、ふと柔造さんが「、」と私の名前を呼ぶ。

「…なんですか?」
「仕事、そないキツかったんか」
「…ええと、キツくなかったとは言えませんけど、楽しいですよ」
「でもな、家に帰れんほど気張る必要はあらへんやろ。なんで何も言わんかったんや?」
「そ、れは…私の器量がよくないだけですから、甘えるわけには、いきません。さて、荷造り終わりました」
「早ッ!え、もう終わりなん?!」

もともと荷物は少なかったのだが、必要最低限のものだけを荷解きしていたので、それさえ詰めれば志摩家への引っ越し準備は完了である。段ボールにガムテープを貼ってそれをポンと叩くと、柔造さんは呆れたように溜息をもらした。

食器とか重いのは俺運ぶから、軽いやつ運びぃや。そう言われた言葉に頷いて、衣類の詰められた軽い段ボールを持ち上げた。2回往復して段ボールを全て車に詰め込むと、私は大家さんに鍵を返して車に乗り込む。たった数週間、しかも最近は帰ってなかったのでこの部屋に大した思い入れはなかった。ありがとう、短い間だったけど悪くはない部屋だったよ。そう心の中でアパートに告げると、柔造さんが車のエンジンをかけた。

「なんとも早い引っ越しやなぁ」
「お、お手数おかけして申し訳ないです」
「気にせんでええて。ほんなら、うち向かうかぁ」

はよ飯食いたいわーと柔造さんは呟いた。それをちらりと盗み見て、やはりかっこいいよなこの人、と思う。仕事ではまだ最低限の接触しかしたことがなかったが、そんな自分でさえ純粋に好意を抱いていた。モテると聞かされてはいたが、その理由が少し分かった気がする。これから数日間といえど、このモテる人とひとつ屋根の下で暮らすのかと思うと不純ながらも少しドキドキした。



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