da capo


「お父、おかえり」
「…ただいま。柔造、部屋の電気ついとったで。居間におるんなら消してきぃ」
「あ、あー…今、おるん」
「は…、なっ?!」

なんでや、という言葉を全て言い切ることはできなかった。息子たちと部下のひとりであるの関係にとやかく口を出すつもりはないが、まさか、そういう関係だったのだろうか。團服を脱ぎかけていた手を止めて勢いよく柔造を振り返ると、それに気付いた柔造も携帯を弄っていた手を止めて慌てて顔をあげた。

「ち、ちゃうねん!やましいことやない!」
「ならお前の部屋でなにしとんねん」
「パソコンやパソコン!俺と金造の部屋しか、ケーブル接続あらへんやろ?!金造今日おらんから、俺の部屋でやってんねん!」
「…ほんまか?」
「ほんまやて!」

この慌てぶりである。もしかして自分はとんでもないことをしてしまったのかもしれない、と今更ながら思った。よくよく考えてみれば自分の家には年頃の男が何人もいる、そんな中に同じくいい年頃の女子であるを招き入れたのはもしかしたら得策ではなかったのかもしれない。こんなことなら女ばかりの蟒のところにやったほうがよかったのではないだろうか。

再び團服を脱ぎながらそう思うものの、今更にそんなことを言うのはあまりにもかわいそうであった。柔造曰くパソコンをしているらしいが、それもきっと新しい物件探しのためだろう。仕事に付き合いにと毎日疲れているだろうに、この家ではゆっくりもできてないはずだ。早く新しい住居を見つけて落ち着いた場所にいてほしいと思いつつ、この数日の息子たちの嬉しそうな様子にもう少しいてほしいとも思う。親馬鹿だ。

「もー、なんで俺はお父相手にこない必死になって弁解しとんねん…」
「やましいことやあらへんのやろ?」
「あらへんわ。ていうか、あっても言わんやろ…俺ももうええ歳やで、お父」

なんとなく会話を続けづらくて無言でいると、やがて柔造もこの空気に耐えられなくなったのか携帯を開く音が聞こえた。は四男の金造と高校時代の同級生らしいが、もし、もし可能性があるならの話であるが、を好きになるなら金造よりは柔造だろうと思っている。理屈なんてない、親の勘だ。

が物件探しを始めたということは、数日前に始まったばかりの彼女の居候も、もはや終わりに向かっているということになる。息子たちの私情関係に首を突っ込むほど野暮な親ではないと自負しているものの、やはりなにか変化は起こらないのだろうかと、どこか期待している自分がいるのも確かなのだ。


***


、と名前を呼ばれて振り返ると、そこにいたのは所長であった。手にはなにやら可愛らしいオレンジ色の巾着を持っている。出張所、あるいは所長のお宅で何かしてしまったのだろうかとびくつきながら駆け寄ると、人気のない廊下まで連れ出された。な、なんなんだ。

「、今日夜勤やんな?」
「は、はい。え、私、今朝家出る前に、奥さんに言いました…よね…?」
「おん。これ、嫁から」

差し出されたのは例のオレンジ色の巾着であった。私宛てのものだったのか、通りで所長が持つにしては可愛らしすぎる代物なはずだ。よく見るとそれは薄いオレンジ色と黄色のチェックの巾着で、ずしりと重かった。中身を見てもいいかとちらりと所長に視線を送ると頷かれたので、そろりと紐を緩めて中身を見る。どうやら軽いお弁当らしかった。

「食堂8時半までしかやっとらんから、夜中におなかすいたら食べぇ」
「わ、私、ですか?」
「他に誰がおるんや。家出る直前に言いよったから時間なかったんやて……な、何泣いとるんや、」
「いや、あの、…う、うれしく、て」

うちの親、早くに亡くなったものですから。なんでや、と困ったように所長に理由を尋ねられ、これ以上涙が出ないように気持ちを抑えながらそう言うけれど、ずしりと重いオレンジ色の巾着が今はとめどなく嬉しかった。所長がとても困った様子をしているのが分かって、ぽたぽたと落ちる涙をなんとか止めようとするけれど、所長が、そうなんや、なら大事に食べぇや、そんで朝に元気な顔見せたり、と言いながら頭を撫でてくれるものだから、尚更ぶわりと涙があふれる。所長のそれは、まるで父親のようなやさしさで溢れていた。流石7人の子供を育てた親だけある。

お母さんにお弁当を作ってもらったり、お父さんに頭を撫でてもらったりするのは、こういう感覚なのだろうか。ここ数日志摩家で暮らしてみて、そのようなことを思っていた。お母さんと一緒に料理をして、今日なにをあったのか話して、メイクやオシャレの話をして。お父さんと一緒にテレビを見て、ご飯を食べて、車でどこかに連れて行ってもらって。長年思い描いていた夢のような家族というものが、すぐそこにあった。家族というものはこんなにあたたかいものなのかと、やさしいものなのかと、感動した。

「…、うちでの生活、どうや?」
「す、すごく…すごく、あたたかくて、心地よくて、…すこし、さみしいです」
「おん」
「所長がお父さんみたいで、奥さんがお母さんみたいで、うれしくて、でも、私は居候の身だから、」

言葉が詰まってそれ以上言えなくなると、所長は背中をトントンとたたいてくれた。まるでそれは私の心を落ち着けるように、やさしく心に響いていく。等間隔に刻まれる心地良いリズムに次第に涙が収まり、ぐす、と鼻をすすった。そしてふと気付く。しまった、今仕事中だった。

「…ご、ごめんなさい、仕事中に」
「気にせんでええ。…仕事、戻れるな?」
「は、はい」

ぐいと涙を拭うと、まだ少しぼやける視界の先にはやさしい笑みを浮かべている所長がいた。ありがとうございましたと告げると、照れ隠しなのか、さっさと行きぃと背中を押される。再び頭を下げてから踵を返し、とりあえずお手洗いの方向へと進んだ。きっと涙でメイクはぐちゃぐちゃになっているだろう。

所長も奥さんもとても優しくて、志摩家はとても心地よかった。けれどだからこそ、早く新しい住居を見つけなくてはと、焦る心が芽生えていた。



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