da capo


「柔兄ぃ!俺のアイポッド、昨日返さんかったやろ!返してや!」
「柔兄、廉造が何か言っとるで」
「忘れとったわ。アイツも学校行くんにアイポッドいらんやろ…最近の中坊は分からんわ」

なんとも志摩家の朝は早く、そして賑やかである。奥さんに朝食の時間を聞いていたのでそれに合わせて起床すると、そう時間が経たないうちにそこら中からいろんな声が飛び交うのが聞こえていた。煩いとは思わないものの、朝っぱらからこれでは近所迷惑ではないのかと心配になる。いや、これが普通なのかもしれないのだが。

昨日初めて挨拶した中学生の廉造くんが、柔造さんの名前を叫ぶのが再び聞こえた。柔兄って、呼ばれてるんだ。そういや金造もそんな呼び方してたっけなぁ。そう思いながら最低限の身だしなみとしての化粧を終えると、部屋を出てダイニングへと向かった。まだ低い太陽が射す縁側を歩き、目を細める。朝だなぁ。

「柔兄ぃぃい!アイポッド充電切れとるやんアホぉ!」
「気ぃ付かんかったわ。堪忍え」
「堪忍ちゃうわぁ!あーもう、ありえんわ…ほんまありえん…」
「あー、俺の貸したるさかい…あぁ、。おはようさん」
「……おはようございます」

さすがに寝癖ついてますよ、とは言えなかった。先程までの膨れっ面はどこへやら笑顔で挨拶を返してくれる廉造くんに苦笑を零しながら、先行ってますねと2人に告げてダイニングへと向かう。奥さんが朝食の準備をしているはずだ、居候させていただいている女子としてはそれを手伝わずにはいられなかった。

しかしそのあとすぐに、廉造くんに「さん!」と呼び止められ、袖を捌いて振り返る。だいぶ年下の男の子に名前を呼ばれるのは、少しこそばゆいと思った。

「お母から伝言ですよ。手伝いはいいから、お父のとこ挨拶行ってきぃ、って」
「あ…分かった、ありがとう廉造くん」
「いえいえ〜」

ひらりと手を振る廉造くんにお礼を告げてから、ダイニングへと向けていた足先を変える。昨夜は挨拶した途端に「さんていうんですねぇ。年下の男は範囲内ですか?」とナンパもどきのことをされて驚いたけれど、それが彼の通常運転らしかった。なんとも最近の中学生は恐ろしい。


***


「…なにお前、馴れ馴れしく呼んどんねん」
「イタッ?!ちょお、はたかんでもええやん柔兄〜。羨ましいんやったら柔兄も名前で呼べばええやんかぁ」
「…大人には大人の事情っつーのがあるんや」

前方を歩くを見送りながらそう告げると、廉造はふぅんとどうでもよさそうに返事をする。そこには面倒くさそうという廉造の思考が滲み出ていた。あぁ、俺も廉造みたく、めんどくさいって言えたら楽やんになぁ。

つい最近京都出張所にやってきたにも関わらずアパートを追い出されたというが、俺の家にやってきたのはつい昨日の夜。抜けてそうな雰囲気のくせに仕事はしっかりこなし、いや度々抜けているような場面も見かけるものの、彼女の仕事ぶりはなかなかのものであると思っていた。直属の部下でも元々なんらかの接点があったのでもないが、廊下ですれ違えば会話をする程度の仲ではある、と思う。

そして気付けば、そんなをいつも目で追っていた。なんということだ。この俺がいい歳になって、恋などと。

「柔兄」
「なんや?」
「アイポッド」
「あ、あぁ分かっとるって!しゃあないなぁ!」

いつも携帯を忍ばせているポケットに手を突っ込み、イヤホンのコードがぐちゃぐちゃに絡み合ったままのアイポッドを取り出した。それを廉造に押し付け、思考を振り切るように頭を掻く。あぁ、もう、これから仕事やってのに。

「…なぁ柔兄、今更やけど寝癖ついとんで」
「げぇっ?!は、はよ言えやドアホ!」

スパンと廉造をはたいてから洗面所に駆け込んだ。好きな女に寝癖をみられたい男など、いやしないというのに。



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